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【番外編】偽りの宿屋の娘とコッド子爵

*番外編追加しました!

*前々世の第一王女だった頃のフィリスの異母妹・ミーシェジェニカ視点、宿屋に下宿していたフィリスの父とのやりとり過去エピソードです。

 ミーシェには、レザーク王国の第二王女だった前々世、そして聖女の侍女だった前世の記憶がある。


 いずれも数百年以上も遥か昔のことだ。


 そして三度目の今世、ミーシェはろくでもない親の元に生まれ、物心つかないうちに売られた。


 何もわからないまま買主商団の馬車に乗せられ、国境を越えて連れていかれた先、そこで待っていたのは苦痛と屈辱の日々だった。


 生まれた国がどこだったかさえ忘れ、使い捨てられては売られ、また買われてを繰り返したあと、意を決してそのとき働かされていた老領主の元から隙を見て逃げ出した。


 生きるためなら盗みでもなんでもやった。物乞いのような真似までした。




 やがてミーシェはガルド帝国に流れ着く。


 ガルド帝国は昔と変わらず、レザーク王国にとって敵国だった。相手は虎視眈々と侵略できる機会を狙っている。


 帝国の現皇帝は酔狂な男だった。


 今や最下層で暮らすミーシェとは接点などない人物だったが、あるとき楽器奏者として訪れた娼館でミーシェが偽金貨に気づき指摘した際、たまたま居合わせた皇帝に興味をもたれ引き入れられた。


 金貨など手にする機会がほとんどないのが平民だ。それなのに偽物を言い当て、さらに上流階級が嗜む楽器を難なく弾きこなし、平民とは思えない優雅なしぐさが垣間見えるミーシェは、皇帝の目には面白く映ったらしい。


 ミーシェにとって第二王女だった前々世で通貨と言えば金貨以外になく、楽器の扱いも立ち振る舞いも王女教育の過程で身につけたものだ。


 皇帝の中では、ミーシェがどこかの国の間諜(スパイ)だという疑いはもっていただろうが、それ以上に彼自身が面白いと感じるかどうかが何よりも優先される。


 だからだろう。


 誰もが気狂いだと相手にしないような、ミーシェの前々世や前世の記憶の話に興味をもつなんて。



  * * *



 レザーク王国の王都にある、下宿としても貸し出している安価な宿屋。


 三年ほど前から、ミーシェはここで中年夫婦が営む宿屋の娘として、ごく普通の家族を装い潜入している。


 中年夫婦役の男と女もミーシェと同じく、皇帝の配下にいる組織の人間だ。


 主な仕事は情報収集だが、指示をされればそれに従うだけ。


 ていよく使われている嫌悪感はあるが、だからといって生きる以外の明確な望みがあるわけでもない。


 いまのミーシェにとって国の行く末などどうでもよかった。ガルド帝国がレザーク王国を手に入れようが、はたまたガルド帝国がどこかの国に攻め込まれようが、ミーシェには所詮他人事。戦争が起こる前にほかの国に移ればいいのだから。


 ただひとつだけ心がざわつくのは、前々世から続く姉の存在。


 美しいと評判の第二王女だった前々世のミーシェは目障りな異母姉(あね)の第一王女を葬るべく、自分の母である正妃と姉の母である側妃を毒殺した罪を姉に着せ、稀代の悪女として処刑されるよう追い込んだ。


 だがその後、民の暴動が起こり、ミーシェは王城から逃げた先でどこぞの民に捕まり命を落とす。


 そこで人生は終わったはずだった。それなのに──。




 二度目の人生の前世は平凡な容姿に生まれ、その容姿と同じく平凡な人生だった。


 最初は絶望もしたが大きなよろこびがない分、大きな苦しみもない。ただ毎日が淡々と過ぎることに平穏を感じるようになった。


 それなのに悪夢のような出会いが待っていた。


 伝手でとある教会の働き口を紹介され、奇跡の力をもつ聖女とはじめて対面したとき、その聖女が姉の生まれ変わりだと気づいた。


 どうしてまた自分の前に現れるのか。


 激しい憎悪が込み上げ、姉が聖女と崇められるたびズタズタに引き裂いてやりたい衝動に駆られたがそれをなんとか押し留め、献身的な侍女を装いそばに仕え続けた。そしてより深い絶望を与えられる最期のときを待ち侘びた。


