13_許しと本心(2)
地上へと戻ってきたフィリスは、セドリックにお礼を述べる。
「無理を言って、すみませんでした……」
セドリックは、やや目をふせたあとで、顔を上げ、
「……少し、話をしても?」
と尋ねる。
フィリスは小さく頷く。
おそらく、フィリス自身のことやミーシェのことで、疑問が多くあるだろうと思えた。
セドリックは庭園の片隅へとフィリスを連れていき、ベンチに腰かけさせる。
手にしていたランタンは、かたわらに置いた。
ベンチに並んで座ったあとも、セドリックはしばらく口を開かなかった。
秋の冷たい夜風が吹く。空にはくっきりとした満月が浮かび、降り注ぐ光が庭園をうっすらと照らしている。
虫の声だけが響く中、
「……さっき、『許す』だなんて、どうして?」
セドリックがそっと視線を上げて、フィリスに尋ねる。
地下牢で、なぜフィリスがミーシェに『許す』と告げたのか、疑問に感じているのだろう。
フィリスは、ほんの少しセドリックに顔を傾け、そのあとで月の淡い光を受けている庭園に視線を投げたあとで、
「……信じていただけないと思いますが、わたしには前々世と前世の記憶があります。そして先ほどのミーシェも同じだと思われます」
隣で息を呑む音が聞こえる。
フィリスは視線を前に向けたまま、続ける。
「わたしの前々世は、このレザーク王国の第一王女でした。そのとき、わたしが義姉で、ミーシェが義妹、もう六百年前のことです。そこでわたしは、稀代の悪女として、無実の罪で処刑されました──」
フィリスは、ぽつりぽつりと語りはじめる。
ミーシェによって陥れられたこと。自分が処刑されたあと、元々重税にあえいでいた民による王室批判が一気に高まり、大暴動が起こったこと。その混乱の最中、敵国のガルド帝国に侵略されかけたこと──。
次の世では、悪女として処刑された前世の記憶をもったまま聖女として生きたこと。民のために身を捧げ、そのそばには自分と同じように前世の記憶をもったミーシェが侍女として仕えていたのに、それを知らぬまま、ミーシェの言うことを信じ切って、命を削って死んでしまったこと。その後、王国に疫病が蔓延し、数えきれないほどの死者が出てしまったこと──。
偶然と片付けるには、恐ろしいほどの出来事に、今世では平穏に生きたいと願っていることまで、すべて話した。
信じるか信じないかは、セドリックに任せようと思った。
語り終えたあとも、セドリックはしばらく何も言わなかった。
フィリスには、顔を上げて彼の表情をたしかめる勇気はなかった。
ややあってから、フィリスは再び口を開く。
「……さっき、ミーシェに『許す』と言ったことに、意味はありません」
フィリスは、頭上の満月を見上げた。
やさしく降り注ぐ光が心を穏やかにする。
小さく息を吐き出し、膝の上に視線を落とす。
「……かつて第一王女だったとき、わたしには何もないと思っていました。王女に生まれながらも、何もできず、ただ蔑まれて、いない者として扱われ、第二王女で義妹のミーシェからはいつもつらく当たられて……。それなのに美しいミーシェは、誰からもかわいがられて、周りからも認められて、わたしにはないものをすべてもっていると思っていたんです。だけど──」
フィリスは少しだけ言葉を切る。
「ミーシェを愛してくれる人は誰もいなかったんです、きっと……。実母である王妃ですら、男児でなかったという理由で彼女を疎んでいました。ミーシェの周りにいる人たちは、王女であるミーシェの顔色をうかがって言い寄っていただけに過ぎなかった……。でもわたしには、誰よりも愛してくれる母がいて、支えてくれる侍女のマリナがいました。何もないと思っていたけれど、本当にほしいものはずっとわたしのそばにあったんです──」
冷たい風が通り過ぎ、木の葉が揺れる。
一度目の人生を終えてから、六百年という途方もない年月が経った。
フィリスは遠くに視線を向ける。
ミーシェに『許す』と言ったことに意味はないと、そうセドリックに答えたが、本当のところ自分のためだったのだろうということは、なんとなくフィリスにはわかっていた。
この先も、ずっと過去を恐れて囚われ続けるのは、もういやだった。
前々世で、義妹のミーシェジェニカによって無実の罪で処刑された怒りや悔しさも、前世で、侍女としてそばにいたミッシェルが装っていた善意によってだまされた憤りも、それらの感情を抱き続けるには、あまりに長い年月が経ち過ぎた。
(誰かを恨むことに執着したくない──)
フィリスは、ミーシェに別れを告げたような気がしていた。
怒りや悔しさ、憤り、虚しさ、すべての感情が消え失せ、平野に広がる野原の上を風がさーっと通り過ぎるように、心は穏やかだった。
それからどのくらいの時間が経っただろう。
「そうか……」
ようやく口を開いたセドリックが、ぽつりと言葉を紡ぐ。
そのあとで、
「きみが王女だった頃の侍女のことだが──」
と口にする。
意外な言葉に、フィリスは思わず、顔を上げる。
「──もしかして、マリナのことをご存知なんですか⁉︎」
六百年前のことを知っている人間がいるはずないとわかっていても、フィリスはすがるような瞳で、セドリックを見つめる。
「ずっと気がかりだったんです。マリナは、あの王城の中で、唯一わたしにやさしくしてくれた侍女でした。でもそのせいで、ほかの侍女や使用人たちからはのけ者にされていると知りながらも、わたしは彼女の手を放してあげられなかった。もしそのせいで、マリナが命を落としていたら──」
いまさらそれを知ったとしても、意味がないことはいやというほどわかっている。それほどまでに長い年月が経過した。
でも、どんな情報でもいい。マリナが無事だったという一言が聞きたい。
セドリックは、ランタンの柔らかな光に照らされながら、やさしく微笑むと、
「命を狙われていたところ、当時のスペディング公爵家当主が保護したと聞いている。そして民衆の暴動が起こる前に、隣国へ無事逃げ出せた、とも。その先で結婚し、子どもを三人もうけたらしい。……少しは安心できたかな?」
フィリスの頬を一筋の涙が伝う。
「……そうですか。よかった……、本当によかった……」
涙がとめどなくあふれる。
隣に座るセドリックが、そっとフィリスの手を握りしめる。
冷え切った手が、じんわりとあたためられる。
(このまま、このぬくもりに身をゆだねられたら……)
そう思ったが、なんとかそれを押し留める。
そっと彼の手を押しやり、自分から手から離す。
話の途中ですが、少し長いので区切っています。次話に続きます……!