第8章 棺の前で数を数える
しばらくして、イザベルが自分の分のパンとスープを持って戻ってくる。机の端に遠慮がちに腰を下ろすのを見て、僕は卵を手に取り、無言で二つに割った。その半分を、イザベルの皿に置く。
「……ありがとうございます」
礼を言う声も小さい。僕は軽くうなずいて、先にスープに口をつけた。
「今日は何してたんだ?」
「畑の手入れと、鶏の世話をしておりました」
家のまわりにあるのは、猫の額ほどの畑と数羽の鶏だけだ。金目のものはほとんどない。そんな乏しい暮らしを、イザベルが黙って回している。
イザベルの言葉づかいや身のこなしには、今でもどこか育ちのよさが残っていた。
昔はどこか裕福な家の娘だったらしいが、今となってはそれも昔話だ。家族はもういない。
そんなことを思い出しながら、たわいないやり取りを挟んで食事を続けた。粗末な食事は食べ慣れた味のはずなのに、妙に口の中が寂しい。
現代で何かつまんでから戻ればよかったと、どうでもいいことを少しだけ悔やんだ。
ふとイザベルの方を見る。粗末な食事でも、不満ひとつ見せず、きちんとした所作で口に運んでいる。
こんな暮らしの中でも、こういうところは崩れないのかと、少しだけ見方が変わった。
食事を終えると、イザベルが食器を重ねながら、ためらいがちに口を開いた。
「……今夜は、どうなさいますか」
一瞬、意味を測りかねたが、すぐに理解する。
「当面、必要ない」
そう答えると、イザベルは一度だけ目を伏せた。
「そうですか……」
引こうとする態度に引っかかりを覚え、声をかける。
「何だ。不満か」
イザベルはすぐには答えなかった。言うべきか迷うように口元を引き結び、それから小さく言った。
「最近は夜が冷えますから…」
小さな使用人部屋の方へ目をやる。隅に寄せられた寝台は細く、敷かれている毛布も薄い。あれで夜を越すくらいなら、いつも通り僕の寝床に入る方がましだと、そういうことなのだろう。
「じゃあ添い寝だけしてくれ。しばらくはそれだけでいい」
かっこつけて惜しいことしたか…
イザベルがエリックのことをどう思っているかもわからないし、望んでないのであれば辞めておく方が無難だろう。
夜も更けると、明かりを長く灯しておくのも惜しい。僕はイザベルを連れて寝台に入った。
隣に人の体温があるだけで、思っていた以上に冷えも和らぐ。
すぐに眠れるだろうと思った。だが、それは少し甘かった。
今の僕の身体は、現代にいた頃より若い。すぐ脇にあるイザベルのぬくもりを意識した途端、身体が勝手に反応し始める。抱くつもりはない。そう決めたはずなのに、理屈とは別のところで熱が集まってくるのがわかった。
イザベルはほどなくして静かな寝息を立て始めた。僕だけが目を閉じても眠れず、暗がりの中でひとり悶々とする羽目になる。
やがて諦めて、そっと身を起こした。無防備に眠るイザベルの顔が薄闇の中に白く浮かんで見える。起こさないよう気をつけながら寝台を抜け出し、水でも飲もうと居間へ向かった。
そこで足が止まる。
机の上が、青白く光っていた。薄暗い部屋の中で、そこだけが冷たく発光している。奇妙に思って近づくと、机の上に置かれた羊皮紙が淡く青く輝いていた。
一番上には、見覚えのある文字が浮かんでいる。
To 後藤様 From 司会者
それを見た瞬間、嫌でも人狼ゲームのことを思い出した。
羊皮紙に視線を落とす。
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尻切れトンボとなっておりましたルール説明をさせていただきます。
なお、この手紙は貴方にしか見えません。
今回は二つのルールです。
一つ目、死亡時の扱い。
異世界で死んだ場合は現世で待機いただきます。他のプレイヤーへのアドバイスはできません。
異世界で死亡した場合も、自分の所存する陣営が生き残れば、現世に蘇ることができます。
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……ルールの補足か。
助かると言えば助かる。だが、寝静まった夜の机の上に、こんな形で答えだけ寄越されるのは、ありがたさより薄気味悪さの方が先に立った。
続きに目を移す。
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二つ目、ロールごとのミッションについて。
ロールごとにミッションが定められており、ミッションこなすことでゲームを有利に進めるアイテムを入手できます。
なお、このアイテムを使わずに、温存して勝利した場合は、お金、健康など現世の利益に変換させていただきます。
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机の上には、もう一枚羊皮紙があった。
そこに記されていたのは、ローグに対応したミッションらしい。
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クラス・ローグのミッション
1. 金を貯えろ
2. 盗賊団を大きくしろ
3. 殺して奪え
ミッションはどれからクリアしてもかまいません。
なお、ミッション3をクリアした場合、あなたの欲望を叶えます。
貴方の欲望は――見捨てた友達を助ける機会が欲しい
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その一文を見た瞬間、息が止まりかけた。
忘れたつもりはなかった。だが、こんなふうに文字にされて突きつけられると、胸の奥に押し込めていたものを、無理やり抉り出されたような気がした。
心臓が一度、大きく脈を打つ。あの時、見捨てたのは事実だ。言い訳の余地もない。
だからこそ、その願いを自分でもまだ捨てきれていなかったことを、こんな形で知らされるのが、何よりきつかった。
見捨てた友達を助ける機会。
そんなものまで用意されているのかと思うと、背筋が薄く冷えた。やり直しの餌としては、出来すぎている。司会者は人の喉に、いちばん引っかかるものをきちんとわかって差し出してきているのだ。
本当に、何でもありだな。僕はもう一度、ミッションの書かれた羊皮紙へ目を落とした。
1. 金を貯えろ
2. 盗賊団を大きくしろ
3. 殺して奪え
いかにもローグらしい文言が並んでいる。だが、妙だった。達成に必要な数がどこにも書かれていない。
一つでいいのか。十か。百か。
僕は、何人殺せば、あいつを助けられる?
その考えが頭に浮かんだ瞬間、自分の中の何かがひどく冷えた。さっきまで棺の前で頭を下げていた男が、もう人数を勘定し始めている。それなのに、視線は羊皮紙から外れなかった。
どれほどそうしていたのか、自分でもわからない。気づけば、羊皮紙を握る手は汗で濡れていた。だが羊皮紙はふやけもせず、青白い光を宿したまま平然と僕の手の中にある。
すっかり目は冴えてしまっていたが、これ以上起きていてもろくなことを考えない気がした。
水だけ飲んで、僕は寝台へ戻る。薄い闇の中、イザベルはもう静かな寝息を立てていた。その体温を確かめるように腕を回し、引き寄せる。人のぬくもりに触れていれば、少しは余計なことを考えずに済む気がした。
だが、駄目だった。
目を閉じても、頭の奥ではさっきの文言が何度も浮かび上がる。金を奪え。盗賊団を大きくしろ。殺して奪え。
どこを狙えば早いのか。
誰から手をつけるのが楽か。
どうやれば、いちばん効率よく奪えるのか。
イザベルを抱く腕のまま、頭の奥ではもう別の算段が始まっている。そのことが、たまらなく気味悪かった。
それでも、いつの間にか意識は途切れていた。




