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第6話 火のついた荷車

「……さん」


「エリ……さん」


呼ばれる声に、沈んでいた意識がようやく浮かび上がる。顔を上げると、僕の副官、ルドガーが心配そうにこちらを覗き込んでいた。


「すまん……あれからどれぐらい時間がたった」


「そこに座られてから、ほとんど時間は経ってません。目をつぶっておられたので」


元の世界では、それなりに時間が流れていたはずだった。だが、こちらではほとんど間が空いていないらしい。時間がねじれているのか、それとも向こうとこちらで流れが違うのか。


戻った後のことを僕は完全に失念していた。


「お疲れですか? 護衛も含めて奴隷商人に売り渡しますが、値付けはどうします?」


その言葉が妙に重く胸に残った。高いか安いかを見て、人に値をつける。

ここではそれが当たり前で、昨日までの僕もそうしていたはずなのに、今は喉の奥がひどく詰まる。何かが決定的に間違っている気がするのに、その「何か」をうまく言葉にできない。


くそ。僕には決められない。せめて現代に戻る前に、エリックに判断しておいて欲しかった。


「あぁ……少し考える。とりあえず里の牢に繋いでおいてくれ」


ルドガーは訝しむようにこちらを見たが、やがて小さく頷いた。


「わかりました。では、ボスへの報告だけ済ませましょう」


怒りで顔をどす赤く染め、髭の奥で歯を剥くボス――オルグの顔が脳裏に浮かぶ。あの男は損を嫌うが、それ以上に自分の見込みが外れたことを嫌う。機嫌を損ねれば、まず怒鳴る。ひどい時は、その場で殴りつけてくる。


狼を探す必要がある。けれど、今の僕にはそのための手足がない。オルグの機嫌ひとつで人も金も動かせないなら、誰が狼かを探る前に、こちらの首が飛ぶ。


何人死んだんだったか。荷は押さえてあるけど、それでどこまで埋められる?

現世に戻っていたせいで、細かい被害を覚えていない。


ルドガーが背を向けかけたその時、別の部下が声をかけてきた。


「旦那、あの娘、身代金の当てがあるそうです」


「……本当か?」


自分でもわかるくらい、声が弾んだ。人に値をつけて売るよりは、その方がまだましだ。少なくとも、自分で値札を貼らずに済む。


僕は足早に女の子のもとへ向かった。さっきまで青ざめていた顔からは、いくらか怯えが引いている。代わりに、腹を括ったような硬さがあった。


「早速だが、身代金の話をしたい。金貨15枚だ。誰が払う?」


女の子は目を逸らさなかった。


「……エーヴェル商会です。会計責任者のヘルマンに連絡してください。ソフィアが攫われたと伝えれば、話は通じます」


「エーヴェル商会だと?」


ルドガーが声を上げる。それも無理はない。ホーン王国でも急速に勢力を広げてきた商会だ。金回りもいいはずだった。


だが、その名を聞いた瞬間胸の奥が冷えた。


情報を出すのが遅すぎる…


そんな強力な札を、売られる直前まで温存する意味は何だ?

女の子は震えていた。だが、目だけはまっすぐこちらを見ている。嘘はついていない。だからこそ、気味が悪かった。


喜びより先に、嫌なざわめきが広がっていく。


「確認が取れるまでは客として扱え。レディーに失礼がないようにな。護衛に騎士をつけてやれ」


「アンドンですか?あいつをつけるのは心配なんですが……」


「下手に色気を出す馬鹿より、あいつの方がましだ。」


とりあえず真偽の確認が優先だ。部下に戦利品の運搬を指示し、僕は先に拠点へ戻ることにした。


現代では乗ったこともない馬に跨る。違和感はない。


拠点である砦に向けて馬を走らせる。風が頬を叩くたび、頭の奥は少しずつ冷えていくのに、気分だけが沈んでいった。

拠点に近づくほど、それははっきりする。仕事は成功して当たり前。足りなければ怒鳴られ、損を出せば殴られる。あの髭面は、気分でしか判断しない。


殴る、怒鳴る、女を侍らせる。

現代なら一発で終わるような振る舞いが、ここではまかり通っている。

介護士の仕事もきつかったが、少なくとも理不尽を暴力で押し通されることはなかった。


馬はそんなことなど知らぬ顔で、ひたすら前へ進む。

まだ着くなと思う間もなく、砦は森の奥にぬっと姿を現した。増えた人数に合わせ、その場しのぎで継ぎ足してきた砦だ。壁も塔も高さが噛み合わず、横から板を打ちつけた跡がむき出しになっている。


