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03_稀代の悪女と聖女と子爵令嬢(2)

 前世から三百年後、フィリスは、再びレザーク王国に生まれた。


 フィリスが物心つく頃になると、前世の記憶が徐々に頭の中に呼び起こされるようになる。


 前世のフィリスは、王国の第一王女だったが、義妹の第二王女ミーシェジェニカによって、母と王妃を毒殺した罪を着せられ、稀代の悪女として処刑された。


 思い出したくもない悪夢のような記憶──。


 首をはねられた恐怖は、昨日のことのようにはっきりとよみがえる。


 自分の中に、まったく異なるふたりの人物がいるような異様な感覚に、フィリスは狂ったように泣き叫んだ。


 そんな自暴自棄に陥るフィリスを救ったのは、教会だった。

 神に祈りを捧げ、献身することで、フィリスは心の平穏を取り戻す。


 すると、フィリスにある奇跡が起きる。

 フィリスが祈れば、人々の傷が治り、病が治る。

 それは比喩ではなく、本当にフィリスは奇跡の力をもっていた。


 すると教会は、フィリスを女神の代理人、聖女だと(たた)えた。

 民もそれを受け入れ、我先にと次から次へと聖女の施しを求めた。


 前世の不遇の王女時代には感じたことのなかった高揚をフィリスは感じていた。


 今度は、誰からも(かえり)みられない役立たずの王女ではなく、人々に治癒と安寧をもたらす教会の聖女。


 誰かに必要とされることに、心が打ち震えるほどのよろこびを感じ、フィリスは求められるまま、己のすべてを捧げた。


 しかしある日、異変が起こる。


 フィリスが奇跡の力を使うと、これまでなかった疲労を感じるようになる。


 歩くことさえ困難になりつつあったが、フィリスは無理を押して、聖女としての務めを懸命に果たした。


 しかし体は治ることなく、ついには吐血するまでになった。


 それでもフィリスは、自らの務めを止めることはなかった。


「──聖女さま、民は聖女さまの施しを求めています。どうか、よるべのない哀れな民をお救いください」


 フィリスにそう言ったのは、聖女のそばに長年仕えている、年下の侍女だった。


 侍女は、フィリスを労るように、そのやせ細った背中にそっと手を当て、体を支えてくれる。


 フィリスは、心やさしい侍女を仰ぎ見る。

「ええ、ミッシェル。いつもそばで支えてくれてありがとう。わたしは、まだがんばれるわ」

 心配させまいと、言葉を振り絞る。


 ミッシェルと呼ばれた侍女は、フィリスの気持ちを汲むように、

「わたしにできることなら、なんなりとおっしゃってください。お体もじきに回復するはずです」

 と深く頷き、微笑んだ。


 しかし、フィリスの体調は回復するどころか、悪化する一方だった。


 さらに奇跡と呼ばれた力は徐々に失われ、いまや小さなかすり傷ひとつ治すだけでも、精いっぱいだった。


 もう起き上がることすらできなくなった枯れ枝のような体をベッドに横たわらせ、フィリスは自身の命の終わりを感じていた。


 でも何も悲しくなかった。


 前世では、誰の役にも立たない王女として過ごし、稀代の悪女と呼ばれ、汚名を晴らせないまま、無惨にも処刑された。

 それに比べれば、民の役に立つことができ、必要とされ、そばには自分を思い、支えてくれる教会の人々がいる。

 これ以上のよろこびはないと、フィリスは本気で思っていた。


 視野がだんだんとぼやける中、

「聖女さま、お加減はいかがですか……」

 心配さをにじませる声音で、ベッドのかたわらに控える侍女のミッシェルが尋ねる。


 フィリスは、もう声すらも出せなかった。


 ありがとう、とお礼を言いたいのに、それができないのが悲しかった。


 前世では、名ばかりの王女である自分に尽くしてくれた侍女のマリナにお礼を言えなかったことが、ずっと心残りだった。


 フィリスは、ふと、ミッシェルとはじめて顔を合わせた数年前の日のことを思い出す。


 あいさつを交わし、ミッシェルという名前を聞いたとき、フィリスは背筋を凍らせた。

 さらにその侍女は、「ミーシェと呼んでください」と微笑んだのだ。

 フィリスは、前世での苦痛が一気によみがえり、その場に膝をついた。


 (おのの)きながら侍女の顔をたしかめると、そこにいたのは、金髪碧眼の美しいミーシェジェニカとは似ても似つかぬ、焦茶色の髪と瞳のいたって平凡な顔立ちの少女だった。


(そうよ、愛称のミーシェだって、特別めずらしいものではないわ……)


 フィリスは自分に言い聞かせた。


 しかしそれでも、前世の自分を死に追いやった義妹のミーシェジェニカと同じ愛称を口にすることはできなかった。


 前世で自分が亡くなってから、すでに三百年という長い年月が経過している。


 史実によると、国王をはじめとする王族たちは、フィリスが処刑された年の暮れ、度重なる重税に対する不満から起こった民衆の大暴動によってことごとく命を落とし、地位を追われたとあった。

 その暴動の中、敵国であるガルド帝国に侵略される危機に陥るが、レザーク王国の騎士団や貴族諸侯らがそれを退けたという。おそらく第二王女であるミーシェジェニカも、そのときに亡くなったであろうと思われた。


 それらは、フィリスが聖女の地位を得たあとで、過去の歴史を調べて知ったことだ。


(皮肉なものね……)


 事実を知ったあとで、つぶやいたのはその一言だけだった。


 無実の罪で死に追いやられた怒りよりも、胸に広がるのは虚しさだった。


 だんだんと意識が遠のくのを感じる。

 昔のことを思い出すのは、死が近づいている証拠だろう。


(最期にもう一度、あの声を聞きたかった……)


 フィリスは、わずかな心残りを心の中でつぶやく。


 教会は、字が読めない民のために、定期的に聖堂を開放して、聖書の言葉を伝える朗読会を開いていた。

 朗読会では、下級聖職位(マイナー・オーダー)である 朗読者(レクター)が、交代で朗読を務めていた。


 その中のひとりの朗読者の声が、フィリスの疲れた心を癒してくれた。

 低いけれど、よく通り、とても慈愛に満ち、やさしくて包み込まれるような声だった。


 フィリスは聖女として、教会のため、民のために献身するだけの存在で、彼は教会の中でも下級聖職位にすぎない朗読者。顔を合わせる機会も、言葉を交わす機会もない。


 しかし彼が朗読者として、聖堂の壇上に上がるとき、フィリスはこっそりと裏口から入って、カーテン越しに聞き耳を立てた。


 聖女としてのフィリスは、民の役に立てることこそ自らの存在意義だと信じ、よろこびを感じていたが、その声を聞いているときだけは、聖女ではなく、ひとりの人間として、ささやかなしあわせを感じていられた。


 砂時計の砂がゆっくりと落ちるように、フィリスの命が尽きるときが近づいていた。


 しかしその刹那、


「──今度こそ、さようなら、お義姉さま」

 

 聞き慣れたあざけりの声が聞こえる。


 気のせいだと思った。


 フィリスは最期の力を振り絞って、まぶたをこじ開けようとしたが、それは叶わなかった──。



重苦しい過去エピソードが続きましたが、次話からは今世です!

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