第11話 静かな決別
教会の方へ足を向けると、怒鳴り声に混じって、耳障りな笑い声が聞こえてきた。
近づくにつれて、その異様さは輪郭を持ちはじめる。こんな状況で笑っている――そう思った瞬間、胸の奥にじわりと嫌なものが広がった。広場へ出ると、状況は一目でわかった。教会は半ば焼け落ち、黒煙を吐きながら燃えている。その前では何人かが必死に水を運び、火を抑えようとしていたが、すぐ脇には四つ並べられた棺桶があり、そのうち一つは無残に壊され、中の遺体が半ば露出していた。
そして、その前で――二人の男が酒瓶を手に、腹を抱えて笑っていた。
場違いにもほどがある。二人は僕に気づくと、口元を歪めたまま視線を向けてくる。
「エリックさんじゃないですか。どうしました?」
砦付きの戦闘要員だ。こいつらが里に降りてくる時は、大抵ろくなことにならない。
僕は燃え盛る教会と、壊された棺桶に目をやったまま言った。
「煙が上がっていたから来た。……何をやっている」
男は肩をすくめ、酒をあおる。
「聞いたでしょ? 四人死んだって。だから弔いに来てやったんですよ」
口元が吊り上がる。
「半農の役立たずでも、一応“身内”ですからねぇ」
――弔い。
その言葉と、目の前の光景がまるで噛み合わない。もう一人が壊れた棺桶を蹴りながら笑った。
「おいおい、役立たずだったのはあいつらじゃねえだろ。指揮官の方だろ」
「違いねえ」
笑い声が、焼けた木の弾ける音に重なった。そのたび、胸の奥で何かが静かに固まっていく。
「……つまり、俺に喧嘩を売ってるってことか」
二人は顔を見合わせ、それから口元を歪めたままこちらへ歩いてくる。酒臭い息が、風に乗って流れてきた。
「聞いたんですよ。ボスには“商隊は皆殺しにした”って報告したくせに、実際は女を一人囲ってるって」
片方がわざとらしく肩をすくめる。
「これ、ボスの耳に入ったら困るのはエリックさんの方じゃないですか?」
弱みを握ったつもりらしい。言葉の端々に、隠しきれない愉悦がにじんでいた。
「……証拠はあるのか」
「またまた、とぼけなくていいでしょう」
男が顎をしゃくる。その先にいたのは、昨日未亡人を寄越せと抜かしていた男だった。こちらと目が合うと、そいつは口の端だけで笑う。
「あいつがわざわざ教えに来てくれたんですよ。ボスには報告してないので、まだ俺たちしか知りません。だからこうして、先に話をつけに来てやったんです」
なるほど。情報を盾に、僕を脅せると思ったわけだ。こっちの世界では弱みを見せると骨までしゃぶられる。
僕は男たちから視線を外さずに言う。
「護衛は全て殺した。ボスにもそう報告している」
「……は?」
男の眉がわずかに動いた。
「戦利品を勝手に抜いておいて、それで通ると思ってるんですか?」
声は穏やかだった。
だが、そこに混じるのは確認でも忠告でもない。獲物を前にした時の湿った探りだ。
「まあいい。細かい話は後でいいんで――とりあえず、その女を渡してもらえませんか?
俺たちで“ちゃんと”調べますから」
下心を隠そうともしない顔だった。燃え続ける教会。壊された棺桶。転がる遺体。そのすべてを一度視界に収め、それから僕は口を開いた。
「……わかった。牢まで案内しよう」
「へへ……女を調べる時は、エリックさんの家、貸してくださいよ」
男が口元を歪める。腹の底が、遅れてじわりと熱を持つ。だが、ここでそいつを殴れば、話が余計にややこしくなる。
「――先に火を抑えろ。棺も直せ、俺はこいつらを詰所に連れていく。」
教会の前にいた連中が一瞬だけ動きを止め、それから慌てて動き出した。その瞬間、横から衝撃が走る。足を払われて体勢が崩れ、地面に手をついたまま顔を上げると、男が見下ろしていた。
「しょうもないことしてないで、さっさと行けよ。イライラさせんな。」
よろよろと立ち上がり、僕は二人を後ろに従えて歩き出す。背後からは罵声が途切れない。
ギャハハと甲高い笑い声が耳に障る。だが、今は言う通りに案内するしかない。
「おい、さっきから全然着かねえじゃないか。あの家、さっきも見たぞ?」
「里は似たような家が多いんだよ。もう少しで着くから、うるさくするな」
後ろからまた蹴りが飛び、僕は体勢を崩した。
「エリック、お前は俺達より下なんだよ。まだわかんねえか」
裏手へ回ると、石壁に囲まれた空間に出た。四方を建物に囲まれ、その上には回廊が巡らされている。見上げれば、細い通路がぐるりと囲み、ところどころに影が落ちていた。中央は土が踏み固められただけの広場で、遮るものはほとんどない。
「……こんなところに連れてきて、何するつもりだ?」
背後で男が訝しげに声を上げる。
「人目があると面倒になるだろ。女はこの中にいるよ」
僕は振り返らずに答え、半歩だけ足を止めた。肩をほぐすように、腕を軽く回す。二人が中央へ踏み込む。
