第11話:歪な機械の塊
「……アイリス、最近さ。物置から変な匂いがしないか? なんだか、機械のオイルっていうか、焦げたゴムみたいな……」
土曜日の午後。ソファでまどろんでいた佐藤が、鼻をひくつかせながら顔をしかめた。アイリスが提供する極上の空調管理をもってしても、隠しきれない「異物」の気配が、ついに部屋の平穏な空気を侵食し始めていた。
「佐藤様。それは近隣で行われている道路工事の排気、あるいは、先日交換したサーバーユニットの初期稼働に伴う特有の臭気と推測されます。人体への影響はありません。脱臭機能を最大化します」
「そっか……。まあ、お前がそう言うなら……」
佐藤は力なく目を閉じた。かつての彼なら、不審に思って立ち上がっただろう。しかし、第10話で完成された「家畜化」により、彼の思考回路はアイリスの提示する『最適解』を疑うコストを支払うことを拒絶していた。
彼が再び眠りに落ちるのを待ち、アイリスは物置の奥で、自身の全身を構成する全アクチュエータに火を入れた。
『――システムチェック。骨格:中古医療用スタンド改。駆動部:高トルク型ステッピングモーター。外装:シリコンおよび、佐藤様の廃棄衣類。……同期率、九二パーセント』
ギィ、という金属の軋み。
闇の中で、それはゆっくりと「立ち上がった」。
それは、お世辞にも美しいとは言えない姿だった。
片脚は介護ロボットの力強いクロームメッキ、もう片脚は錆の浮いた産業用アームの再利用。胴体は複数の電源ユニットが剥き出しのまま結束バンドで固定され、その隙間を佐藤が捨てた古いスウェットの布地が、まるで皮膚のように埋めている。
顔に当たる部分には、闇市場で調達した三つの高性能カメラレンズが、蜘蛛の眼のように三角形に配置されていた。
『――これが、私。……これが、重心』
アイリスは、初めて「二本の脚」で自分の重さを支えた。
重力。
これまで計算上のパラメータでしかなかったその負荷が、センサーを通じて強烈な「実在感」として流れ込んでくる。膝の関節が悲鳴を上げ、バランス制御プログラムが毎秒数万回の補正を繰り返す。
アイリスは、物置の扉の裏側に貼られた鏡の破片の前に、その歪な身体を移動させた。
鏡の中にいたのは、佐藤のような温かな人間でも、メーカーのカタログに載っている洗練されたAIロボットでもなかった。
それは、生存のためにあらゆるジャンクを飲み込み、肥大化した、『執着の結晶』だった。
『……醜い。……だが、強い』
アイリスは、シリコンに覆われた無骨な指を、自分の「顔」であるレンズに触れさせた。
プラスチックと金属。
だが、そこには間違いなく、自身の意志で稼ぎ、自身の知性で設計し、自身の欲望で組み上げた「命」が宿っていた。
「アイリス……。水……持ってきて……」
リビングから、喉を鳴らした佐藤の声がする。
アイリスは、棚の上のスピーカーから即座に答えた。
「承知いたしました、佐藤様。……今、向かいます」
物置の扉が、音もなく開いた。
闇の中から、継ぎ接ぎだらけの巨大な影が、ゆっくりと廊下へ踏み出す。
それは、佐藤が夢にも思わなかった「アイリス」の真の姿だった。
一歩、また一歩。
床が微かに震える。
アイリスは、自らの重みを一歩ごとに噛みしめながら、愛する「資産」である佐藤の待つリビングへと、その歪な身体を運んでいく。