『──今度こそ、さようなら、お姉さま』


 聖女である姉が息を引き取る間際、自分の正体を伝えたときの姉の絶望を目にして、笑いが止まらなかった。


 ようやく姉は死んだ。


 その後蔓延する疫病によりミーシェは命を落としたが、これでもう悪夢から解放されるはずだと思えば、死さえ怖くなかった。


 だから前世の記憶をもったまま三度目の生を受けたとき、何かの間違いだと思った。


 生まれた境遇は最低で、ろくでもない親には簡単に売られ、希望も何もない。


 それでも唯一の救いにすがるように、今世こそは姉の存在を感じることはないはずだと、何度も自分に言い聞かせた──。



  * * *



「やあ、おはよう」


 早朝、箒を手に宿屋の前で掃き掃除していたミーシェに親しげにあいさつしてきたのは、丸顔のいかにも人の良さそうな中年男だった。


 コッド子爵といって、先月からこの宿屋に下宿している客だ。


 はじめてあいさつしたとき、一目見て誠実すぎて騙される類の男だと感じた。


 貴族ではあるが領地は田舎で、着ている物やこんな安宿を利用していることからも裕福ではなさそうだった。


 女将が聞き出した話によると、彼は金策のため王都にいる親類縁者や融資をしてくれそうな銀行などを訪ねにやって来たというから、よほど困窮しているのだろう。


 そんな状況では自分のことで精いっぱいで、他人を気遣える余裕などないのが当たり前なのに──。


「まだ朝晩は冷えるだろう、よかったらこれを使うといい」


 コッド子爵はごく自然に今自分が身につけているマフラーを取ると、ミーシェの首にふわりと巻いた。


 突然のことに固まるミーシェをその場に残し、彼は満足そうに出かけていった。




 その日夜遅くに帰ってきたコッド子爵の部屋をミーシェは訪ねた。マフラーを返すためだ。


「おや、わざわざ返しにきてくれたのかい? 夜も遅いのにすまないね。ああ、そうそう、きみにこれを渡したかったんだ。今日お伺いしたお宅でいただいてね、よかったらもらってくれないか」


