第四章ー2 諸行無常
それは風の強い夜のことだった。
六月二日未明。台湾沖に鎮座する熱帯低気圧の影響で、日本列島にはなま暖かい強風が不気味に吹き荒れていた。横田基地にも湿気をたっぷり含んだ澱んだ空気が居座っている。この横田はかつての米軍基地で、日米安保破棄後は自衛隊基地となり、今は国連直属軍が使用している。
下士官である呉尾鳩奈が将校の部屋に出入りしていることは公然の秘密となり、上官も黙認していた。
主導権を握っているのは彼女のほうである。上から激しく攻められてジェームス・シーザー中佐が苦しげに唸り声をあげた。が、呉尾は容赦しない。毒蛇の刺青が彫られた大きな乳房が上下に揺れて、下から見上げているシーザーの視覚を強く刺激した。巨大な尻が上下に動き、男の重要な箇所は爆発寸前に追い込まれていた。
と、まさにその時である。警報ブザーが鳴り響いた。
「敵軍襲来、敵軍襲来。全軍、戦闘配置につけ」
「敵?」
「バカな。敵なんているのか?敵って誰だ?」
横田にいる国連直属軍兵士の誰もがそう思った。
『桔梗の旗印が見えまする。敵は惟任日向守。明智殿ご謀反にござる』
『光秀か。是非におよばず』
と、十六世紀の日本の武将なら言ったであろう状況と事態は似ていた。が、はるか後生の西洋人たちは、そんな言葉も故事も知らなかった。
あわてて結合を解いて服を着た呉尾とシーザーは、銃を携えて前線へ走った。すでに銃弾が飛び交っていた。
戦況はかんばしくない。不意をつかれた国連直属軍は総崩れになり、まともに応戦しようとする者は数えるほどしかいなかった。
「あんたたち、だらしないわよ」
呉尾はヒステリック叫び、最前線に飛び出した。
そこには、見覚えのある脱走兵の顔があった。軽蔑すべきあの男だ。自分の部下だった時とは全く違う鋭い目をしていた。
武三は一瞬の躊躇もなく、素早く銃を操作した。
「宮本…」
その言葉も終わらぬうちに、武三が放った銃弾が呉尾鳩奈の左目を直撃した。割れた頭蓋骨から、脳漿と破裂した眼球が飛び散った。
「クレオ!」
動転したシーザーは、呉尾の骸に駆け寄った。情婦の仇に銃を向けようとした瞬間、腹部と胸部と眉間に七発の銃弾が突き刺さった。
国連直属軍基地を襲撃したのは地頭警察隊だった。想定の範囲外の出来事に、なすすべもなく基地は占領された。日本にある全ての国連直属軍基地で同じことが同時に起こった。国連兵士の多くは抵抗することなく降伏し、拘束された。まぎれもなくクーデターは怒濤の勢いで成功しつつあった。
日本県知事ジョン・タイラーの執務室にも、地頭警察隊は迫った。
「命は保証する。すみやかに投降せよ」
と、英語で呼びかけたが、ジョン・タイラーは抵抗し、銃撃戦になった。側近とともにピストルで応戦していたが、本格的な戦闘部隊にかなうわけもなく、やがて自らの頭をピストルで撃ち抜いて果てた。
かつて敵味方として同じ戦場にいた武三と吉岡は、今は戦友として同じ部隊にいる。ともに軍隊経験のある二人は、源田友頼の紹介で地頭警察隊に入隊し、今回の決起部隊に参加していた。
ひさしぶりの制服、ひさしぶりの戦争だったが、前回とは違い、武三は戦うべき理念を理解していた。「戦うべきだ」という自分自身の強い意志があった。
源田友頼、日本県助役は、自らを「日本国総理大臣」と称し、国連からの独立を宣言した。その夜、神宮外苑で花火が上がったのは言うまでもない。
「日本国」の復活宣言は、日本人を勇気づけた。自分たちの国を取り戻した事は集団的な熱狂を起こすのに十分なインパクトがあった。熱狂した人々は街に繰り出し、あるいは祝杯をあげ、あるいは集まって気勢を上げた。
