【番外編SS】プロポーズの花束
「被害者を装った無礼者でしょうか……」
馬車から降り、石畳の上にうつ伏せに横たわる人物を見下ろし、侍従のケビンが漏らす。
「その可能性が高いだろうな」
そう言って、スペディング公爵家の嫡男であるセドリックは、馬車の中から石畳を見下ろしながら、息を吐き出す。
まるでタイミングを狙ったかのように、この公爵家の走行する馬車の前に飛び込んできたひとりの男性。
慌てて御者が馬を止めたのでことなきを得たが、男性は頭を打ったのか、意識がないようだった。
これまでも似たようなことがある。
馬車の紋章を見て、高位貴族だと知った上で、馬車の前に飛び出し、けがをしたそぶりをして、治療費を要求するのだ。
その場合、たいていはすぐに起き上がり、大声でけがしたことをわめき散らすのだが、しばらく待ってみても、男性はぴくりとも動く気配がない。
さすがに心配になったセドリックは、
「ひとまず診療所へ」
と素早く告げる。
急いで男性を馬車の中に運び込む。
座椅子の上でぐったりと横になる男性は、平民ではなさそうだが、身につけているジャケットなどはくたびれており、貴族であってもおそらく下位貴族で、それもあまり裕福ではないようだった。
間もなく着いた診療所で、診察を終えた医者によると、男性は頭を打っているが、命に別状はないとのことだった。
だが、様子を見るために、数日入院したほうがいいと言ったあとで、医者は、
「それと、かなりの栄養失調ですな。ここ最近、ろくなものを口にしていなかったんでしょう。倒れるのは時間の問題だったでしょうな」
と付け加えた。
その言葉を聞いて、セドリックは、男性が被害者を装った無礼者ではなかったのだと、ようやく理解した。
その日のうちに目が覚めた男性は、恐縮しながら、コッド子爵だと名乗った。
下がり気味の眉をさらに下げながら謝る様子は、いかにも善良な人間のように感じる。
だが、表面上いくら取り繕おうとも、内面はそうではない人間を数多く知っている。
セドリックは人当たりのよい笑みを浮かべながらも、警戒をゆるめなかった。
コッド子爵は、身なりからしても裕福ではないことはあきらかだ。
馬車はぶつかってもいないし、勝手に馬車の前に飛び込んできたのは、相手のほうだ。
万が一、治療費を要求してくるようなことでもあれば、それ相応の手段に出るつもりでいた。
しかし始終恐縮しながら頭を下げる子爵が口にしたのは、領地に手紙を一通出したい、というささやかなものだった。
セドリックは怪訝に思いながらも、表には出さず、了承した。
子爵が書き上げた手紙を受け取り、診療所を出て馬車に乗り込んだあとで、
「ケビン」
そう言って、すぐさまケビンに手渡す。
的確に意図を把握しているケビンは、素早く封を切り、中身の便箋をセドリックへ渡す。
文面に目を落としたあとで、セドリックは、くすりと笑った。
「手紙にはなんと?」
ケビンが訝しむ様子で、セドリックに確認する。
セドリックは、便箋をケビンに戻しながら、にこやかに、
「彼が善良な人間だということしか、書かれていないよ」
と告げる。
手紙には、こう書かれてあった。
『愛するフィリス
フィリス、元気か、お母さまも変わりないだろうか。
突然、こんな手紙を送ってすまない。じつは、私の不注意で馬車に衝突する事故を起こしてしまった。いまは診療所で治療を受けさせていただいているが、治療費を返せるだけのものが手元にない。
フィリスや、すまない。我が家に代々受け継がれているあのネックレスを王都まで届けてくれないか。それをお渡しして、なんとか借りたご恩をお返ししたいと思う。こんなことのために王都に出てきたのではなかったが、本当にすまない。
どうか道中、気をつけてきておくれ。ネックレスは盗まれないよう、ドレスの下に隠して、身につけておくように──』
セドリックに治療費を要求するどころか、診療所に運び入れ、治療を受けさせてもらっていることに最大級の恩を感じている。
その上、セドリックに対して、子爵家に代々受け継がれる家宝を差し出すとまで書かれている。
(こんなにも善良な人間が、貴族の中にいるとは……)
セドリックは目を丸くしながらも、コッド子爵に尊敬の念を抱いた。
そして、ふと気になる。
(……この子爵の娘なら、どんな娘だろう)
セドリックは、今世ではじめて、女性に興味を引かれた。
娘は近々、そのネックレスを持って王都にきっと来るだろう。それならば、ぜひ一目見てみようと思った。
それから数日後のこと──。
セドリックは、その日の予定が急遽変わって、空いた時間ができたこともあり、ふと子爵の見舞いにでも行こうかと思いつく。
馬車を走らせているその道中、通りにある一軒の花屋が目に入る。
馬車を停めさせ、色とりどりのガーベラを使った見舞い用の花束を購入する。
ケビンがあきらかに不審な目で、
「子爵は男性ですが……」
と主人に告げる。
しかしセドリックは気にも留めず、
「まあ、いいだろう、目についたんだ。でもあの子爵なら、たとえ道端に落ちている小石でもきっとよろこんでくれるはずだ」
と冗談めいて言う。
ケビンは呆れ顔で、
「さようですか」
と一言漏らす。
そしてそのすぐあと、セドリックはずっと待ち望んでいた相手との再会を果たすことになる。
後日、セドリックは、その日花束を手にしていた自分を大いに褒めたたえた。
「愛しい女性にプロポーズするのに、花束のひとつもないなんてあり得ないからね」
本編の裏側エピソードです。
あの日、花束がセドリックの手元にあったのは、こんな理由でした!
楽しんでいただけますように(*ˊᵕˋ*)