第66話 婚約と、別れの始まり
季節は初夏。日差しは日ごとに強くなり、教室の窓から吹き込む風も、どこか生ぬるい。それなのに俺の心は、どんよりと曇ったままだった。
「……はぁ……」
机に突っ伏していると、横から呆れたような声が飛んできた。
「なんだ。まだエリス嬢とぎくしゃくしたままか」
顔を上げると、そこには腕を組んだリヒト様の姿があった。
「……うん」
「まったく。ウジウジしているくらいなら、さっさと話しかけてくればいいものを」
「いや、カインくん。それが出来たら悩んでないよ」
カインくんが冷静に突っ込んでくるが、正論すぎて胸が痛い。エリスの元気が戻らないまま、気付けば数か月が経っていた。話しかけようとすると視線を逸らされ、距離を詰めようとすると一歩下がられる。その目は、嫌悪というより……何かを隠すようで。
(……避けてる、だけじゃないのかな?)
思わず遠い目になってしまった。
「でも、このままじゃダメだよね……よし」
俺は深呼吸し、意を決して立ち上がる。
「お、やっと決心したか」
「骨は拾ってやるから当たって砕けてこい」
「いや、砕けちゃダメじゃん!」
リヒト様とカインくんに見守られながら俺はエリスの元へと向かった。
「エリス。今日、みんなで一緒にお昼――」
その瞬間だった。ガラッ、と教室の扉が開き、視線が一斉にそちらへ向く。入ってきたのは背が高く、整った顔立ちのいかにも爽やかイケメンな男子生徒。そして、迷いのない足取りでエリスの前まで来ると、にこやかに微笑んだ。
「エリス。迎えに来たよ」
「……へ?」
――いや、誰?
間の抜けた声を出したのは、エリスではない、俺だった。教室が一瞬、静まり返る。
「……フェルナンド様……」
エリスが小さく呟く。
「えっと、エリス。こちらは……?」
俺が尋ねると、エリスは目を伏せてしまった。
「おや、これはレオン様ですね。エリスからお話は伺っております」
俺に気づいた男子生徒が一歩前に出て、優雅に一礼した。
「私はクロイツ子爵家のフェルナンド。エリスの婚約者です。どうぞ、よろしく」
「これはご丁寧に。レオン・フォン・バルトルです。……って、え? 婚約者!?」
思わず声を張り上げる俺。その一言で、教室がざわりと揺れた。エリスは、少しだけ申し訳なさそうに視線を伏せている。
「はい。それでは行こうか、エリス」
フェルナンドくんは自然な仕草で、エリスの肩に手を回し、そのまま何事もなかったかのように教室を出て行ってしまった。
「………………」
取り残された俺は、完全にフリーズしていた。
「おい、レオン! 大丈夫か!?」
「ダメです。あまりのショックに死んでます」
「いや、死んでないよ!」
リヒト様とカインくんに揺さぶられ、どうにか意識を取り戻す。……が、頭の中は大混乱だった。
翌日。
「ワーオ。エリス、結婚しちゃうデスか」
「婚約だから、結婚はまだ先だと思うよ」
「ぐぬぬ……私のエリスが……」
カフェテリアで、いつもの面々と合流する。
「しかし、エリス嬢が婚約していたとはな。レオンは知らなかったのか」
「いや、聞いたことなかったよ……」
リヒト様の問いに、力なく答える。
「フェルナンドについて、少し調べてきたぞ」
そう言って、カインくんが手帳を開いた。
「クロイツ子爵家の次男。今年入学の一年次生だ」
「オー。フェルナンドくんデスね。一年の女子生徒の間でキャーキャー言われてましたよ」
「そうだな。成績は学年上位、魔法使いとしても優秀らしい」
――何その完璧超人。
(それじゃ、エリスが惹かれるのも無理ないか……)
俺が項垂れていると、突然ミナミさんが突進してきた。
「おい、レオン! そんな奴にエリス取られていいのか!」
「いや、取られるって……でも、エリスが選んだ相手なら……」
次の瞬間。
「バカヤロー!!」
ゴスッ。
「いった!? ちょっと何するのミナミさん!?」
「うるさい! ヘタレにはこれくらいでも足りないくらいだ!」
「まあまあ、落ち着いてミナミさん」
俺に蹴りを入れているミナミさんをユウキくんが慌てて止めに入る。
「しかし、本当にいいのか? このままで」
リヒト様が、真剣な表情で問いかけてきた。
「……えっと……うん。エリスが幸せになるなら」
そう答えた。それは、嘘じゃない。
だけど――。
(……本当に、それでいいのか?)
胸の奥に、どうしても消えない想いが残っている。エリスの幸せを願って身を引きたい気持ちと、それでも諦めきれない自分の気持ち。
――俺は一体……どうすればいいんだろう。
優柔不断な俺に数日後、さらなる追い打ちが……。
「え~、急ではありますが――」
朝のホームルームの時間。アレクシス先生から突如として知らされた。
「エリスティアさんは結婚が決まったため、本校を退学することとなりました」
「……え? 退学? 結婚?」
その言葉の意味を、俺の頭が理解するまで、少し時間がかかった。あまりの衝撃に俺はどうしていいか分からなくなってしまった。