大阪戎橋周辺はすでに歩くことも困難なほどの群集で埋め尽くされている。若者たちが手にしている旗は、日章旗であった。
群衆は気勢をあげていた。そして日の丸を大きく振りかざしながら、戎橋から道頓堀へと飛び込む者が後を絶たなかった。二人、三人、そして一人、また二人。ヘドロの川へのダイブは、尽きることなく続いていた。飲食店のカニの看板によじ登る者や、フライドチキン店の創業者の人形を川に投げ落とす者さえ現れた。
しかし浮かれてばかりはいられない。「独立の宣言」とは、国連からみれば「宣戦布告」である。再び日本国と国連との戦いが始まったのである。
友頼は、日本だけでこの革命戦争を始めたわけではなかった。世界各地の反国連の地下組織に密書を送り、決起を呼びかけていた。
ヨーロッパでも、アフリカでも、東南アジアでも、友頼の動きに呼応した。各地で国連基地は襲撃され、あっけないほどのもろさで、基地を追われ、武器を奪われていった。そして次々に「国」を名乗り、リーダーは「大統領」や「首相」を名乗った。
後はアメリカ大陸だろう。今のところはまだ平静を保っている北米大陸に、もし、クーデターが飛び火すれば、ニューヨークの国連政府は苦境に陥るであろう。
時の国連大統領は、トーマス・タイラーである。トーマスはジョージの息子であり、選挙も無しに父親から指名され就任していた。もはや世襲である以上「皇帝」と呼ぶほうが実態にあっているかもしれなかった。トーマス・タイラーは、このクーデターの多発を、根は一つと見ていた。すなわち源田友頼である。彼一人葬れば、それで全世界はおさまると見ていた。
「要は日本である。全力を挙げて日本を征伐せよ。ヤツは、あの西条の娘婿だという。そもそも国連の敵だったのだ」
国連直属軍は全力をあげて日本を攻撃すべく、太平洋に集結し、戦闘準備に入った。日本出身者は、攻撃部隊からはずす方針だったが、どうしても加えて欲しいと、異常な熱意で異例の直訴をした軍人がいた。
小次郎である。上層部は彼の熱意に押され、また若い頃の対日戦争での功績もあり、なによりその能力に期待するところも大きく、攻撃部隊として大きな兵力をまかせた。
日本国内では、国連治安憲兵隊がいなくなった今、以前の社会に戻す政策が行われた。漢字使用制限の撤廃、大相撲の復活、その他伝統文化が次々と復活へと向かった。
政治的にも復活したものがあった。その一つが自衛隊である。地頭警察隊は、「守護地頭自衛隊」と名称を変更し、かつての自衛隊と同じ役割を担うことになった。もちろん、その守護地頭自衛隊には宮本武三と吉岡憲がいる。日本人として、日本を守るために、二人は戦う決意に満ちていた。
守護地頭自衛隊、すなわち日本軍と国連直属軍とが、グアム島でにらみあっている。総兵力は国連直属軍のほうが多いが、地球のあちらこちらで反乱が起こっている状態では、兵力をグアムだけに割くことが出来なかった。しかも国連兵士は末端まで動揺しているらしいという秘密の報告もあった。
南の島に朝が訪れた。徹夜でレーダーを監視していた担当者は、南国の朝日を見て望郷の念を募らせていた。
その時、レーダーに不審な陰をみつけた。
「大量の飛行物体だ。しかもこちらに向かいつつある」
警報が鳴り響いた。彼はパニックになった。ハイテクに頼り切っているレーダー担当者は確認する作業を怠った。決められたマニュアルに従うことしか彼の頭にはなく、実戦からは遠ざかり、“訓練のための訓練”をこなすだけになりはてていた。
「敵襲、我が軍の十倍もの空軍機が飛来」
たちまちグアムにいる全軍に伝達された。明け方でまだ多くの兵が寝ていた。
不意の敵襲で叩き起こされた国連直属軍兵士たちは恐怖にとりつかれ、指揮官はとっさに的確な判断が出来なかった。伝達を受けた部隊に、次々とパニックが伝播していった。
