19_しあわせな花嫁(1)
「け、結婚ですと──⁉︎」
翌日のお昼過ぎ、スペディング公爵邸の応接間の一室で、フィリスの父であるコッド子爵はそう叫び、二日酔いでガンガンする頭を抱えながら、蒼白になっていた。
「……フィリス、冗談だろう?」
真意をたしかめるように、テーブルを挟んだ向かい側に座る娘のフィリスへ困惑する目を向ける。
ソファーに浅く腰かけているフィリスの隣には、さも当然といった様子のセドリックが座っている。
この部屋に入って来たときから、ふたりの距離がやけに近く、親密な空気を醸し出していることに気づいていた。
昨日まではそんなことがなかったのに、一晩で様変わりしてしまった関係に困惑を隠せない。
フィリスは、膝の上でぐっと拳を握り、
「わたし、セドリックさまのそばにいたいの」
父から目をそらさず、はっきりと告げた。
昨日、フィリスは、父を口実に脅迫されて呼び出され、命を失いかけたが、そのことは父にはふせていた。
フィリスが過去の記憶をもっていることはもちろんだが、敵国のガルド帝国が関与しているため、事件については機密扱いになっているからだ。
だがむしろそれでいいと、フィリスは思っている。
自分の過去を父に知られる以上に、この王都で世話になったと思っている宿屋の主人一家が娘のフィリスを殺めようとしていたと知れば、父はきっと悲しみに暮れてしまうだろう。それだけは避けたかった。
何も知らない父としては、二日酔いで目覚めると、なぜか娘が突然、知り合って間もない公爵家の嫡男のセドリックと結婚すると言い出すのだから、驚いて当然だ。
初対面でのセドリックからの思いもよらないプロポーズはあったものの、フィリスは断っていたし、いまとなっては、あれは何かの間違いだったのだと父は思っているはずだった。
父は、あまりの衝撃に口を開こうにも、うまく言葉が出てこない様子だった。
すると、セドリックが、
「コッド子爵、すぐにお許しいただけないことは承知しています。ですが、私はフィリスを諦めるつもりは毛頭ありません。何度でも結婚の許しを請うつもりです」
真剣な表情で告げる。
父はすでに卒倒しそうな勢いだった。
本来、貴族ともなれば政略結婚が当たり前で、その中でもはるか格上の公爵家と縁付くなど願ってもない話だ。父親ともなれば、ふたつ返事で娘を嫁に出すだろう。
しかし、フィリスが知る父は、まったくの正反対だった。
家門の発展よりも大事なのは、ひとり娘であるフィリスのしあわせだ。
父は額に手を当て、苦悶の表情を浮かべながら、セドリックに視線を向けると、
「……し、しかし公子、あなたがそう言っておられても、あなたのご両親は絶対にお許しにはならないでしょう。公爵家のお相手ともなれば、相応の家門のご令嬢でなければならないはずです。相手のご両親に反対される中、娘を嫁に出すなど、私にはとても……」
娘であるフィリスが苦労するのが目に見えているからこそ、両手をあげてよろこぶなどできない。父のその気持ちが、フィリスには痛いほどわかった。
すると、セドリックはにっこりと笑った。
「その点はご心配には及びません。当主である父も母も、私の結婚は半ば諦めているも同然でしたから。妻にしたい女性と出会ったと言えば、むしろよろこぶでしょう。朝早く、領地にいる父と母宛てに手紙を出しましたから、数日後には伝わるはずです」
父は呆気に取られる。
しかしはっと意識を戻すと、ほかの断りの理由を探すように、
「ですが、当家にはフィリスを公爵家に嫁に出せるほどの持参金をご用意できそうもありません。それではご迷惑を……」
セドリックは、さらに微笑んで、
「フィリスは、私のもとに嫁いで来てくれるだけでいいんです。持参金など考えてもいません」
父はあんぐりと口を開ける。
破格の条件にもはや言葉が出てこない。
困惑する沈黙がしばらく続いたあとで、父は大きくため息を漏らす。
フィリスに目を向けると、
「……本当に、いいんだね?」
確認するように問う。
フィリスは深く頷く。
「セドリックさまのそばでないと、わたしはしあわせにはなれないもの」
そう言って、顔をほころばせる。
心底しあわせそうなフィリスの顔を目にしてしまい、父はぐっと言葉に詰まる。
ややあってから、
「……そうか」
再び息を吐き出すと、そう漏らし、セドリックのほうへ体を向ける。
「どうか娘をよろしくお願いいたします」
ゆっくりと深く頭を下げた。
セドリックは決意を新たにするように、
「はい、何にかえても、彼女の笑顔を守るとお約束いたします」
しっかりと頷いた。
残り2話で完結です……!
ラストまで、どうぞよろしくお願いいたします!