第3話 配られた札で勝負する
翌日、パンツスーツの女性が部屋をノックし、別の部屋へ案内した。
通された先には、すでに六人の男女がいた。
立ったまま壁に寄りかかる者、椅子に腰を下ろしたまま動かない者、こちらを値踏みするように視線だけ寄越してくる者。誰も口を開かないまま、部屋には張りつめた沈黙だけがあった。
昨日の白い部屋の無機質さとは違う。ここにいる全員が他人を警戒し、同時に自分も見られていることを知っている――そんな空気だった。
その中に見覚えのある顔を見つけ、僕は足を止めた。元の世界で友達だった男だった。
向こうもこちらに気づいたらしいが、一瞬目を細めただけで、すぐ興味なさそうに視線を外す。
それで十分だった。ここでは、知り合いに会えたことすら安心にはならないようだ。
長机の上には、職業が書かれたネームプレートと茶封筒が並んでいた。
僕は札を見てから、相手の顔を確かめていく。
落ち着かなく指先を弄っている白衣の女は医者
図太く腰を下ろした眼鏡の男は弁護士
出口ばかり見ている、きつめの顔立ちの美人は秘書
軽そうに見えて、肩だけ強張った派手な女はダンサー
誰も信用していないような顔をした強面が警察官
そして、友人だった男の前にはSEの札。あいつだけが妙に気楽そうだった。
最後に残った空席には、介護士と書かれた札が置かれている。
――僕の席だ。
札を見てから顔を見る。なるほどと思えるものもあれば、逆に胡散臭さが増すものもある。
少なくとも、この場で札どおりの人間だと素直に信じられるやつは一人もいなかった。
そのとき、部屋の前の扉が静かに開いた。入ってきたのは二人の女性だった。昨日のパンツスーツの女性と、もう一人はパーティにでも出るような白いドレスの女性。
片方は無表情で、片方は貼りついたような笑みを浮かべている。対照的なはずなのに、どちらも同じくらい気味が悪かった。
それだけで、部屋の空気がすっと張りつめる。
「それぞれのお席に着席ください」
他の6人はすでに席についていた。僕も「介護士」と書かれた席に腰を下ろす。
前に立つ二人へ視線を戻す。スーツの女性にドレスの女性。見た目だけならいくらでもやりようがありそうだ。立ち位置も立ち姿も妙に無防備だった。
――武器があれば、の話だけれど。
ナチュラルに武器という発想が頭に浮かび、はっとなる。
全員が席についたことを確認し、パンツスーツの女性が口を開いた。
「さて、改めてご説明いたします。皆様は一度、死に瀕しました」
部屋がしんと静まる。
「事故で。火事で。襲撃で。病で。理由はそれぞれ異なりますが、等しく生と死の境にあった――そうご認識ください」
身体を強く打ちつける感覚が脳裏をよぎる。落ちる。叩きつけられる。あの瞬間の衝撃が遅れて背筋を走り、思わず肩がこわばった。
「ですが、皆様は二つの権利を得ました」
女性は表情を変えず、二本の指を立てる。
「一つ目。異世界に転生し、別の生を生きる権利」
異世界への転生。まともな人間なら鼻で笑うような言葉だった。
だが僕は笑うことができなかった。笑うには、この身体もこの状況も、あまりに噛み合いすぎていた。
エリックとして生きる。
そう言われて、胸の奥で何かが鈍く揺れる。喜ぶべきなのか、恐れるべきなのか、自分でもわからなかった。
「二つ目。異世界での行動に応じ、現世へ戻る権利」
医者の札の前に座る、白衣を着た眼鏡の女が立ち上がり、半ば食い気味に口を開く。
「私は死んだってこと?どうすれば、戻れるんですか?」
パンツスーツの女性は、その張り付いたような表情を変えない。
「その説明は、この後いたします」
そこで回答は打ち切られた。
視線を集めた医者の女は、居心地悪そうに口を閉ざして座り直す。
「なお、皆様には参加前に一度ご説明しております。もっとも、覚えていない方がほとんどですが」
パンツスーツの女性は手元の茶封筒を取り上げた。中から三枚のカードを抜き出し、こちらにも見えるよう軽く掲げる。
「まずは封筒の中身をご確認ください。くれぐれも、周囲の方には見られないようお気をつけください」
僕も机の上の茶封筒を開いた。
A4ほどの封筒の中に、赤、青、黄の三枚が入っている。折れないよう、一枚ずつ抜き出す。
青のカードには、軽装にナイフを持った人物の絵と、その下に「クラス:ローグ ヒント:灰羽」の文字。
エリックの職業。盗賊ではなくローグか。ご丁寧に、昔所属していた盗賊団の名前まで入っている。
赤のカードには、武器を手にした五人の影が描かれていた。
そのうち一人だけが、顔も輪郭もわからないほど真っ黒に塗り潰されている。
絵の下には「陣営:人間」の文字が躍る。人間の陣営。つまり、人間ではない側があるということか。
黄のカードだけは絵がなかった。
文字だけ。それも、血を乾かして擦りつけたみたいな、くすんだ赤で印字されている。
追加ルール3 悪魔崇拝者は悪魔と契約できる
※条件は別カードに記載
悪魔崇拝者に、悪魔との契約。しかも条件つき。嫌な匂いしかしない。
まるでボードゲームみたいだな思っていると、自分の意思にとは関係なく、手は自然にカードを重ね直し、視線だけが周囲をなぞりはじめる。
弁護士は無表情のまま手元のカードを一枚ずつ確かめ、ダンサーは黄色のカードを見たまま露骨に眉をひそめている。秘書は胸元に寄せた三枚へ、食い入るように目を落としていた。