「殺される」
その恐怖心だけが伝染病のように軍全体に感染し、一度浮き足立った部隊は冷静さを取り戻すことが出来なかった。パニックに支配されたグアムの国連直属軍は、なんと、戦わずして全軍が退却してしまった。兵舎のベッドには、兵士の私物が置き捨てられたままだった。
国連直属軍は戦わずして逃走した。が、不思議なことに日本軍の戦闘機はやって来なかった。この日、はじめから守護地頭自衛隊は大きな動きをしていなかった。
では、あのレーダーに映った大量の飛行物体は何だったのだろうか?レーダーが捉えた「機影」は、海鳥の群れだった。数百羽の海鳥が群れをなし、一斉に南の方向へ飛び立ったのだ。ただ、それだけの事だった。
「海鳥を敵戦闘機と誤認識する」
常識では考えられない凡ミスである。最新のハイテク機器でこのようなことが起こるとは信じられないが、ハイテク機器だからこそ、ひとつエラーがあればかえってもろい。そして機器とAIが集めたデータを見て判断を下すのは、結局は人間なのである。機械はハイテクでも、それを使う人間の能力の低さが、そして臆病さが、この失態を引き起こした。人間の肉眼で見れば明らかに鳥だというのに。国連直属軍は世界に大恥をさらしたのである。
この出来事が起こった後、国連直属軍では脱走があいつぐようになった。もはや国連直属軍による地球支配は終焉に向かうのではないか、という相場師が株の動きを読むような先読みで、脱走する兵士が増えていった。国連直属軍は急速に弱体化しつつあった。
この時を境にして、タイラー政権は坂道を転げ落ちるように政権基盤を失っていった。各地で反乱が起こり、「国」を名乗り大統領を名乗る地域が続出し、驚くほど短期間で事態は急速に悪化した。
当初ヨーロッパやアジアでクーデターが多発しても、北米の大地は静まりかえっているようにみえたが、それは国連政府樹立時に敗戦を経験したこの大陸の住民たちが慎重になっていたに過ぎない。合衆国の主権回復と、アメリカ文化の拠点ニューヨークの奪回は、実はアメリカ市民の悲願だった。
この時のアメリカ県助役は、元ハリウッドスターであった。彼は俳優時代に「朝日の将軍」という戦争映画で、軍の司令官を演じたことがある。その作品では粗野な田舎者だが豪快で野性味のあるキャラクターが話題になった。
その元俳優が、かつてスクリーンで演じた司令官さながらにクーデターを敢行した。すでに地球上の多くの地域で行われてきた政治現象に過ぎなかったが、ここはアメリカである。
タイラー国連大統領は真っ青になった。今、国連直属軍の主力は太平洋に出払って釘付けになっている。生命の危険を感じたタイラー以下、国連政府高官たちは、脱出するしかなかった。米軍が来る前に、この危険な敵だらけの北米大陸を離れなければならなかった。
「ニュース速報。タイラー国連大統領、ニューヨークから退去。大統領職放棄」
タイラー一族の「都落ち」である。
国連直属軍が撤退した後に、米軍海兵隊が悠々と市街地に入ってきた。ニューヨーカーたちは、熱狂的に祝福し彼らを出迎えた。高層ビルの窓からは、膨大な量の紙吹雪が舞い、大通りの歩道には星条旗を手にした市民で溢れた。道行く車はクラクションを嬉しそうに鳴らし、祖国復興を祝った。
やがて、全世界のテレビ映像は、セントラルパークからの生中継に集中した。公園には大勢の人々が集まり「USA、USA」の大合唱とともに拳を突き上げていた。
この場所にはジョージ・タイラー前国連大統領の巨大な銅像が聳えている。除幕式で「タイラー一族でなければ、人間ではない」との言葉を引き出したあの像である。
