第18話 その名を捨てろ
「――『灰羽』とはなんですか?」
アンドンの問いに、僕はしばらく黙った。
組織の名前を今ここで問いただしてくる意味に検討がつかず、その意図を測りかねていた。
「今さら何だ。昔、俺が属していた組織の名だ」
「別の名前にしませんか。新しい組織になるんでしょう」
「この名前はルドガーと決めた。今さら変えるつもりはない」
短く返すと、アンドンの目つきが変わった。 軽薄さの欠片もない、冷えた目だった。
その目には見覚えがある。
『灰羽』の名を聞いたとき、露骨に顔を曇らせる連中と同じ目だった。
『灰羽』の名を捨てるよう迫るアンドンを、ひとまず手で制した。
「その話は後でいいだろ。後片づけが先だ」
「そうですね。では、ルドガーさんも交えて、お話しましょうか」
さっきまでの剣呑さが、そこで嘘みたいに引いた。
だが、引いたというより、いったん鞘に収めただけに見える。昔の関係者なのか。それとも、もっと別の何かか。
ただ、あれを後回しにするのはまずい――そんな嫌な確信だけが残った。
里の中でも理性的な者に、村の取りまとめを命じる。
「負傷者の手当を優先しろ。死体はまとめて埋葬する。勝手に動くな」
村の人間と里の人間は、同じ場所で手を動かしているが、言葉を交わす者はいない。
視線だけがぶつかり合い、空気はぎしぎしと軋んでいた。
やがて日が落ち、僕たちは空いた家を使って夜を越すことになった。
主のいなくなった家に入り込み、奪った食料を分け合って食べる。
戸を閉めても、外の気配は消えない。
壁の向こうで、誰かが息を潜めているような気がした。
村の連中の目が、頭から離れない。怯えた目、憎んだ目、何もかも諦めたような目。
誰一人、僕たちを受け入れてはいなかった。
一方で、里の連中からも小さな不満が漏れていた。
勝ったはずなのに取り分が少ない。命を張った割に合わない。そんな声が、火の向こうからぼそぼそと聞こえてくる。
僕はそれを聞き流しながら、ぼんやりと考える。手に入れたものは確かに多い。村も、畑も、人手も、食料もある。
だが、それと同じだけ、恨みも不満も抱え込んだ。
夜が更けても、なかなか眠れなかった。
村の人間に寝首をかかれるかもしれない。里の誰かが、僕のやり方に見切りをつけるかもしれない。
暗闇の中で何度か目を開け直しながら、ようやく浅い眠りに落ちた。
翌朝、アンドンと希望者の一部を連れて、里へ戻ることにした。
「このメンバーで里へ戻る。残った者は村の人間と一緒に、村の立て直しを進めろ。砦の残党には気をつけろ」
来る時より、同行者たちの足取りは軽かった。
「エリックさん。『オルグ盗賊団』と『崩れ牙』がぶつかった場所ですよ」
一人で考え込んでいるうちに、いつの間にか戦場まで戻ってきていたらしい。
血が地面にこびりつき、いくつかの死体はまだそのまま打ち捨てられている。肉を啄む鳥を見た瞬間、背中が冷えた。
これが、僕の決めた『灰羽』の復活のための犠牲だ。
わかってはいたが、目の前におぞましい光景を突きつけられると、決意が揺らぎそうだった。
「村の連中に埋葬は頼んである。俺たちはこのまま通る」
そう言ってから、足を止めた。転がった死体に、ほんの一瞬だけ目を向ける。
きょとんとした顔の者もいたが、僕が動かないのを見ると、一人がぎこちなく十字を切った。
それにつられるように、何人かが黙って手を動かす。
……見なかったことには、したくなかった。
だが、立ち止まっても何も変わらない。僕は踵を返した。
日が沈みかけた頃、里の入り口が見えた。 同行していた男の一人が歓声を上げて走り出す。
「エリックさん、ルドガーさん呼んで祝勝会しましょう!もちろん、奢ってくださいね。場所は僕の家でどうですか?」
オルグを倒した功労者だ。気分よく応じてもよかった。だが、アンドンの妙な機嫌のよさが、どうにも引っかかった
「とりあえず、ルドガーさんの家に向かいましょう。」
「もう夕暮れだ。この時間に行くのは迷惑じゃないか?」
「いやいや、たぶん首を長くして待ってますよ」
こちらの都合などお構いなしに、アンドンはルドガーの家へ向かって一直線に進む。
着くなり戸を叩き、ルドガーを呼び出した。
「アンドン?それにエリックさん!首尾はどうでした?」
「おかげさまで上手くいった、そっちは変わりなかったか?」
「おお、さすがエリックさん。こちらは、負傷した砦の者が三人戻ってきましたので拘束しています。
オルグが死んだのなら、別に殺す必要はないですね」
相変わらずルドガーは厄介の種を引き込もうとする。だがルドガーの言うことも一理があるし、それ以上に僕はこれ以上殺したくないと思ってしまった。
「変な気を起こさせないようにしてから、生かして使え」
「承知しました」
「そんなことより、戦勝祝いしましょう。このまま僕の家、行きますよ」
アンドンだけが、妙に機嫌よく笑っていた。
アンドンの家は居住区の端にあった。三人で家に上がり、酒とつまみを囲む。勝った夜のはずなのに、妙に気の抜けない席だった。
「結局、砦の奴は何人か逃げた。後で面倒にならなければいいが……」
「目的は達しておりますし、問題ないのでは?