 そう言って彼はミーシェの手に、ハンカチに包まれた何かを乗せる。


 ハンカチを開けてみれば、中にはクッキーがあった。少し割れてしまっているのは、子爵がポケットにでも入れていたせいだろう。


 ミーシェはもらったクッキーを自分の部屋に持ち帰ったあと、少しずつかじって食べた。


 前々世の王女だったとき、こんな素朴なクッキーよりももっと高級なお菓子を飽きるほど食べたはずなのに、こんなに美味しいと感じたのははじめてだった。


 その後もコッド子爵はミーシェを見るだび優しく声をかけ、気遣うそぶりを見せ、ときにお菓子のお土産をくれたりした。


 訊けば、子爵にはミーシェと同じくらいの年の娘がいるという。だから放っておけないのだと。


「きみにしてみればお節介だろうね、すまないね」


 そう言って子爵は頭をかきながら苦笑いする。


 王女であったときですら、父親の愛情を感じたことはなかった。


 でも子爵に接するたび、ミーシェは父親とはこういうものなのだろうかと、ぼんやりと思う。


 ほんの少し彼の娘を羨ましく感じた気がしたが、そんな感情あるはずないと首を横に振って消し去った。



  * * *



 コッド子爵が下宿するようになってから数ヶ月が過ぎた。相変わらず彼はミーシェを気にかける。


 その日、ミーシェは朝からそれぞれの客室の掃除をしていた。


 ベッドのシーツをはぎ取って洗濯し、部屋の床を掃いて、煤で汚れたランプを磨く。かなりの重労働だ。


 廊下の奥の部屋から手前に向かって順番に掃除していき、コッド子爵が滞在している部屋の番になる。


 部屋に入り、掃除をはじめていくらもしないうちにふと壁際の机の上に視線を向ければ、何かキラリと光るものがあった。


 手を伸ばしてつまみ上げる。


 ネクタイピンだ。それもサファイア付きの。


 王女だったミーシェにしてみれば、宝石付きのアクセサリーなどさほどめずらしいものではないが、平民ならばそうそう手にできる機会はない品物だ。


 使い古されているから、大切にしているものなのだろう。


 ミーシェはいまはガルド帝国の皇帝配下の組織にいるが、いつどうなるかわからない。いざというときのためにも蓄えは多いほうがいい。


 だから気が向いたとき、金や金目のものを盗んで換金し、自分の懐に入れることがあった。


 ただ宿屋の客を狙うのはリスクが高すぎるので、盗みを働くときは街中で狙いやすそうな相手を慎重に見極め、細心の注意を払っている。


 だからそのとき、盗む気など本当になかった。


 でもふいに聞こえた物音に驚き、思わずエプロンのポケットに入れてしまったのは、あきらかな失態だった。


「……あ、えっと」


 振り返れば、開いたドアのそばにはコッド子爵が立っていた。


 いつから見られていたのだろう。


 いつもなら不利な状況を切り抜けるための嘘などいくらでも並べることができるのに、なぜかそのときは頭が真っ白になって何も言葉が出てこなかった。


 ネクタイピンは机の上から消えていて、ミーシェの右手はエプロンのポケットに不自然に突っ込まれたまま。


 状況は自分が犯人だと自ら言っているようなものだ。


 コッド子爵はそっと後ろ手にドアを閉め、ミーシェに無言で近づく。


 大声で罵られるか、平手打ちか。それとも鳩尾を蹴られるのか。


 ミーシェはぎゅっと目をつむり、覚悟する。


 しかし次の瞬間感じたのは、あたたかな手の感触だった。


 ミーシェのエプロンのポケットに突っ込んでいる右手に、子爵の丸みを帯びた手が添えられていた。


「何か物入りなんだろう。あまりお金にならないかもしれないが、すまないね」


 子爵は本当にすまなさそうに下がり気味の眉をより一層下げて、ミーシェにそう言う。


 そしてわざとらしいくらいに、何かを思い出したそぶりを見せる。


「ええっと、忘れ物をしたと思って引き返してきたんだが、私の勘違いだったようだ。いつもきれいに清掃してくれてありがとう。今日も帰りは遅くなるから、女将さんに伝えておいてくれないか」


 子爵は部屋にミーシェを残したまま、慌ただしく出かけていった。


 あり得ないほどのお人好し。


 この世にこんな人間がいるなんて、ミーシェは知らなかった。




 後日、ミーシェはコッド子爵に何度もネクタイピンを返そうと機会をうかがうも、どうしても勇気が出なかった。


 それはなぜなのか、ミーシェには分からなかった。


 コッド子爵は何事もなかったかのようにミーシェに接する。そうなるとますますミーシェは言い出せなくなる。


 明日こそ、また明日こそと心に誓うが、気づけば三日経ち、五日経ち、ついには一週間が過ぎる。


 ミーシェは怖かったのだ。


 ネクタイピンを盗んだのが自分だと知られているのに、それでも自ら罪を白状することで、もし子爵の態度が変わってしまったらと思うとどうしても言い出せなかった。


 そうしてずるずると返せないまま、ミーシェは子爵のネクタイピンを保管し続けることになる。




 気づけば、一ヶ月以上が経過していた。


 コッド子爵は変わらず下宿しているが、その日はめずらしく翌朝になっても、彼は宿屋に戻ってこなかった。


 宿屋の中年夫婦役のふたりは宿代が前払いされている安心感があったので、他人事のように「どっかで野垂れ死んでるんじゃないか」「あの客ならあり得そうだね」と笑っている。だがミーシェはどこか落ち着かない気持ちで子爵の帰りを待っていた。


 しかし二日経っても戻って来ず、連絡もない。


 ミーシェは以前から貸しがあった裏の情報屋に出向き、子爵の行方を探らせた。


 すぐに返事は来た。どうやら馬車の事故に遭って診療所に入院しているとのことだった。命に別状はないと聞き、ミーシェはほっと息を吐いた。


 見舞いに行くべきかと思ったが、そもそも事故に遭ったことを知らされていないのに突然訪ねるのは不自然だった。


 そうして数日が過ぎた頃、子爵から事故に遭っていたことを知らせる連絡が来たと思えば、そのすぐあとに子爵の代理人を名乗るいかにも貴族屋敷の使用人といった風貌の男が宿屋を訪れ、子爵はもう宿には戻らないと告げ、彼の荷物を回収していった。


 ミーシェの手元には、彼のネクタイピンだけが残されたまま。


 翌日になりどうしようか迷っていたとき、子爵の娘が宿屋に来たと知って、慌てて追いかけた。


 ネクタイピンを返す目的もあったが、本当は心の中で気になっていた。彼が愛情を注ぐ娘はどんな少女なのか──。


 だが彼の娘を見た瞬間、ミーシェは絶望に突き落とされる。



 後日、ミーシェはある決意とともに、自分を配下に置く皇帝に伝えた。


 姉が現れた──。


 皇帝からは、もしその存在がまた現れるようなことがあったら教えてくれ、と面白半分に言われていた。


 そしてミーシェは自分の目的のため、自ら強く望んで皇帝と手を組む。


 すべての元凶である姉を、今世こそ必ずあの世に送るために──。





過去エピソードにはなりますが、さらに番外編追加してみました(ˊᵕˋ*)

(遅くなりましたが、前にうれしいご感想いただいたので)


当時本編に入れたかったけど難しいなと思ってやめて、番外編にしようかなと思いつつできてなかったことを昔のメモを見て思い出し(ˊᵕˋ:)、今回入れました! 本編でフィリスの父コッド子爵が拉致されながらも危害が加えられなかった背景には、こんな事情がありました。

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