第二章ー1 西条と小久保
第二章 西条と小久保
桜が咲いている。皇居の外濠では、満開の桜が見る者の目を楽しませていた。
戦争が終わった。世界は一つになった。きっといい世の中が来るに違いない。外濠の釣り人が柔和な顔で缶ビールを飲みながら釣り糸を垂れていた。穏やかな春の日差しに、桜の花びらが、ひらひらと舞っていた。
西条隆が日本を発ったのは、そんな穏やかな早春のことだった。向かった先はニューヨークである。
憲法を作らなければならない。この惑星を「統一された一つの国」とするために、国連地球統一政府の背骨ともいうべき憲法がなければ、国連は「政府」とはいえない。国連「憲章」ではなくて国連「憲法」である。世界が歓喜に包まれてから半年が過ぎていた。誕生したばかりの国連地球統一政府の要職に就いたのは、アメリカ打倒の功労者であった日本の西条と小久保だった。
国連軍、すなわち自衛隊と中国軍に主権を委譲されていたニューヨークについた西条は、一ヶ月前にこの街に住居を移していた小久保通に会った。
「憲法の草案を見せてもらおう」
西条は小久保から分厚い書類を受け取った。表紙には「極秘」という文字がゴシックで印字されていた。文書は日本語である。最終的には英語で記さねばならないが、小久保は日本語で思考する脳を持っている。彼は憲法草案を日本語で作った。
数日後の会合までに西条は目を通しておかねばならないが、この日は政治の話をいっさいしないで、久しぶりに幼なじみとジョッキを傾け、よもやま話に終始した。窓から見える摩天楼の夜景は二人の友情に華を添えた。西条は夜が更けてから分厚い書類を持ってホテルへ戻った。
次の朝、ホテルで小久保の作った憲法草案に目を通した西条は深刻な表情でつぶやいた。
「あいつ…」
親友との決別のはじまりだった。
雲一つない青空に、自由の女神が屹立している。そこからイースト川に入り、川を遡った所に、四角い国連本部ビルが聳えている。
会議室では、小久保が憲法草案について説明をしている。西条の他、国連政府メンバーの中国首相らが資料に目を落としつつ静かに聞き入っていた。小久保の抑揚を抑えた日本語だけが、室内に響いていた。
「現在の国連政府は、実体がありません。日本政府と中国政府が国連という名前で運営しているのが実像です」
「国連軍というが、国連は兵隊も武器も全く所有していません。持っているのは各国政府です。つまり『連合軍』が国連軍と名乗っているだけです。二十世紀に国連が出来たころと変わっていません」
小久保の憲法草案では、「どの国にも属さない国連直属の軍隊」を創設するという。やがては各国軍隊を全て解散し、すべての国は武装解除し、国連だけが唯一軍隊を持てるようにする。
「国連政府、国連職員、国連軍の兵、これらの人間はすべて国籍を離脱し、『どこの国にも属さない国連直属の人間』になるようにします」
「ちょっと待て」
西条が口を開いた。
「ということは、オレも、お前も、日本人ではなくなる、ということか?」
「その通り。私はすでに日本人ではない。地球人です。これからは国連新政府の全員が、それぞれの国民であることをやめて、『自分は地球人である』という自覚を持って欲しいのです」
「国を捨てるということか」
「わからない人だな。地球が一つの国なんです。このことは皆さん、ご理解しているはずでしょう」
小久保の話は理論的で明快なのが特徴だ。小久保はさらに続けた。
「国連直属軍は、全地球人を対象に、徴兵をします。徴兵された人間は、ただちに出身の国籍を離脱します。各国の中で国軍の武装解除に応じない国があれば、国連直属軍は討伐します。たとえそれが日本であっても中国であっても」
さらに小久保は理念を述べた。
「有史以来、地球上では国境紛争が起こり、それが戦争の大きな原因になってきました。“国境を無くす”のです。今、横浜市と川崎市が軍隊をもって市境争いの戦争をしますか?」
「本当の意味での国連軍が、武装解除した国と国の争いを調停します。そうすれば、長年にわたる中東やアフリカの紛争も、すべて解決します。国連が強いリーダーシップを発揮し、異議を一切認めない。異議を唱えるものは討伐すればよい。地球は一つなんだから」
西条が反論する。
「それでは“国連によるファシズム”になる心配はないのか?国連政府が中東その他の紛争の調停に乗り出すのは良いが、有無を言わさず反対国を討伐していいのか」
「ファシズムではない。国連政府は地球人みんなのものだ。そのために各国に武装解除してもらうのだ。国連だけが唯一武力を持つ存在になれば、この地球上から、一切の戦争はなくなる。国連が強くなることだけが、地球の平和をもたらすのだ」
「社会はそんな単純なものじゃない。世界には多くの民族がいて民族紛争はそうは簡単になくならない。国連政府に要人を送り込んでいる民族だけが得をして、他民族を虐待することを正当化できてしまう危険はないのか」