守りのための砦というより、欲に合わせて膨れた獣の巣だった。


砦の見張りがこちらに気づき、声を上げる。


「エリックさん。首尾はどうでした?」


僕は馬を降りもせず答えた。


「小麦が馬車に満載だ。金貨5枚は固い」


見張りの顔がわずかに緩む。その反応を見ながら、4人やられたことは口の奥で止めた。わざわざ自分の部下に失態を教える必要なんてない。成果だけを報告する。


馬を預け、そのまま砦の奥へ向かう。最奥にあるオルグの部屋――あそこだけは、何度通っても慣れない。機嫌がいいことを、柄にもなく祈った。


扉の前で足を止める。一度だけ深く息を吸い、覚悟を決めて扉を叩き、返事を待たずそのまま押し開けた。


鼻を突く酒の匂い。部屋の奥、椅子にふんぞり返る巨体が目に入る。

顔は酒で赤く染まり、手元には空になった瓶が転がっていた。隣には女がひとり。怯えているのか、作り笑いなのか、表情が固まっている。


――機嫌は、良くない。


視線が合った瞬間、空気が変わった。


「エリック!成果は出たか?」


怒鳴り声が飛ぶ。喉の奥がわずかに詰まる。ここで言い淀めば、それだけで拳が飛んでくる。


「首尾よく運びました。積荷は小麦です。換金まで少し時間はかかりますが、それなりの額になるかと」


オルグは鼻を鳴らした。


「……だから言っただろう。俺の作戦に従っていればいいんだ」


そんなわけないだろう…

同じ街道、同じ場所、同じ待ち伏せ。五年もそんな真似を続けて、獲物がかかり続けるほど世の中は甘くない。


褒める気など端からない。獲れた獲物は自分の手柄で失敗すれば部下の落ち度。この人はいつもそれだ。

それでも口には出さない。ここで正しさを語っても、返ってくるのは理屈じゃないから


「護衛に思った以上の手練れがいて、損害が出ました」


言い切った瞬間、拳が視界を埋めた。避けることはできるが、その後が面倒だ。

せめて首だけは持っていかれまいと、衝撃に合わせて身体を流す。それでもまともに入った一撃に、僕の身体は横へ弾かれた。


床に肩から叩きつけられる。遅れて、口の中いっぱいに鉄の味が広がった。


「てめえ……俺の身内を何人減らした?どこの誰だ?報復はしたのか?」


「護衛はばらばらにして、森の獣の餌にしました。商会は勢いのあるところなので、報復の準備中です」


床に手をついて起き上がり、唾と一緒に血を吐き捨ててから答えた。すらすらと言葉が出てくるので助かった。

オルグは顔をしかめたまま、鼻を鳴らした。


「護衛はどうでもいい。商会の連中には、いずれきっちり返す。準備しておけ」


言うなり、手元の酒瓶を掴んで投げつけてくる。身を引く間もなく、瓶はすぐ脇の床に叩きつけられ、甲高い音とともに砕け散った。破片が脛に当たり、熱い痛みが走る。


「承知しました。荷は捌け次第、ご報告します」


それだけ言って頭を下げる。これ以上残れば、また何か飛んでくる。


部屋を出て扉が閉まった瞬間、ようやく息を吐いた。


……読み違えた。


エリックは、あの男を神輿にするつもりだった。頭の切れる男ではない。だが、前に立って偉そうに振る舞い、手柄だけは嬉々として掠め取る。そんな男だからこそ都合がよかった。部下の不満も敵の恨みも、まずはあいつに集まる。盾にするなら、それで足りた。


少なくとも、前はそう判断していた。だが今は違う。


無能を担ぐにしても、こんな手合いは選ばない。あれは鈍いんじゃない。面子だけで飛びつき、損得も先も見ずに、周りを巻き込んで火を広げる。


神輿ではない。火のついた荷車だ。


このまま担げば、一緒に燃えるだけだろう。


狼を探すには、目と耳が必要だ。そのためには、人を動かせるだけの自由がいる。


なら、まずは首輪を外すしかない。


あいつを排除するにはどう動くべきか。頭の奥で、静かに思考が回り始めていた。

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