米軍兵士たちは、この銅像に太いロープを巻き付けた。その作業が終わるとロープは戦車に繋がれた。米軍戦車にロープを牽かれたタイラー像は、右手を上げたまま、ゆっくりと前方に倒れていった。世界中を監視しているかのようだった巨大な銅像が大きく傾いた直後、USAコールは「うおぉ」という一段高い歓声に変わった。
倒されたタイラー像は、そこにいた多くの市民らによって足蹴にされ、その光景は世界中に配信され、数億人の瞼に焼き付いて離れなかった。
ついに国連地球統一政府は瓦解した。その時点で、法的にはこの軍隊は国連直属軍ではなく、「トーマス・タイラーの私兵」という存在になった。もはやこの軍に従う法的根拠はなく、脱走する者を止めるすべもなかった。
反タイラー連合軍は追撃し、じりじりと包囲の輪を狭めるように兵力を展開した。追いつめられた国連直属軍の残存勢力は、なりふりかまわぬ戦略に出た。東太平洋のガラパゴス諸島に拠ったのである。ここガラパゴス諸島はゾウガメなど希少動物の生息地として知られている。国連直属軍、いやタイラー軍は自然環境を人質にして自軍を守ろうとした。そのために、環境保護団体とマスコミを利用しようとした。
反タイラー連合軍は苦慮した。環境保護団体やマスコミの影響力は思いのほか強く、それを無視しての作戦は、たとえ軍事的に短期の勝利を得ようとも、結局はタイラー一族を利するだけ、と考えられるからである。
この難局を打破すべく、一人の若者がガラパゴスに向かった。
彼の名は、源田常義。源田友頼首相の異母弟である。先の戦争で両親が空襲で焼死し、長兄義平が戦死した時、まだ赤ん坊だったこの愛妾の子は、孤独で過酷な少年期を過ごした。数奇な運命をたどったこの少年が十代の時、地頭警察隊が組織された。彼は迷うことなく入隊し、長兄の後を追うように戦闘機のパイロットとなった。
常義には、どうしてもやらねばならない事があった。兄の仇、タイラー政権を打倒することである。それが彼の人生の全てであった。
怨念、執着、復讐心。彼の心に深く根ざした怨讐は、その人柄に暗い影を落とした。一方でそれは技術習得への強烈な向上心ともなった。誰よりも研究熱心な常義は操縦技術に磨きをかけ、軽快で正確な技は職人芸とも神業とも言われる領域にまで達した。
反タイラー軍は、彼を太平洋の戦線に派遣する事を決めた。行き先は、もちろんガラパゴスである。
空母が激しくゆれている。船酔いに弱い者にとっては地獄だった。
双子のハリケーンが接近している。一つは九二四、もう一つは九一五ヘクトパスカルという猛烈な低気圧は、風速九十六メートルの暴風と、一時間に三十四ミリの大雨をもたらしていた。
敵味方の将兵たちは、この風雨では軍を動かすのは不可能だと誰もが思っていた。
しかし、ただ一人、常義だけはそうは思わなかった。
(双子のハリケーンは、障害などではなく、チャンスではないのか。なぜ、そういう発想が出来ないのか)
翌日、源田常義の航空隊は電撃作戦を開始した。この悪天候を見逃さず、荒海に大きく揺れる空母から、次々と艦載機を離陸させ、一気にガラパゴスへ向かった。
視界の効かない風雨の中をマッハで飛翔し、強い横風を受けながら旋回した。パイロットにとっては命がけのフライトである。が、たとえ好天であっても、戦場で敵に向かうフライトが命がけであることには変わりない、と常義は思っている。
タイラー軍のレーダー監視担当者は、またもや失態を演じた。今度は、迫り来る敵機を、海鳥の群れだと誤認識したのである。
警報の発令が遅れた。
ハリケーンをものともしない命がけのパイロットたちは、無事敵上空に到達し、決められた手順で淡々とミサイルと魚雷を眼下に撃ち込んだ。
