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06_無条件のやさしさ(2)

「やあ、おはよう。よく眠れたかな?」


 モーニングルームの扉を開けて入ると、差し込んでいる心地よい日差しを受けたセドリックが一際まぶしい笑みを見せて、フィリスを出迎える。


 昨日、フィリスの父であるコッド子爵が診療所を退院したのを機に、気づけばスペディング公爵邸にお世話になることになってから、一夜が明けた。


「ええ、はい……」


 フィリスはあいまいに答えるが、本当のところ、馬車での長距離の移動がかなり堪えていたようで、お世話になる身にもかかわらず、自分でも呆れるほどぐっすりと眠れた。 


 あてがわれた部屋は、淡いクリーム色の壁紙がやさしい雰囲気をかもし出していて、配置された家具などは高級品ながらも控えめな装飾で、片田舎で慎ましく暮らすフィリスでも落ち着けた。


 ベッドは雲のような柔らかさで、横になるなり、気づけば熟睡していたのだった。


「そう、ならよかった」

 そう言ってセドリックは、自然な動作でフィリスを朝食の席へとエスコートし、自ら椅子を引いて、彼女を腰かけさせた。


「あの……、父は……?」 

 戸惑いながら、フィリスは広い室内を見回す。


 フィリスが知るモーニングルームよりも、数倍の広さがあった。

 公爵家ともなると、ここまで違うのかと、家格の違いに驚かされる。


 セドリックは、フィリスから片時も目を離さず、

「ああ、今朝は早くからお出かけになられたよ。元々今日は、誰かと会う約束があったらしくて、きみによろしくと言っていた」


「あの足でですか⁉︎」

 フィリスは追いかけようと、腰を浮かす。

 杖をついて歩くのがやっとだ。まだ外出は控えたほうがいいのは、医者でなくともわかる。


 するとセドリックが急いで席を立ち、フィリスの手に触れ、押し留める。


「おそらく、仕事関係じゃないのかな。私も日を改めてはどうかとお伝えしたが、難しいようだった。念のため、うちの馬車を使ってもらっているし、ケビンも同行させている。何かあっても、彼が対処できるはずだ」

 とやさしく言い聞かせるように言う。


「……そうですか、何から何まで本当に申し訳ありません」

 フィリスは、力なく椅子に腰を下ろす。


 仕事関係となると、ただの娘であるフィリスに出番はない。そばにいることすら、話の邪魔にしかならないだろう。

 元々、父が王都に出てきていたのも、傾く一方の子爵家の現状をどうにかするためだった。


 セドリックは、フィリスの手に自分の手を重ねたまま、

「そういうときは、ありがとう、って言ってほしいかな」

 まるでお菓子をねだる子どものように笑って、フィリスの顔を上から覗き込む。


 フィリスは、盛大に飛び跳ねた。

 今世を平穏に生きるため、フィリスは他人との接触を極力()ってきた。

 近しい人は、両親と子爵家にいる家政婦くらいだ。


 異性である紳士に、しかも多くの令嬢が頬を染めるような整った容姿のセドリックから甘い言葉をかけられて、平然としていられるほどの耐性はフィリスにはない。


 ごく自然に、気づけばあり得ないほど近くにいるセドリックに、フィリスの心臓は片時も休まらない。

 そのあと、なんとか朝食を食べ終えたものの、味はまったく覚えていない。


 食後の紅茶をいただく頃になって、フィリスはようやくあることを思い出し、慌てて、

「あの、このあと、外出しても構いませんか?」

 とセドリックに尋ねる。


「構わないが、でも、どこへ?」

 セドリックは、少しばかり怪訝そうに、問いかける。


 フィリスが王都に出てくるのがはじめてだということは、昨日招待された晩餐の席で話している。

 知り合いもいないのに、どこへ行くのだと、気にしているのだろう。


「父の下宿先です。お世話になりましたから、お礼も兼ねて」

 フィリスは答える。


 父がこの王都で滞在していた下宿先だ。

 置いていた荷物は、セドリックの指示どおり、昨日のうちに公爵家の使用人の手によって早急に公爵邸に届けられたため、下宿先の人に父がお世話になったお礼を伝える機会を逃してしまったのだ。