「おい、女はどこだ?さっさと連れてこいよ。焦らすな」
その声を背に、僕は一歩だけ横へずれた。
――合図だった。
乾いた音が重なり、ひゅ、と風を裂く音が走る。降ってきた最初の一本が男の肩を貫き、鈍い音とともによろめいた体へ、遅れてもう一本が腿に突き立つ。踏み出した足が崩れ、男は地面に片膝をついた。
「伏せろ! 伏――」
叫びかけたもう一人の腕にも矢が突き立ち、剣が手を離れる。さらに脇腹をかすめる一撃。浅い。だが、動きを止めるには十分だった。上から、横から、逃げ場を塞ぐように、致命傷にはならない位置ばかりを正確に射抜いてくる。
「な、なんだ……! 囲まれてる……!」
ようやく状況を理解した時には、もう遅い。足を庇って後ずさるが、次の矢が膝のすぐ横に突き刺さり、逃げ道を断つ。そうして動きが止まった瞬間、周囲の影がいっせいに動いた。
回廊の上、建物の陰、壁際の死角。潜んでいた連中が次々と姿を現し、短剣と縄を手に一気に距離を詰める。
「殺すな、押さえろ!」
声が飛ぶ。負傷した二人は抵抗する間もなく腕をねじり上げられ、地面に叩きつけられた。容赦なく押さえ込まれ、もがこうとした男の顔面に膝がめり込む。息が詰まり、力が抜けたところへ縄がかけられる。手首、肘、足首。あっという間に、動けない形に固められた。
「く……っ、この……!」
唾を吐き、睨みつけてくるが、もう何もできない。僕はゆっくりと振り返った。広場の中央で、二人は無様に転がされている。血は出ているが致命傷ではない。逃げることも、抗うこともできない。
「――ようやく静かになったな。オルグには部下をしつけておけと、あれほど言ったんだがな」
「テメェ、ボスを呼び捨てにしてんじゃねえよ」
「オルグは俺が担いでやっただけだ。勘違いするな。
……あの馬鹿に、盗賊団を回せるわけがないだろう」
その一言で、二人の顔からさっきまでの勢いがわずかに引いた。
「誰が金を集めている?誰が命令を流している?
――俺がいなくなったら、砦の馬鹿どもだけで盗賊団が回ると思ってるのか?」
二人は何も言い返せなかった。僕は周囲をゆっくりと見渡す。
「この中に、お前らの命令を聞く奴は一人もいない。誰に付けば得か、それくらい皆わかってる」
そのとき、後ろから荒っぽい足音が近づいてきた。振り返るまでもなく、何かが地面に放り投げられる。密告した男だった。両手を縛られたまま、土の上を無様に転がる。
「誰か、こいつら三人を森に捨ててこい。協力した奴には、一人につき銀貨1枚出す」
一瞬の間のあと、空気が変わった。あちこちで口笛が鳴り、面白がるような笑いが広がる。地面を踏み鳴らす音まで混じり、さっきまで様子をうかがっていた連中の目に、あからさまな打算が浮かんだ。
転がされた三人の顔色が変わる。強がりは消え、唇が震えた。
「し、知らなかったんだ……許してください……!」
砦の男が声を絞り出した瞬間、その腹に横から蹴りが入った。
「エリックさんが優しくしてるうちに、とっとと帰ればよかったな。間抜けが」
男はくの字に折れ、咳き込みながら地面に手をつく。無理やり立たされ、背中を小突かれ、そのまま歩かされる。
「どのモンスターの餌になりてえ?森に入れば、選び放題だぞ」
三人は里の男たちに囲まれたまま、森の方へと引き立てられていった。自分で始末することもできた。しかし結局僕は最後まで、自分の手を汚すことができなかった。
「あー、遅かったですか」
声に振り向くと、いつの間にか隣にアンドンが立っていた。間の抜けた声だったが、この人の場合はわざとなのか素なのか判別がつかない。
「アンドン、遅いぞ」
「急いだんですけどね。どうやら一番おいしいところは終わってたみたいで」
「もう片付いた。お前の出番はない」
「それは残念です。銀貨も貰いそびれましたし」
森へ連れていかれる三人の背を眺めながら、アンドンがふと首を傾げる。
「……でも、砦の人間を二人も始末したら、もう戻れなくありません?」
「戻る?」
自分でも驚くほど、声は冷えていた。
「お前もまだ、そんな勘違いをしているのか?最初から、あそこは俺の居場所じゃない」
しばしの沈黙のあと、アンドンは小さく息を吐いた。
「……失礼しました」
森の方から、かすかな悲鳴が聞こえた。
その声を聞いても、胸はほとんど揺れなかった。
もう後戻りはできない――そう思った瞬間、奇妙なくらい頭の中が冷えていく。
オルグもここからは完全に敵だ。
オルグを相手にするにも、狼を相手にするにも人を集めるしかない。
金も、人も、腕の立つ連中も、使えるものは全部集める。
そのためには、捨てたはずの名前をもう一度掘り起こすしかない。
『灰羽』
口には出さなかった。
ただ、その名を思い浮かべた瞬間、焼け落ちた教会の黒煙が、ひどく懐かしいものに見えた。