激しい雨と、猛烈な強風と、荒海の大きな揺れに加え、ミサイルと魚雷が容赦なく人命を奪っていく。海水と雨水と炎が荒れ狂い、艦は炎上した。
陸上でも、戦車を一台ずつ丹念に潰され、歩兵の宿営地も爆撃を受けて大破し、陸海ともにタイラー軍は大打撃を受けた。
翌朝、風雨がやんだ。
すでに多くの艦隊を撃沈され、多数の航空機を失っていたタイラー軍は、先を争ってガラパゴスから逃亡を始めた。タイラー軍が退却をはじめると、護衛艦に待機していた武三らの陸戦部隊は上陸を開始した。敵の抵抗はない。小型ボートから降りると、武三と吉岡はガラパゴスの砂浜を銃を持って走った。ひさしぶりに太陽が顔を出していた。その足下には、多数のゾウガメの死体が散乱していた。常義にとっては戦争に勝つことが全てで、稀少動物のことなど全く考慮していなかった。
はるか沖合に輸送船が見える。逃げ遅れた敵海軍であった。高倍率の双眼鏡で見ると、その船尾に扇子が高く掲げられていた。その下で、白いセーラー服の水兵が大きく手を振っている。
「この扇を撃ってみろ」とでも、言いたげに見える。
その輸送船は、空から攻撃すれば簡単に撃沈できるかもしれない。だが、ほうほうの体で逃げているはずの敵艦が、降伏もせず憎らしいほどの余裕を見せつけている。放置すれば士気にかかわるだろう。
その時、武三の隣にいた梨野与一という若者が突然連隊長の前に進み出た。
「自分が撃ち落としてみせます」
連隊長が無言でうなずくと、彼は携帯式ロケット砲を左肩にかついで、波打ち際に片膝をついた。寄せては返す白い波が、梨野の足下を濡らす。彼は扇に狙いを定めた。
梨野与一の肩の上から、轟音とともに発射されたロケット弾は、白い煙の尾を引いてまっすぐに進んで、船尾の扇子を射落とし、背後の機関銃砲座に着弾し爆発を起こした。
「やったぜ」
まだ二十歳の梨野は顔を紅潮させ、親指をたててガッツポーズをつくった。
タイラー軍は、西太平洋を放棄し、その海域で日本軍と対峙していた兵力は、トーマスらと合流した。彼らは南米大陸を南下して抵抗し続けたが、次第にその数を減らしていった。兵力が少なくなった以上、分散していては各個に撃破されてしまう。世界中のタイラー軍は、急ぎ集結していった。ひとかたまりになることで、戦力の温存を図った。そして生き残りのために、一気に南米大陸の端まで退却して態勢を整えることにした。
小次郎は脱走しない。多くの同僚や部下や上官が脱走しても小次郎はタイラー軍に踏みとどまった。
「あんな連中に降れるか」という腹であり、低級で狭い視野しかもたない日本人に、自分のような優秀な人間が膝を屈するのなど、プライドが許さなかった。ここで降っては小次郎の人生は存在意義がなくなってしまう。最後まで低能な日本人どもに、自分の優れた力を見せ付けて目を醒まさせてやらなければならなかった。そうしなければ、徴兵されてからの後の人生が全て否定されることになってしまう。
ベンチャー企業の社長として順風満帆だった人生を徴兵でリセットされ、その後、自らの意思で職業軍人となり国連政府を支えることを選んだ人生を全否定されることだ。それは小次郎にとって耐え難いことだった。小次郎は、タイラー元大統領と最後まで運命をともにする覚悟を決めた。
トーマス・タイラーは、少数の軍しか寄せ付けない険しく狭い海峡に布陣するしかないと判断した。ひたすら南下して南極大陸にほど近いマゼラン海峡に着いた。この狭隘な地形で決戦し、起死回生を狙うしかあるまい。この地で天才的な敵将、源田常義の命を絶つ事が出来れば、戦局は反転するかもしれない。残された方法はそれしかなかった。マゼラン海峡の狭隘な地形は、大軍の有利さを活かすことが出来ない。少数の軍が大軍と戦うにはうってつけの地であろう。