「なるほど。それなら、公爵家の馬車を使って、その際、侍女もひとり連れて行くといい。王都では、若い令嬢がひとりで出歩くことはほとんどないからね」


 セドリックが親切心で申し出てくれたことは、フィリスにもよくわかったが、ただでさえお世話になっている身で、そこまでしてもらうのはさすがに気が引けた。


「いえ、そこまでしていただくわけには……」

 丁重に断る。

 少しあいさつして帰るだけだ、それくらいならひとりでも問題ないだろう。


 しかし、セドリックは、首を横に振って、

「いや、ぜひ、そうしてもらいたい。あいにく私はどうしても外せない用事があって一緒に行けないが、きみひとりで出歩かせたとなれば、子爵に申し訳が立ないからね」


 父のことを口にされてしまっては、それ以上、断ることはできない。

 フィリスは深くお礼を述べて、一頭立ての小さめの馬車を借り、頼り甲斐のありそうな年上の侍女に同伴してもらうことになったのだった。




 馬車に揺られ、しばらくすると、昨日も目にした下宿先の宿屋に着く。


 建物の見た目はいささか古い感じはぬぐえないが、愛想のよい亭主とその女将が切り盛りしているらしく、居心地は悪くなさそうだった。


 フィリスは、亭主と女将にお礼を言って、少しばかり世間話をしたあとで、宿屋をあとにする。


 待ってもらっていた馬車に乗り込もうとしたところで、

「そこのご令嬢(レディー)、ちょっと待ってください」

 背後から呼び止められた。


 振り返れば、自分よりも少し年下くらいかと思われる少女が、こちらに手を振っていた。


「わたし、この宿屋の娘です。あなた、コッド子爵の娘さんなんですよね? これ、廊下に落ちてました」


 愛想のよい亭主と女将の娘らしく、親しげに微笑んでくれる。


 差し出されたそれは、見慣れた父のネクタイピンだった。


 使い古されたネクタイピンだが、付いている小さなサファイアは、父の亡き母が残したイヤリングの宝石を使ったものだと聞いている。ただし、透明度の高いサファイアではないため、石自体の価値はさほど高いものではないが、それでも売れば平民の三ヶ月分ほどの生活費にはなるはずだ。

 少女が拾ってくれていなければ、いま頃どこかに売り払われていたかもしれない。こうしてわざわざ届けてくれた気持ちがうれしかった。


「ありがとう。父が大事にしているものだから、助かります」

 フィリスは、少女の心遣いに感謝しながら、受け取る。


 少女はじっとフィリスを見上げる。

 すると、馬車で待っていてくれた侍女が、さっと少女に何かを握らせる。


 少女は、にかっと笑い、

「子爵に、また機会があったらご利用くださいって、伝えてください」

 手を振って、宿屋の中へと戻って行った。


 フィリスは、慌てて侍女に顔を向け、手にしている手提げ袋(レティキュール)から銅貨をひとつ取り出すと、彼女に手渡す。


 先ほど、宿屋の娘に渡したのは、落とし物を届けてくれたことへの心づけだ。


「すみません、慣れていないもので、ご迷惑を」

 とフィリスは謝る。


 ただの居候にすぎない自分の用事に同行してもらっただけでもありがたいのに、公爵家の侍女にお金を使わせてしまった。

 フィリスは、不慣れな自分を恥入る。


 しかし侍女は柔らかく微笑むと、

「ご心配には及びません。セドリックさまには、きちんとご請求できますので」

 冗談めいて答える。


 フィリスは目を丸くする。

 一介の使用人である侍女が、主人の息子であるセドリックに対する言葉とするには、思いのほか気安かったからだ。

 しかしそれだけ、主人一家と仕える者との信頼関係が築かれているという証拠でもある。


 そしてそれを、ただの一時の居候にすぎないフィリスに対しても、疎ましく思うことなく、敬意をもって接してくれることが、とてもうれしかった。


「……ありがとうございます」

 フィリスは、安心しきったように微笑んだ。



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