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英雄が壊す異世界  作者: 波白雲
プロローグ
1/19

第1話:論文添削はいつ終わるのか?

「先生! ロボットが動きました!」

「マジか!」


 僕はドアを勢いよく開け、大声で最高の報せを告げた。


 大学にある先生の居室。奥の椅子に座っていた先生が、作業を中断してこっちに来る。興奮の笑みを隠しきれていない。時刻は午前九時三十分。冬の寒さで廊下は冷えるが、興奮する僕はちょっと暑い。


 僕は先生と並び、簡単な報告をしながら実験室に向かって歩き出した。愛するロボットが待つ、実験室へ。


 つい数時間前までは言う事を聞かない、ただただ憎い存在だったのに、今は愛おしくて仕方がない。恋は突然に始まるという噂は本当だったようだ。……そうだ、この結果を論文にしたら、結婚しよう。今年で僕も二十九歳。研究員になって僅か数年で偉業を達成したのだ。身を固めたっていいだろう。


「なるほど、確かに理論通りの結果のようですね。素晴らしい」


 僕が舞い上がっているうちに、僕の口はちゃんと報告を終えていた。


 先生は確か今年で三十六歳。ロボット分野の准教授としては若い。ご結婚はされないのだろうか? そういえば、先生からご家族の話を聞いたことがない。


 僕は実験室の扉を開け、 「では起動しますので、少々お待ちください」 と言った。


 愛するジュリエットの側に寄り、近くの装置に電源を入れた。ジュリエットとは、僕と先生が作ったロボットの名だ。いま決めた。中性的な体型で、腕を六本もつ人型ロボット(ヒューマノイド)である。そういった用途ではないので、体の膨らみは表現していない。


 いくつかのコマンドを入力すると、すぐにモニターに無数の数字が流れ出した。


「準備ができました。それでは動かします」


 先生が頷くのを確認し、キーボードでコマンドを入力する。ジュリエットが目覚めた。


「それでは先生、音声コマンドをどうぞ」

「分かりました。では、ロボットアルファ、この部屋の片付けをお願いします」


 先生の音声を聞くと、ロボットアルファこと、ジュリエットは即座に行動を開始した。六本の腕を滑らかに素早く、しかし人間とはどこか違う動作で駆使し、あっという間に僕が徹夜で散らかした実験室を片付けていく。


「おぉっ……」 先生の口から感嘆の声が洩れた。


 少年のようなその表情を見て、僕は自分の成功を再確認する。


「素晴らしい! いやー、成功おめでとう! これは間違いなく良い論文になりますね。休んだ後で結構ですので、早速取り掛かりましょう」

「すでに大半を書き終えていますので、実験結果を分析したら、すぐに送ります」

「え? 天才? ……あ、いえ。分かりました。そういうことでしたら、実験結果の感想もコメントに書きましょう。くれぐれも、無理はしないように」


 そう言うと、先生は笑顔で自室へ戻っていった。


 僕は天才ではない。むしろ天才は先生の方である。ネーミングセンスはアレだが。しかし先生も、特に意味があって言ったわけではないだろう。興奮したときに出る、いつものちょっと古いリアクションだ。


 天才かどうかはどうでもいいが、僕は先生を尊敬している。口調や振る舞いが似てしまうほどに。今回の成果だって、僕が最初にアイデアを話したとき、ここまで洗練された理論になるとは思ってなかった。先生と夢中で議論しているうちに今の形になった。先生との合作である今回の論文は、きっと僕の一生の宝になる。


「よし、やるぞ!」


 僕は気合で眠気を吹き飛ばし、文書ファイルを開いた。




「……ふう」 論文データを先生に送信し、僕は一息つく。


 もう十八時か。想定よりも時間がかかってしまった。先生に確認してもらっているうちに、家で仮眠した方がいいかもしれない。


『一度、帰宅して仮眠を取ってきます』


 研究室内の簡単な連絡に使っているチャットで先生に伝えると、すぐに返事がきた。


『分かりました。コメントは日付が変わるまでに返しますが、司曜(しよう)さんは朝まで休息を取るのがいいでしょう。いい論文を書くには、体調を整えることが重要です』


 僕は背もたれに体重をかける。長年の相棒は苦しそうに軋んだが、僕だって疲れてる。


「……おっしゃるとぉーりっ!」


 大声が僕しかいない実験室に響いた。……あ、君がいたね。ごめんよジュリエット。今日の予定が決まった僕は、徹夜明けのおかしなテンションのまま、家路についた。




 次の日の朝四時。僕は大学の廊下を歩いていた。早く目が覚めてしまったのだ。すでにコメントが届いていると思うと、ワクワクして歩くペースが上がる。


 自分の論文にコメントされることを嫌う学生もいるようだが、僕はむしろ好きだ。特に、先生のコメントはいつも建設的で、『論文を一緒に良くするぞ!』という気迫が伝わってくる。