誰も口には出さない。だが、平静を保てている者ばかりでもなさそうだった。
その時、手を打つ音が部屋に響く。パンツスーツの女性が全員を見回しているのが目に入る。
「順に説明させていただきます。
まず青のカードはクラスカードです。異世界における皆様の立場、あるいは役割を示しています。
ただし、記載されているのは大枠です。
たとえばナイトのクラスを与えられた場合でも、上位の聖騎士から下位の一般騎士まで強さの幅があります。
また、職業以外に、皆様の身元が絞れるちょっとした情報を入れておきました」
なるほど、と思う。
ローグも同じことだろう。盗賊、斥候、暗殺者。呼び方はいくらでもある。
エリックは五十人規模の盗賊団の所属。少なくとも、外れを引いたわけではなさそうだった。
「赤のカードは陣営です。陣営は人間陣営と狼陣営の二つに分かれます」
部屋の空気がわずかに張るのを感じる。
「皆様には、この二つの陣営に分かれて異世界で戦っていただきます。
狼の陣営は人間に擬態する能力を持っています。人間の陣営は、その正体を見破り、協力して排除しなければなりません」
あの世界のモンスターはなかなかに凶暴だ。ウェアウルフとなんか正面から戦いたくない。
説明を受けて、弁護士の男が口を開いた。
「変則的な人狼ゲーム、という理解でいいですか。狼を排除する方法があいまいですが」
誰にともなく確認するような言い方だった。だが、目は笑っていない。
パンツスーツの女性は淡々と答える。
「概ねその理解で構いません。もっとも、排除の方法は限定されません。異世界には参加者以外にも人間やモンスターが存在します。参加者同士で協力することも、そうした存在と手を組むことも可能です。誰と協力し、誰を排除するかも戦略のうちです」
弁護士の男が眉をひそめた。
「つまり、正攻法の議論戦ではないと。しかし、こちらには参加者を見分ける手掛かりがない。それでは、最初から手探りにもほどがある」
「そのご指摘はごもっともです。ですが、参加者同士は必ず出会います。必ず、ね」
言い方が気に入らなかった。そうなるよう盤面を作っているような口ぶりだ。
「ずいぶん親切設計だな。強制マッチング付きのデスゲームってわけか」
SEの男――僕の友人だった男が鼻で笑う。
それきり、すぐに口を開く者はいなかった。
妙なのは、誰も異世界そのものには突っ込まないことだ。信じたわけではない。ただ、僕と同じように、向こうで生きた記憶を抱えたままでは、目の前の話をただの妄言として切り捨てきれないのだろう。
パンツスーツの女性は、こちらの沈黙ごと予定に含めていたみたいに話を続けた。
「異世界での行動時間は、四つのピリオドに区切られます。各ピリオドの合間には、この場で参加者同士の会話が可能です。その時間で、相手の正体を探ってもかまいません」
会議室を見回し、誰も口を挟まないのを確認してから、女性はさらに続けた。
「説明を続けますね。
黄色のカードには特殊な情報が記載されています。ルールと条件があり、基本的に対になっています。この情報を共有するか、秘匿するかは皆様の判断にお任せします」
そこで、わずかに口元を動かした。
「なお、一枚だけ独立した情報カードが存在します。それを引いた方は、少しだけ有利かもしれません」
わざとらしい言い方だった。有利かも、などと曖昧に濁す時点で、ろくな札ではない。
「では、大枠だけ整理します。舞台は異世界。皆様はそれぞれ異なる役割を持ち、人間陣営と狼陣営に分かれて行動します。加えて、個別の特殊情報が存在します。
それ以外の細則については、順次お伝えします」
説明を終えたところで、白いドレスの女性が一歩前に出た。
「一点、追加です。人間でありながら狼陣営に身を寄せる、悪魔崇拝者が一名紛れ込んでおります。
攪乱されないよう、お気をつけください」
そう言って、女性は不敵に笑った。
その笑みは、これから疑い合えと命じる合図にしか見えなかった。
「私のことは司会者、隣の女性は助手とお呼びください。皆様もこの場では現世の名前を捨て、役職で呼び合っていただきます」
助手と呼ばれた白いドレスの女が、懐から大きめの砂時計を取り出して机の上に置く。
黒い砂が、さらさらと音もなく落ち始めた。
「この砂が落ち切った時点で、第一ピリオドが始まります。皆様は異世界へ戻ることになりますが、それまでの時間は自由にお使いください。情報交換、狼の特定、あるいは一人で過ごすのも結構です。勝利につながる一手をお探してください」
話している間にも、黒い砂はゆっくりと底へ積もっていく。
僕たち参加者の視線は、その砂時計に釘付けになった。
五分や十分で落ち切る大きさではない。だが、のんびり構えていられるほど猶予があるようにも見えなかった。
砂が落ちていく。誰もが口を閉ざし、互いの出方をうかがっていた。
このまま、何も決まらないまま第一ピリオドに入るのか。 そう思った時だった。
「で、お前らの中の誰が狼なんだ?」
SEが椅子に深くもたれたまま、つまらなそうに口を開く。
だが、その一言で部屋の空気がはっきり変わった。
まだ何も始まっていないはずなのに、あいつだけが、もう一歩先にいるように見えた。




