第八話 愛を結晶にした者
夜。
神殿の封印室。
机の上では歪んだ愛の結晶が静かに脈打っている。
ドクン。
ドクン。
『さみしい……』
『ひとりは……いや……』
声は微かだった。
だが確かに聞こえる。
ディエスは思わず宝玉を見つめた。
もし本当に感情そのものが宿っているのなら。
これは誰の感情なのだろうか。
テルモティアも同じことを考えていた。
「感情結晶論は途中までしか残っていない。」
古文書を閉じながら言う。
「だが一つだけ分かる。」
「これを作った者がいる。」
ディエスが頷いた。
自然発生ではない。
少なくともこの規模は。
誰かが意図的に生み出した可能性が高い。
その時だった。
神殿の扉が開く。
一人の神官が慌てた様子で入ってきた。
「テルモティア様!」
「どうした。」
「これを……」
神官が差し出したのは古い紙だった。
どうやら匿名で届けられたらしい。
差出人は不明。
テルモティアが紙を開く。
そこには短い文章だけが記されていた。
『結晶を知りたければ、北の丘へ。』
『答えは眠る墓にある。』
沈黙。
ディエスが呟く。
「怪しすぎますね。」
「怪しいな。」
テルモティアも即答した。
でも、
二人とも同じことを思っていた。
行くしかない。
翌朝。
北の丘。
古い墓地が広がっている。
歴史上の人物や英雄が眠る場所だ。
風が静かに吹いている。
「で。」
ディエスが辺りを見回す。
「どの墓でしょう。」
テルモティアも困った顔になる。
ヒントが少なすぎる。
その時。
懐の宝玉が震えた。
ドクン。
「!」
宝玉が反応している。
さらに。
ドクン。
脈動が強くなる。
まるで何かを求めるように。
ディエスはゆっくり歩き出した。
宝玉の反応を頼りに。
そして、
墓地の最奥。
一つの墓の前で反応が止まる。
そこは他と違った。
立派な墓ではない。
豪華な装飾もない。
ただ小さな石碑だけ。
そこに刻まれた名前。
エロピス=アガピトス
ディエスは眉をひそめる。
「アガピトス……?」
どこかで聞いた姓だった。
そして思い出す。
「アマルティアと同じ姓だ。」
テルモティアも気づく。
「先祖か。」
墓石にはさらに文字が刻まれていた。
『誰よりも人を愛した者』
『誰よりも孤独だった者』
風が吹く。
その瞬間。
宝玉が激しく脈打った。
ドクン!!
眩しい光が溢れる。
「下がれ!」
テルモティアが叫ぶ。
だが遅かった。
視界が白く染まる。
世界が揺らぐ。
そして、
ディエスの目の前に知らない光景が現れた。
まるで誰かの記憶。
知らない町。
知らない時代。
一人の少女がいた。
金色の髪。
優しい笑顔。
そして彼女を見つめる一人の青年。
その瞳には深い愛情が宿っていた。
ディエスは直感する。
これが。
エロピス=アガピトス。
愛を結晶にした者。
彼の記憶だ。
でも、
その映像の奥で。
誰かが静かに笑っていた。
見覚えのある帽子。
見覚えのある姿。
アパティス=エンプロス。
ありえない。
時代が違う。
それなのに。
商人はそこにいた。
まるで昔から存在していたかのように。
そして、
彼はディエスの方を見た。
記憶の中なのに。
真っ直ぐ。
こちらを。
「ようやく辿り着きましたね。」
ディエスの全身に鳥肌が立つ。
記憶の中の人物が。
こちらを認識している。
「なっ……」
アパティスは微笑んだ。
「それは失敗作です。」
「ですが。」
彼は墓を見つめる。
どこか悲しそうに。
そして呟いた。
「彼は本当に愛していた。」
光景が揺らぐ。
崩れる。
そして世界は再び現実へ戻った。
ディエスは息を切らしていた。
テルモティアも険しい顔をしている。
どうやら同じものを見たらしい。
「見たか。」
「はい。」
沈黙。
そしてディエスが言う。
「アパティスは何者なんですか。」
テルモティアは首を振る。
精霊神である自分にも分からない。
だが一つだけ。
確実なことがある。
この事件は。
単なる呪物事件ではない。
もっと昔から続いている。
もっと大きな何かに繋がっている。
そして、
歪んだ愛の結晶は再び静かに脈打った。
ドクン。
まるで。
「まだ終わっていない」と告げるように。