敗れれば逃げる場所は南極大陸しかない。しかし南極で生き延びるだけの装備は持っていない。まさに背水の陣、いや「背氷の陣」といえるだろう。最後の決戦になるはずだ。
高緯度の弱々しい太陽が、厚い雲の向こうにかすかに見える。初夏だというのに陰気なこの狭い海峡を挟んで、両軍が対峙している。
民族の誇りか、それとも地球人としての団結か。
何十年も前から繰り返し議論されてきたこの論争は、ここへ来て、大陸の南端に集結した軍事力に集約されたといえるだろう。
海峡に集結した両軍兵士たちは、極度に緊張を高めていた。死ぬも生きるも、この一戦。もし、源田常義の生命を奪えれば、寝返って去って行った者どもも、再び国連の旗の元に集まり、ニューヨークを奪回出来るように風向きが変わるかもしれない。
日の出とともに決戦の火蓋は切って落とされた。戦闘機が轟音をたてて狭い空域を飛び交い、爆発音が途切れることはなかった。水柱が林立し、炎と熱風が渦を巻いた。鉄板が破れ、人の一部分が飛び散った。
数時間が過ぎた。
激しい戦闘はまだ続いている。勝敗の行方は分からない。陽が西に傾きかけたころ、武三らの陸戦部隊は、海峡の狭隘部で敵艦隊を待ち伏せすることを命じられた。戦車を海に向けて配置し、ロケット砲の陣地を作った。
武三と吉岡は待った。ひたすら待機した。敵の艦船が、目の前の狭い水路を通過するのを。その時が来れば、側面から砲撃し撃沈するのが任務である。
武三は、この日のために砲撃訓練に励んできた。日本人の魂を奪ってきた、そして世界中の人間を不幸にしてきたタイラー一族を倒すため、砲撃技術を磨いてきた。もう二度と暗い時代に後戻りさせてはならない。そんな武三の気持ちが、訓練を充実させてきた。
待つこと一時間弱。ついにその時が来た。敵の艦隊が上空の守護地頭自衛隊戦闘機と砲火を交えながら、こちらに向かって進んできた。
「撃ち方、はじめぇ」
ロケット砲の発射音が耳をつんざき、火薬の臭いがあたり一帯に立ちこめた。武三らの部隊が撃つ砲弾は、海峡を通過しようとする敵艦隊に命中し、火災を起こした。
が、敵も黙ってはいない。戦艦の主砲から繰り出される艦砲射撃は、武三らの陣地を容赦なく襲った。砲台が吹っ飛び、人の足が空中を舞い、もがれた腕が地にころがった。
「こんな所で死んでたまるか」
武三の戦意は、いささかも挫けることはなかった。
「ヒュー」という不気味な飛翔音が響き渡った。
部隊はいっせいに塹壕に身を隠した。猛烈な爆発が起こり、土を巻き上げた。
ふと見ると、三メートル先に吉岡が倒れている。
「よ、よしお………」
武三は絶句した。が、戦況は逼迫している。感傷的になっている暇などなかった。吉岡の身を案じながらも、訓練で数限りなく繰り返してきた作業に黙々と取り組んだ。今はそれしかなかった。武三は集中していた。とにかく今は、やるべき事に精神を集中し、やるしかない。それが彼の悔い多き半生のやり直しだった。
一隻の軍艦が、目の前を通過しようとしている。主要な敵艦の姿を、写真で全て暗記してきた武三は、目の前の敵艦を見て全身が奮い立つのを感じた。
「旗艦ロクハラ号だ!」
タイラー軍の旗艦である。見た目は地味で、どちらかというと目立たない艦だが、そこに最高司令官が乗船していることを、武三は知っていた。
武三は照準を定めた。
あの旗艦には、タイラー軍全体を統括する大型コンピュータが搭載されている。敵軍首脳がいる。そして、情報を集約し伝達する頭脳の役割を果たしている。
「なんとしても撃沈したい」
武三の執念が砲弾に乗り移ったとしかいいようがない。
大地を揺るがす大きな音とともに、「運命の一弾」が、マゼラン海峡の空を突き進んでいった。