二、三人残っていても、オルグなき今は脅威ではありませんよ」
「だといいんだがな……」
勝ったはずなのに、僕の口から出るのはそんな言葉ばかりだった。
ルドガーはそのたびに、いちいち大丈夫だと示してくる。たぶん、それで僕を落ち着かせようとしているのだろう。
「エリックさん、本気で『灰羽』を名乗るつもりですか?」
会話の切れ目を見計らったみたいに、アンドンが口を挟む。
何でもない調子を装っているのに、その話だけ妙に引かない。どうしても今日のうちに決めておきたいらしい。
「『オルグ盗賊団』のままでは他の者にも示しがつかんだろう。エリックさんと昔使っていた、『灰羽』に戻すことに決めた」
「戻す、ですか」
アンドンが、ぽつりと繰り返した。
「王都の方で、同じ名前を名乗る連中がいると聞いたことがあります。いろいろ、ややこしくなりませんか?」
「エリックさんがいないのに、『灰羽』の名を継げる者なんかおらんはずじゃが」
ルドガーの声が、わずかに低くなった。
二人の間の空気が、また少し変わる。
ただの確認ではない。アンドンは、こちらが『灰羽』をどう扱うのかを測っている。
僕がここで曖昧にしたら、たぶん余計にこじれる。
「……ルドガーと決めた通り、『灰羽』の名を使う。これは決定だ」
ここで変えるわけにはいかなかった。
そのために『オルグ盗賊団』と『崩れ牙』をぶつけた。人が何人も死んでいるのに、今さら日和るわけにはいかない。
僕がやったことも、灰羽だった頃のことも、まとめて背負う。
そのためにも、『灰羽』の名でなければ意味がなかった。
「へぇ、そうですか。わかりました」
昨日と同じく、一瞬だけ剣呑な気配が走る。
けれどアンドンは、すぐにまた元の調子へ戻った。引いたというより、ひとまず引っ込めただけに見えて、余計に落ち着かなかった。
その後は、オルグ討伐の話をいくつか肴にして、席はそのままお開きになった。
帰り際、アンドンがそっと耳元に口を寄せる。
「少し二人で話したいです。一度家に戻ったら、北の見張り櫓まで来てください」
その声は、妙に平坦だった。
間違いない。アンドンは、過去の『灰羽』を知っている。
家に戻り、ナイフに炸裂弾、虎の子の魔晶石を懐に入れる。里の中でいきなり強硬策に出る可能性は低い。普通に考えれば、そんな真似をすればアンドン自身も無事では済まない。
それでも、体の奥が警鐘を鳴らしていた。
準備を終え、北の見張り櫓へ向かう。里の外れにある古い櫓は、今ではほとんど使われていない。月明かりの下、アンドンはその柱にもたれ、いつもと同じようにランスを抱えてだるそうに立っていた。
「アンドン、何の用だ。正式に『灰羽』の傘下に入りたいって話か?」
「夜分遅くにありがとうございます。そんな大したことではないのですが……『灰羽』で行くんですよね?」
アンドンから目を離さないまま、首を縦に振る。
「わかりました」
アンドンは一度大きくため息をついた後、ゆっくりとした動作でランスを構える。
「では……死んでください」
瞬間、僕の顔があった位置をランスの穂先が通り過ぎた。リーチぎりぎりの位置を取っていたおかげで何とか避けられたが、そう何度も同じことはできない。
距離を取り、ナイフを投げる。だが、鎧とランスに阻まれ、致命傷を与えることができない。
「ふふ。真正面から騎士とやり合いますか?」
アンドンが距離を詰め、ランスが鋭く閃く。
一撃を避けるたびに足場を削られ、間合いを取り直す前に次の穂先が迫る。こちらが攻めに移る隙など、最初から用意されていなかった。
今の僕では、オルグを倒した相手に、正面から勝てるはずがない。
切り札を切るか。
懐の魔晶石に指が触れた、その時だった。
轟音とともに、僕たちの間に影が落ちた。
地面が砕け、砂埃が舞い上がる。
その向こうで、アンドンの顔色が初めて変わった。