 実験室に向かう途中に先生の居室はある。灯りがついていた。まだコメント中なのだろうか? 先生も本気ということだ。こりゃ、真っ赤になった原稿が届くぞ! 僕はさらにウキウキして実験室に向かった。ちょっとマゾっけがあるとよく言われる。




 ……おかしい。時刻は午前十時。先生からのコメントはまだ届かない。時間がかかっているとしても、いつもの先生なら一言連絡があるはずだ。チャットを送ってみようか? いや、なんだか催促するようで気が引ける。……そうだ! 部屋には居るようだし、朝の挨拶がてら、状況を訊いてみよう!


 実験室と先生の居室はそう遠くない。僕は無意識のうちに走り出し、すぐに目的地に着いた。やはり灯りはついている。


 コンコンコンッ……と三回ドアを叩いた。昨日は興奮していた。ノックするのが普通だ。研究員にだって社会人の常識くらいある。二回はトイレだと何処かで聞いた。


「先生、おはようございます。入っても良いでしょうか?」 僕はなぜか焦る気持ちを抑え、意識的に落ち着いた声を出した。


 ……返事はない。電灯をつけたまま帰宅したのだろうか? いや、すでに勤務時間だ。何の連絡もないのはおかしい。ドアノブに手をかけ、開けようと——開かない。鍵がかかっている。先生は在室中、鍵をかけない。胸騒ぎをはっきりと感じる。


 僕は全力で実験室へ走り出した。以前、先生の出張中に資料が必要になり、合鍵をもらっていた。実験デスクの鍵付き棚にあるはずだ!


 僕は合鍵を取り出し、再び全力で先生の居室に走った。すぐに到着する。息が少し上がっていた。


 手が震えて鍵が入らない。呼吸で体が揺れる。うるさい。なんで慌ててるんだ?


 ガチャッという音がやけに耳に障る。ようやく開いたドアの先の様子が、僕の目に飛び込んできた。


 その部屋に、僕が待ち望んだ真っ赤な論文は、なかった。しかし、真っ赤なものは床にあった。心臓がドクンと鳴る。さらに息が上がる。目が熱い。口が渇く。何がなんだか、分からなかった。


「……土公(どこう)……先生……?」


 しばらく立ちすくみ、ようやく事態を理解する。


 僕が尊敬する先生は、背中から大量の血を流し、すでにこの世を去っていたのだ。




   *




 熱くて黒い液体が喉を通り、脳に広がる。燃料を補給された頭が覚醒していく。俺はこの瞬間が好きだ。この一口でしか味わえない感覚。だからコーヒーは欠かせない。


 窓の外に見える道で一台の車が停車した。浮遊する車体が少し低くなる。乗り降りのためだ。すぐに助手席のドアが開き、女子学生が降りてきた。運転手への挨拶もそこそこに、真っ直ぐこの店の入口に向かってくる。恐らく、しばらく前から近くの席で勉強している子の待ち合わせ相手だろう。


 二口目。熱はまだまだ残っているが、さっきのような感覚は訪れない。もう少しくらい楽しませてくれても、いいのに。もう慣れてしまったのか。


 コーヒーの香り、座った椅子の硬さ、喫茶店内の程良い雑音、送迎する父の優しさ。


 俺達は慣れた刺激をいちいち認識しない。


「ごめんごめん。遅れた!」

「それは知ってるわ」

「出発しようとしたらさ、パパの車が魔力切れ! 朝寝坊して忘れてたーって。全くさー……。お陰で私も補給する羽目になって、待ち合わせにも遅れちゃった」

「それは大変だったわね。何か頼んだら?」


 女子学生は、ちょうど近くを通りがかった店主にアイコンタクトを送り、店主はそれに応えた。慣れている。この店に若い人が来るのは珍しいが、おかしいほどではない。


 店主は、俺の隣に座る女性にコーヒーとミルクを届けていった。


「あ、ごめん。先にいただいちゃってた」 と俺は言った。

「いえ。熱いのが好きなのは知っています。店主も」


 手際よく彼女が注いだ少量のミルクが、コーヒーに広がっていく。混ざりあった。もう、元に戻ることはない。


「そういえば、いつも少しだけミルク入れるよね。気に入った?」

「ええ。味もですが、この色も」


 彼女は混ぜる手を止めてカップを少し傾ける。


「なるほど、色か……」 俺は自分のコーヒーを見た。 「うん、俺もだ」


 彼女はカップに口を付けた。窓から差し込んだ光を反射して、左腕の袖口がキラリと光る。俺の視線に気付いた彼女は、ブレスレットを大事そうに撫でた。

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