中国人通訳が日本語で声をあげた。中国首相が小久保を援護する。
「地球統一政府を作るために、我々は協力してアメリカを倒したのではなかったのか。国連政府が出来る前のことを思いだしてみろ。アメリカ一国が事実上世界を支配していたではないか。そんな体制をぶちこわすため、長年苦労して、尊い人命を失って、やっと念願の国連地球統一政府が出来た。国連の強化、それは軍事力を当然伴う。国連の軍事力が弱ければ理想も絵に描いた餅でしかなくなる。私は小久保さんの草案を支持する」
再び小久保が持論を述べる。
「急いでやらねばならないのは、『国連直属軍』の創設だ。急ぎ、徴兵をしなければならない。各国の武装解除は今すぐは難しいが、直属軍が整備されれば十年以内にも可能だと、私は確信している」
「それから国連の収入の仕組みも改革する。今までは、各国が分担金を負担していたが、この方法を廃止する。代わりに、国連が人民から直接税金を徴収する」
「各国の国税局は、全て国連の傘下に入り、税金は国家ではなく国連に納めてもらう」
「今まで国家がやってきた仕事を、これからは国連が全て代行するのだ。国という単位の行政組織は必要なくなる。だから“国税”というものも必要なくなる」
「……」
西条にとって、小久保が主張することは全くの初耳ではない。宇宙人来航以来、内外で繰り返されてきた議論ではある。しかし所詮は「理想論、極論」であり、実現可能なことだとは、正直いって西条には思えなかった。もし本当に実現してしまったら、大混乱が起こるのではないか。そんな気がしてならない。
西条は小久保案を(頭ではわかる。しかし、心ではわからない)といったところだろう。一方、小久保は西条の気持ちをわかっていた。しかし(余計な感傷など要らない)と声を大にして叫びたかった。
この会議には数名の国連政府の要職が出席していたが、多くは小久保と同意見であった。国連による地球統一政府という理念は、この時代の常識であり、熱狂的なイデオロギーと化していた。その熱烈な支持者たちが、今、この会議室にいる新政府の高官たちなのである。西条もその一人ではなかったのか。彼らからみると「西条は今更何を言っているんだ」と思えた。西条は孤立していた。
話し合いは数週間続いた。しかし議論は平行線をたどるばかりである。ここまで基本的な考え方が違っている以上、歩み寄りは不可能であると、出席している誰もが思うようになった。
西条がニューヨークを去ったのは、それから一ヶ月後のことである。西条の新政府離脱を世界中のマスコミすべてが一面トップで伝えた。
このニュースは、日本では好意的に受けとめられていた。「西条首相ついに下野」「一方的なニューヨーク新政府に不信感」と。
だが、世界の論調は違っていた。人類史上初めて誕生した国連地球統一政府。地球人類を希望に満ちた未来に導くであろうこの画期的な新政府に冷や水を浴びせ、その職務を放棄した西条に対し、厳しい視線を投げかけていた。
そして、新政府樹立に大きな功績のあった日本が協力的でなければ、せっかくの地球統一政府も空中分解してしまうのではないか、という観測が世界中に広がり、先行きの見えない不安感が伝播していった。いったいこの地球は、この先どこへ向かうのだろうか。
西条隆は東京に戻り、日本国総理大臣としての職務に専念することになった。一方の小久保通は、「初代国連大統領」に就任し、この惑星の最高権力者に君臨した。
小久保大統領のもとで、国連政府は本格的に改革に着手し始めた。まず各国の国税に関する役所を、全て国連の直属機関にした。これにより税金は国民から直接国連に入るようになった。
小久保の次の改革は軍である。徴兵制をしき、世界中から兵員を集め、国籍から離脱させ、「国連人」による「国連直属軍」を作ることである。
ある日、日本の若者のもとに「赤紙」が届いた。若者は国連直属軍のことをニュースでは聞いていたが、まさか自分が徴兵されるとは思っていなかった。第一、日本には徴兵制がない。自衛隊は完全志願制である。
しかし、自衛隊は志願制でも、国連直属軍は徴兵制なのである。国連憲法は日本国憲法を超越している。
日本だけでなく、ありとあらゆる国々の若者が徴兵され、その国籍を離脱しはじめた。国連直属軍の規模は急ピッチで増え続け、装備も最新のセイヨウ星技術の宇宙兵器をそろえ、地球上のどの軍隊よりも充実してきた。
国連直属軍が、圧倒的な戦力を整えるや、小久保大統領は全世界の国々にたいして武装解除命令を出した。
「各国は、一年以内にその国軍を解散し、すみやかに武装解除せよ。その意思なしとみなした国へは、武力攻撃を行う」
もし、「どこかの国」が軍隊を解散させない場合、「その国」と国連直属軍が戦うこともあるだろう。




