第23話 五十枚と六十枚
ソフィアの身代金は支払われない。
その事実は、思った以上に俺の腹に重く沈んだ。
金が入らないからではない。いや、それもある。だがそれ以上に、僕たちは今、得体の知れない女を抱え込んでいることになる。
「ソフィアは商会の人間じゃなかったのか?」
口にした瞬間、自分でも一番ありえそうな答えだと感じた。
命惜しさに、商会の名を使った。捕虜なら誰でも考えそうな嘘だ。
でも、それならそれで面倒だった。嘘をついた女性を残す理由が、急に薄くなる。
「ええ、その通りです。ただ、少しおかしいことがありまして……」
部下はミレーヌの方をちらりとうかがい、声をひそめた。
「ミレーヌ、すまん。今日の商談はここまでだ。護衛二人は引き渡すから、席を外してくれ」
「今回はかなり勉強させていただきましたし、お代に色を付けてますよ。
せっかくなのでこちらの情報を譲ってくださいな。なに、外に売ったりしませんから」
こうなると、ミレーヌは引き下がらない。
口が固く、信用できる人間ではあるが、面倒なことこの上ない。
俺はあごをしゃくって、部下に続きを促した。
「はい。ソフィアなんて娘は知らない――ここまではよかったんですが、うちの商会を騙る不届き者の首を持ってくれば、褒賞を払うと言われまして」
商会の名前を守るためとはいえ、かなり過激だ。
完全に行きすぎている。
「で、提示された額が金貨五十枚です」
「なっ?」
要求した身代金の三倍以上。
この額なら、ソフィアを殺すのに特別な理由なんていらない。金が欲しいやつが、勝手に殺してくれるだろう。
「ふふっ、なるほどなるほど」
ミレーヌだけが、得心したようにうなずいている。
「この話、噛ませてもらえるなら情報提供しますよ。どうです、協力しませんか?」
ミレーヌに情報提供させれば楽だ。
だが、事情も見えないまま巻き込むには危険だ。
ミレーヌは信用できる。信用できるが、こういう話に首を突っ込ませると、必要以上に深く潜り込む。
「いや、まずは本人に聞くからいい」
報告に来た部下には、少し多めに褒美を握らせて下がらせた。
口の軽い奴ではないが、金貨五十枚の話は、耳に入っただけで人を動かす。
その足でソフィアの牢へ向かうと、当然のようにルドガーの後ろにミレーヌもついてきた。
「……ミレーヌは帰れと言ったはずだが?」
「帰らせても、どうせ後で私の事を呼び戻すことになりますよ」
何かをつかんでいるのか、やけに自身がありげなミレーヌ。はったりだろうか?
役にたたなければ、帰らせることを決め、同行を許可する。
牢の中のソフィアは、前に会った時と同じように、静かに座っていた。
「よぉ、元気そうだな」
「エリックさん、久しぶりだね。ようやく私の事を仲間に誘う気になった?」
「悪いな、身代金の話だ。エーヴェル商会は、ソフィアなんて女は知らんそうだ」
「なるほど。身代金を払って始末すると思ったけど、払わないのか。で、他になんか言ってなかった?」
どこまでも予定通り、とでも言いたげな口ぶりだった。
「金を払うから、お前を始末しろとも言われた。お前は何を隠している?」
「それは、秘密です」
茶化すように言うソフィア。
「場合によっては協力してやる。事情を全部話せ」
「場合によって、じゃ困るの。協力してくれるなら、全部話すよ」
前回、ソフィアは『命の交渉』という言葉を使った。あれが全部フェイクなら、それでいい。
だが、ソフィアの言葉には、どこまでも嘘がない。
「そんなこと言ってられる立場か?」
「ここが勝負どころだからね。わかるでしょ?」
牢を挟んで睨み合う。
有利なのはあくまで俺で、追い込まれているのはソフィアのはずだった。
だが、薄く笑うその顔からは、不利さがまるで感じられない。
「俺たちは敵同士か?もしかして同じ方向に進む仲間もしれないぞ」
ソフィアは何を言わない。しばらくそうしていたが、不意に横から声がかかった。
「エリックさん、その女性、うちで買い取らせてもらえませんか」
それまで黙っていたミレーヌだった。
ここで口を出してくるのか。まぁいいこちらも利用させてもらう。
「いくら出す? 額によっては考えるぞ」
「そうですね。金貨六十枚でどうです?」
少し考えるような仕草を見せたあと、ミレーヌは法外な額を口にした。
その意図が読めず、俺は思わずその顔をまじまじと見た。
「ふふ、ご存じない? エーヴェル商会のご令嬢ですよ? 上手くやれば、この倍は引っ張れますから」
令嬢?
じゃあ、なぜ商会は金を払わない。
ミレーヌはどこまで知っている。
ソフィアはなぜ真実を話さない。
疑問がいくつも立ち上がり、頭の中をぐるぐると回った。
いつも通りのにこやかな顔をしているミレーヌ。薄い笑みを張りつかせたソフィア。
「金貨六十枚? 私の命の値段としては、安すぎませんかね?」
「商会があなたにつけた値段よりは、高く提示してますよ」
「ふーん、なめられたもんだ」
ソフィアは、今までのおとなしさが嘘だったみたいに、ミレーヌとやり合っている。
エーヴェル商会の商人――こっちが本当の姿か。
「何言っとるか全然わからん。わしらにも、きっちり説明せい」
ルドガーと俺が置いていかれる中、ミレーヌだけは事情を読んでいるらしい。
ミレーヌが、ただの女ひとりに金貨六十枚も払うはずがない。
なら、ソフィアにはそれ以上に価値があるということだ。
リスクを取らなければ、僕は狼に届かない。それは痛いほどわかっている。
「わかった。ソフィアに全面協力しよう。だから全部話せ」
商会が殺したがり、ミレーヌが買いたがる。
なら、この場で一番値打ちがあるのは、ソフィアの口だ。
「これはご忠告ですが、事情がわからないまま、全部飲み込むと大怪我しますよ」
「今から全部聞かせてもらう。ミレーヌも噛ませてやるから、お前も知ってることは全部話せ」
「私がエリックさんを雇おうと思ってたのに、逆になってしまいましたね。まあ、登場人物は変わらないですし、大局は同じか……」
そのやり取りを、ソフィアは抜け目なく見ていた。
俺の鼻は、金と死の匂いを強く捉えている。
騎士の動きが強まり、俺の金策が暗礁に乗り上げている以上、不穏ごとだろうと丸ごと平らげるしかない。
ミレーヌのにこやかな笑みと、ソフィアの鋭い目が、その場を支配していた。
そしてソフィアは、牢の中で初めて笑みを消した。
その顔を見て、俺はようやく理解する。
ここから先は、商談ではない。
「じゃあ話すよ。エーヴェル商会が、私を殺したがっている理由を」
この話を聞いてしまうと、恐らく僕は引き返すことができない。
そうわかっていたが、僕は進むことを決めていた。
なんでも来いよ。全部平らげてやる。