時刻は午後四時三十七分だった。宮本武三が放った砲弾は、旗艦ロクハラ号の最高司令室に着弾した。
「武三の一弾が歴史を変えた」というのは大袈裟かもしれない。武三が撃たなくても、他の兵士がその役割をになったかもしれない。だが、偶然にも、歴史の転轍機の役割が武三にまわってきた。
艦隊の最高首脳部に死傷者が出た。トップの人物の多くが死に、あるいは重傷を負い、動けなくなった。司令室の大型コンピュータは破壊され、システムはダウンした。
この一弾を境に、戦局は大きく動いた。タイラー軍最高司令部は、指揮の機能を失った。指揮命令系統を失ったタイラー軍は組織的な戦闘が出来なくなった。互角だった戦況の均衡が破れ、急激にタイラー軍は勢いを失った。
末端の兵員たちは健在で、懸命に戦闘を続けているものの、情報が伝わって来ない。コンピュータシステムはダウンし、敵軍の状況が把握出来ない。司令部との通信も出来ない。まさに目隠しをされた状態に陥り、部隊間の連携もとれなくなり、軍は支離滅裂になった。
やがて混乱をはじめ、兵器の故障も倍増し、ついには壊滅的な打撃を受けた。もはや戦争は一方的な展開になり、タイラー軍は空母も戦艦も艦載機も、その数を減らしていった。ひとたび押され始めたタイラー軍は、再び戦況を盛り返すことはなかった。あっという間に総崩れになっていった。
破損した戦闘機を空母に不時着させた小次郎は、甲板上に降りたった。そこに対空砲を見つけるや、今度はそれで日本の戦闘機を撃ちまくった。勝敗のゆくえはほとんど決していながら、不必要なほど敵戦闘機を狙撃し続けた。
やがて対空砲が被弾して使用不能となり、小次郎自身も肩を負傷した。
「もはやこれまで」
小次郎は甲板上にあった鉄の鎖を、自らの体に巻き付けた。それもグルグル巻きにし、その先に鉄の破片を錘としてつないだ。
今まで何をやっても優秀だった自分。それが、無能な地球人ども、無能な日本人どもに敗れた。壮大な宇宙を知らないで、古臭い前時代の愛国心に凝り固まった化石人間に降伏するなど、小次郎のプライドが許さなかった。そんな事はあってはならないはずだった。
小次郎は、甲板の一番手前に仁王立ちになるや、カッと目を見開いて敵戦闘機の飛び回っている空を見上げた。
「見るべきものは、すべて見た」
そうつぶやくと、両足で跳躍し、虚空へとその肉体を運んだ。白い波しぶきとともに、佐々岡小次郎の体はマゼラン海峡へと消えていった。
かつて世界中に権勢をふるったタイラー一族は、次々と海中にその身を投げ、その権力の終焉をむかえつつあった。この地球という一つの惑星を手中におさめ、地球統一政府のトップに君臨した男も、ついに最期の時を迎えた。トーマス・タイラーは甲板上でしばらく空を見上げていたが、やがて海に向かって身を投げた。
五歳になるトーマスの孫も、その祖母に手を握りしめられながら甲板に立った。
「おばあちゃん、これからどうするの」
「波の下にも、ニューヨークがあるのですよ。これから一緒に行きましょう」
敬虔なイギリス正教信者であるトーマスの妻は、孫とともに十字をきった。
「主よ……」
紅葉のような小さな手に十字架を握らせ、二人は冷たい海へと消えていった。
誰一人、生き残ろうとしている者はいなかった。女も子供も、手に手をとりあって、甲板から海へ身を投げた。南極に近い冷たい海は、激しく波打ち、白いしぶきをあげながら、多くの命を飲み込んでいった。
タイラー軍は、わずか一日の戦闘で潰えた。
十二月二十二日、夏至。南半球では昼が最も長いこの日、高緯度のマゼラン海峡では午後八時を過ぎても日輪は天空にあって、戦闘機の残骸を照らしていた。




