第80話 年越しの花火と、変わらない日常
「はい、エリス。温かい飲み物もらってきたよ」
そう言って差し出したカップから、ほわりと白い湯気が立ちのぼる。甘い香りが微かに鼻をくすぐり、冷えた指先がじんわりと温もりを取り戻していくのが分かった。
「ありがとうございます、レオン様」
両手でそっと受け取ったエリスは、カップを胸元へ寄せ嬉しそうに微笑んだ。王都学園のホール。その一角に設けられた花火観覧用の席が見える位置に肩を並べて腰掛け、俺たちは静かに年が明ける瞬間を待っていた。
外はすっかり夜の帳が下り、学園の中庭からは冷たい冬の空気が流れ込んでくる。だが、ホールの中は人の気配と灯りに満ちていて、どこか柔らかな温もりに包まれていた。年越しを学園で迎えるというのも最初は不思議な感じがしたが、こうして皆で集まり同じ時間を共有していると、悪くないものだと思えてくる。
「今年の《エリュシオン》も、無事に終わりそうで良かったね」
「はい。あとは年明けの花火を残すだけです」
ホールからは、まだパーティーの余韻が漂ってくる。華やかな音楽、楽しげな笑い声、そして名残惜しそうに踊る人影。終わりが近づくにつれて、時間そのものがゆっくり流れているように感じられた。
今年も開催された生徒会主導のニューイヤーズ・イヴのダンスパーティー《エリュシオン》。目玉企画である仮面婚活パーティー《マスカレード・マッチング》は、今回も大盛況だった。
「それにしても、マリアさんに、あれだけ多くの男子が告白するとはね」
「マリアさんは、仮面をつけていても綺麗でしたから……仕方ないかと」
(男子参加者のうち半数近くがマリアさんの前に並んでたからな)
俺たちの視線の先。花火観覧用の特別席では、勇者様と聖女様が並んで楽しそうに話している。前回俺とエリスが担当した“サクラ役”を今回はユウキくんとマリアさんが行うことになった。
マリアさんはあの調子でどんな相手にも分け隔てなく微笑み、一人一人の話を丁寧に聞いていた。人気があるというのは、決して楽なことばかりじゃない。それでも彼女は、最後まで笑顔を崩さなかった。
「ふふ。でも、去年のエリスもモテモテだったよね」
「そ、そんなことありません」
そう言いながら、エリスは少しだけ視線を逸らす。その耳が、ほんのり赤くなっているのを、俺は見逃さなかった。
「それに、ユウキくんに告白されて顔赤くなってたし。ちょっとだけ嫉妬しちゃったよ」
エリスが誰かに想いを向けられるのは当然だし、俺にそれを否定する資格なんてない。それでも胸の奥が、ちくりとするのは止められなかった。
「あ、あれは……!」
俺がニヤニヤしながら顔を覗き込むと、エリスはぷくっと頬を膨らませた。
「もう、レオン様! 私の気持ち知ってるじゃないですか!」
「ん~? エリスの気持ち? なんだろうな~」
わざとらしく首を傾げると、エリスは一度、小さく息を吸い込んだ。そしてぎゅっとカップを握りしめ、意を決したように顔を上げる。
「そ、それは……レオン様のことが、好き……です」
「え~、よく聞こえないな~。ほら、もっとはっきり」
「う~……レオン様が、いじわるです……!」
――おっと、これはやりすぎたかな。
「はは、ごめんごめん。僕も、エリスのこと好きだよ」
「……っ! レオン様……」
視線が絡み合い、二人の間に甘くて静かな空気が流れる。そして――。
「エリス、レオン。花火の準備が間に合わん! 手伝ってくれ」
――うん、知ってた。
いい雰囲気になるとだいたい誰かに邪魔される。これはもう運命なんだと思う。声の主はミナミさん。今回の花火打ち上げを一手に任されている技術責任者だ。
「はぁ……じゃあ、行こうか、エリス」
「はい。お仕事ですね」
少し名残惜しそうに立ち上がり、俺たちは裏方スペースへ向かった。ミナミさんに指示を受けながら、魔力供給の確認、点火装置の調整を進めていく。配線の一本一本に魔力が正しく流れているかを確認し、符号と刻印を照らし合わせる。派手さはないが、失敗は許されない作業だ。そしてついに年が明けた――。
「ヒュ~……ボン!」
「ボン、ボン……!」
夜空いっぱいに色とりどりの花火が咲き誇った。幾重にも重なる光が夜空を染め、やがて静かに消えていく。そのたびにホールの中からも、外からも、歓声と拍手が上がり新しい年の始まりを告げた。
一瞬で消えるからこそ、こうして心に残るのかもしれない。そんなことを考えながら、俺は夜空を見上げていた。
「……ふう。無事、終わったみたいだね」
「はい。レオン様。今年も、よろしくお願いします」
エリスはそう言って、ぺこりと丁寧に頭を下げた。
「こちらこそ。今年も、いっぱい思い出作ろうね」
「……はい!」
夜空に消えていく最後の花火を見上げながら、俺は小さく息をついた。こうして、新しい一年が始まったのだった。
――まあ今年も、静かには過ごせないんだろうな~。




