第10話 値札のつかない女
僕は護衛達の牢を後にし、少し離れた商人用の牢へ向かった。護衛達の粗末な檻と違い、こちらは板壁と頑丈な扉を備えている。扱いの差は一目でわかった。
牢の前では、軽装の鎧を着た男がランスに体重を預け、気だるそうに立っていた。見張りのはずなのに、まるでやる気がない。
「アンドン、珍しくちゃんと働いてるな」
男はだるそうにこちらを見たが、相手が僕だとわかると、あからさまに嫌そうな顔をした。
「ひどいなあ、エリックさん。まるで僕が普段さぼってるみたいじゃないですか」
「みたいじゃなくて、その通りだろ。襲撃にも顔を出さないし、働いてるところを最後に見たのがいつか思い出せん」
アンドンは肩をすくめた。
「僕は盗賊じゃなくて、この里の用心棒ですからね。危ない時に立っていれば、それで十分でしょう」
「普段は立ってるところすら見ないがな」
そう返すと、アンドンは悪びれもせず笑った。
「今回はお仕事をお受けしたので、報酬はずんでくださいね」
「立ってるだけだろ?」
「またまた。若い女が牢に入ったって聞きつけて、鼻の下伸ばした連中が次々来てるんですよ。何人追い返したことか」
……だろうな。だからこそ、こういう役を回した。
その時、牢の中から声が飛んだ。
「ねえねえ、あなた、私を捕まえた人よね?」
不意の女の声に振り返ると、食事の差出口の向こうからだった。
「返事してよー。私と交渉しませんか?」
連れてこられた時は青ざめていたと聞いていたが、今はそんな様子もない。
「俺がこの里の責任者だ。囚われで何も持たないお前が、何を交渉するつもりだ?」
「命の交渉」
命?
身代金を払おうが、売り飛ばされようが、普通ならすぐ死ぬ話ではない。
それでもその女は、別の死がもう見えているような口ぶりだった。
「どういう意味だ?」
「身代金が払われたら、私は死ぬの!」
支離滅裂だ。だが、はったりを言っている顔には見えない。
「なぜ身代金を払うのに死ぬんだ?」
「それは言えない。――でも、話は聞いてくれるのね? あなたがエリックさんで間違いない?」
返事を待たず、女は言った。
「私はソフィア。そう呼んで」
僕は格子の前に立ったまま、その女を見た。捕まったばかりの人間とは思えない目だった。
「ソフィアだな。俺と交渉したいなら、まず手札を見せろ」
ソフィアはすぐには答えず、こちらを値踏みするように目を細めた。
「手札を晒して勝てるゲームなんてないでしょう? 手伝ってくれるなら全部教える」
「何もわからないのに、確約できるわけないだろ」
「身代金を要求したなら、じきに全部わかるよ」
そう言って、ソフィアは視線を逸らさないまま続けた。
「私をこの盗賊団に入れて。絶対に役に立つ」
その言い方に迷いはなかった。命乞いというより、取引を求められているようだ。
昨日の魔術師も、同じように迷わずこちらへ来た。偶然と言えばそれまでだが、司会者の「出会う」という言葉が、頭の隅で引っかかった。
「囚われの商人がか? せいぜい体を売るくらいが関の山だろう」
挑発のつもりで言ったが、ソフィアは眉一つ動かさなかった。
「それでいいよ。使えるものは何でも使えばいい。価値があるかどうかは、あなたが決めるんでしょ?」
短い沈黙が落ちた。
「……でも、売れるのは体だけじゃない。口も回るし、読み書きも勘定もできる。そこらの盗賊よりは、よほど役に立つと思うけど?」
少しだけ言葉に詰まる。
読み書きや勘定、交渉までこなせる人間がいれば楽になるのは事実だった。だが、それと信用できるかどうかは別だ。。
「使い道はありそうだが、価値はまだわからん」
「捕まった時、話が聞こえてたけど、別にボスがいるんでしょ」
返事はしない。だが、否定もしなかった。
「その様子だと、周りがみんな信用できる相手ってわけでもなさそうですね」
思わず目が細くなる。
この里で背中を預けられるのは、せいぜいルドガーくらいだ。
「ほら、有能で信頼のおける部下がひとりいれば、少しは楽になるかもしれませんよ」
そこまで言って、ソフィアはかすかに口元を緩めた。媚びる笑みではない。こちらの隙を見た上で、そこへ言葉を差し込んでくる笑い方だった。
「自分のことを話さない奴に、信用なんて言葉を使ってほしくないな」
「そうねえ。少なくとも、オルグ盗賊団に捕まるところまでは予定通り、と言っておきましょうか」
予定通り。はったりにしか聞こえない。
だが僕には、そこに嘘がないことだけはわかってしまう。話の筋は通らないのに、妙に引っかかる。
「一旦保留だ」
そう言いかけた、その時だった。教会の方角から、何かが砕け散るような激しい音が響いた。僕とアンドンは同時にそちらを見る。
少し遅れて、屋根の向こうに黒い煙が立ちのぼるのが見えた。さらに遅れて、遠くから悲鳴が届く。
「……火事ですか?」
アンドンが目を細めたまま呟く。
「ただの火事で、あんな音がするか」
答えながら、僕はもう半ば教会へ向かうつもりでいた。
嫌な予感がした。火事そのものより、その前に鳴った音の方がまずい気がする。
その背中に、ソフィアの声が飛ぶ。
「こういう時に任せられる相手がいれば、ずいぶん違うんじゃない?」
僕は足を止めなかった。
だが、その言葉は妙に耳に残った。
教会の火より厄介なのは、あの女の言葉をまだ切り捨てきれていないことだった。




