第六話 謎の商人
森を吹き抜ける風は穏やかだった。
先ほどまで荒れ狂っていた風とはまるで別物だ。
アマルティアは地面に座り込んでいた。
顔色が悪い。
しかし目には正気が戻っている。
「……私は……何を……」
震える声だった。
周囲には切り倒された木々。
風刀によって抉られた地面。
そして崩れた礼拝堂。
その全てが自分の仕業だと理解してしまった。
「落ち着け。」
テルモティアが言う。
「今は話を聞かせろ。」
アマルティアはしばらく俯いていた。
やがて小さく頷く。
「……はい。」
ディエスは歪んだ宝玉を布で包みながら近くに座る。
直接触れていると妙な感覚がするのだ。
「まず聞こう。」
「その宝玉をどこで手に入れた?」
アマルティアは少し考えた。
「三か月ほど前です。」
「市場で商人に会いました。」
「商人?」
ディエスが反応する。
「名前は。」
「アパティス=エンプロス。」
やはりだ。
テルモティアの目が細くなる。
「どんな男だった。」
アマルティアは記憶を辿る。
「不思議な人でした。」
「年齢は分かりません。」
「若く見えたかと思えば老人にも見える。」
「服装も普通なのに妙に印象に残るんです。」
ディエスは眉をひそめた。
そんな人物が本当に存在するのだろうか。
まるで認識を曖昧にする魔術でも使っているようだ。
「その男が宝玉を?」
「はい。」
アマルティアは頷く。
「最初は買うつもりなんてありませんでした。」
「ただ、あまりにも変な形だったので見ていたんです。」
すると、
『あなたにはこれが似合いそうだ』
商人はそう言ったらしい。
「そして?」
「渡されたんです。」
「無料で。」
ディエスとテルモティアが同時に顔をしかめる。
怪しすぎる。
「何か条件は?」
「ありませんでした。」
アマルティアは首を振る。
「ただ……」
「ただ?」
「変なことを言っていました。」
沈黙。
そしてアマルティアは思い出すように呟く。
『感情は宝石になる。』
『愛も。』
『憎しみも。』
『願いも。』
『絶望も。』
風が吹いた。
ディエスの背筋に寒気が走る。
「他には。」
『君は優しい人だ。』
『だからきっと、この子を愛してくれる。』
テルモティアが大きくため息を吐く。
「最初から狙われていたな。」
「ええ。」
ディエスも同意する。
アマルティアの性格。
責任感。
善良さ。
保護欲。
全て見抜かれていた。
だから選ばれた。
宝玉の宿主として。
「……申し訳ありません。」
アマルティアが頭を下げる。
「私のせいで……」
「違う。」
テルモティアが遮る。
「お前が弱かったわけではない。」
「むしろ強かった。」
アマルティアが顔を上げる。
「え……?」
「普通ならもっと早く壊れていた。」
テルモティアは真剣だった。
「三か月も耐えたんだ。」
「精霊神でも嫌な代物だぞ。」
アマルティアは目を見開く。
そんな風に言われるとは思っていなかったのだろう。
ディエスも頷いた。
「実際、私も触れた瞬間に引き込まれそうになりました。」
「だから気にしないでください。」
しばらく沈黙が流れる。
その時だった。
テルモティアがふと立ち上がる。
「どうしました?」
ディエスが尋ねる。
炎の精霊神は森の奥を見つめていた。
「……誰かいる。」
空気が変わる。
ディエスも立ち上がる。
気配。
確かにある。
ほんの僅かだが。
誰かがこちらを見ている。
「出てこい。」
テルモティアの声が響く。
森が静まり返る。
返事はない。
しかし、
次の瞬間。
どこからともなく声が聞こえた。
「いやいや。」
「さすが精霊神。」
「勘が鋭い。」
ディエスが振り向く。
誰もいない。
だが声だけが響く。
「誰だ!」
「ただの商人ですよ。」
クスクスと笑う声。
聞いたことのない声なのに。
なぜか不快だった。
「アパティスか。」
テルモティアが言う。
少し間があった。
そして、
「おや。」
「名前を覚えていただけましたか。」
愉快そうな声。
ディエスの手が剣へ伸びる。
「姿を見せろ。」
「それは遠慮しておきましょう。」
「今日は挨拶だけです。」
声が笑う。
「商品は気に入っていただけましたか?」
ディエスの眉が吊り上がる。
「商品だと?」
「もちろん。」
「感情は美しい。」
「だから私は集めているのです。」
テルモティアの表情が険しくなる。
「何者だ。」
初めて精霊神が問いかけた。
声が少しだけ楽しそうになる。
「さて。」
「何者でしょうね。」
風が吹く。
森がざわめく。
そして、
「またお会いしましょう。」
「炎の精霊神。」
「そしてディエス=アポトス。」
ディエスは驚く。
なぜ自分の名を知っているのか。
その疑問を抱く間もなく。
気配が消えた。
完全に。
まるで最初から存在しなかったかのように。
森には静寂だけが残る。
テルモティアはしばらく黙っていた。
やがて。
「厄介な相手だな。」
低く呟く。
ディエスも同感だった。
あの商人は危険だ。
理由は説明できない。
だが、
あの宝玉以上に。
不気味だった。
そして布に包まれた歪んだ宝玉は。
誰にも気づかれないように。
かすかに脈打っていた。
ドクン。
まるで、
まだ終わっていないと告げるかのように。




