12_許しと本心(1)
公爵邸に着くなり、フィリスは、父がいる部屋へと急いで駆け込んだ。
しかしフィリスの心配をよそに、父は赤ら顔でいびきをかきながらベッドで寝ていた。
その姿を目にして、フィリスはようやく胸をなで下ろす。
普段あまりお酒など口にしない父のことだ、少しの量でも酔ってしまったのだろう。
フィリスは、かたわらで見守るセドリックに向き直ると、
「本当にありがとうございました」
深く頭を下げた。
セドリックが駆けつけてくれなければ、もしかしたらあの宿屋の亭主の言っていたとおり、敵国のガルド帝国へ連れさらわれていたかもしれない。そのあと、フィリスの身にどんなことが起こったかは、想像するのもおぞましい。
セドリックは労るような笑みを見せて、
「今日はもう遅い。ゆっくり休むといい。部屋まで送るよ」
そう言って、フィリスを部屋へと送り届ける。
部屋の前まで来ると、フィリスはゆっくりと口を開いた。
「──あの、ミーシェにもう一度、会わせていただけませんか」
セドリックの瞳が大きく見開かれる。
捕えられたミーシェたちは、今夜は公爵邸の地下牢に閉じ込めておき、明日の早朝に国王直轄の騎士らが引き取ることになっている。
そのあとは、国王主導のもと、調査が進められるだろう。
フィリスが、ミーシェと会うならば、今夜しかなかった。
「どうか、お願いします──」
フィリスは、セドリックの瞳をじっと見上げ、訴える。
ややあって、セドリックは、手のひらで額を覆い、深く息を吐き出すと、
「……わかった。ただし私もそばにいる。そうでなければ、許可できない」
そう言って、フィリスを見をやる。
「ええ、それで構いません、お願いします」
フィリスは、セドリックに案内されながら、隙間風が吹き荒ぶ地下へと続く石階段を下り、ミーシェが拘束されている地下牢へと向かう。
前々世の第一王女だった頃、処刑されるまで閉じ込められていた王城の地下牢をいやでも思い出し、無意識に体が震える。
フィリスが緊張していると感じたのだろう、セドリックが足を止めて、振り返り、
「……無理をする必要はない、どうする?」
と背後にいるフィリスに問う。
彼が手にしているランタンの炎が揺らめく。
フィリスは握りしめた拳を胸に押し当て、深呼吸をする。
「……大丈夫です」
「わかった」
そのあとセドリックは、何も言わなかった。
一番奥まった牢屋の前まで来ると、ミーシェは、鉄格子の向こうで、座りもせずにたたずんでいた。
フィリスたちの足音に気づくと振り返り、冷ややかに口元を歪める。
「──これで満足? あのときのお義姉さまのように、わたくしを牢屋に閉じ込めて」
ミーシェの言う、”あのとき”とは、第一王女であったフィリスが処刑される前夜のことだとすぐにわかる。
いまとは逆の立場で、牢屋にいるフィリスを、ミーシェが訪ねてきた。
ミーシェは、悲劇を演じる舞台女優のように、
「ああ、明日の朝になったら、わたくしは首をはねられてしまうのかしら……?」
そう言ったが、その声はせせら笑っていた。
フィリスは、数歩前に出る。
手を伸ばし、冷え切った鉄格子に触れる。
じっとミーシェを見つめる。
前々世では、誰もが褒めたたえた、金髪碧眼の天使のような第二王女のミーシェジェニカの美しさはどこにもない。
そして、前世の聖女だった自分に仕えてくれた侍女のミッシェルの面影も、どこにもない。
目の前にいる少女は、まったくの別人にしか見えない。
しかし、ミーシェジェニカとミッシェルの姿それぞれが、ミーシェの背後に幻のように浮かんで見えているのは気のせいだろうか。
フィリスは、ゆっくりと口を開く。
「──ひとつだけ、教えて」
ミーシェがこちらを見る。
「……王女だった頃、わたしに仕えてくれていた侍女のマリナ、覚えているでしょう」
ミーシェは、遠い記憶を呼び起こすように視線を宙に投げたあとで、くすりと笑った。
「ええ、何度忠告しても、お義姉さまのそばを離れようとしなかった生意気な女でしょう?」
フィリスは、鉄格子をぐっと握りしめ、
「……マリナをどうしたの」
吐き出すように問いただす。
ずっと気がかりだった。
フィリスが処刑される前に、ある日突然、姿が見えなくなった侍女。
名ばかりの第一王女でしかなかったフィリスに、マリナは献身的に仕え、どんなときもそばで支えてくれた。
もし運よく王城から逃げ出せているならいい。
でも、もしミーシェの手によって、マリナが命を落としていたなら──。
ミーシェは、すっと目を細めてフィリスを見やるが、ややあってから、
「……さあ? 逃げたんでしょう? お義姉さまとあのまま一緒にいれば、自分も処刑されるとでも思ったんじゃない?」
クスクスと笑う。
「……そう」
フィリスは、息を吐く。
覚悟を決めて、この場を訪れたつもりだった。
それでもミーシェの口から決定的な言葉を聞いてしまえば、一度決めた覚悟が揺らぎそうで怖かったのも事実だった。
フィリスは、すっと顔を上げ、まっすぐミーシェに視線を合わせる。
──もう迷いはない。
フィリスのほうから、こんなふうに真正面からミーシェを見つめることなど、これまでなかったはずだ。
ミーシェは、怪訝そうな顔をする。
「──許すわ」
フィリスは、静かに、されどはっきりとした声音で、言った。
「──ミーシェ、あなたを許すわ」
ミーシェは言葉の意味を理解しかねる様子で、表情をぴたりと止める。
しかし、やがてわなわなと震え、激しく顔を歪めると、
「──許すですって⁉︎ わたくしを⁉︎ お義姉さまごときが、なぜ⁉︎ 笑えない冗談はやめてちょうだい!」
フィリスは表情を崩さないまま、静かに鉄格子から手を離すと、くるりと背中を向け、歩き出す。
「ちょっと! 自分だけ言いたいことを言って逃げるの⁉︎ 待ちなさいよ! 卑怯者! 止まりなさい! わたくしの言うことが聞けないの──!」
後ろからミーシェが叫んでいる。
しかしフィリスは、一度も振り返ることなく、牢屋をあとにした。
そのフィリスのあとを追うように、セドリックが一歩を踏み出したが、ふと足を止める。
後ろを振り返り、嫌悪をにじませるように、
「愛と憎しみが紙一重なんて、よく言ったものだね……」
ぽつりとつぶやいた。
第四章に入りました。物語の真ん中くらいです。
ここからラストに向かって進んでいきます……!