島津勝久の忠告 【地図あり】
「どうしても行かれるのか?」
パレードの後には次々に謁見が申し込まれてきたのだが、最初にやってきた客の口から出たのは別れの言葉だった。
俺の質問に島津勝久は笑う。
彼の白髪は美しく、それがまた彼の命が少ないことを嫌でも悟らざるをえない。
「大友殿の厚遇は感謝すれども、死ぬならば桜島を見ながらと決めておりましてな」
老将の目には執念の炎が灯っている。
代替わりした島津家は内部に動揺が走っている。
だからこそ、暴走に近い島津義虎の天草介入を黙認したのだ。
天草というのは戦国時代において九州の要衝の一つである。
九州の南部と北部というのは陸路で行くのはものすごく手間がかかる。
特に、薩摩国と肥後国の間には津奈木太郎峠と佐敷太郎峠と赤松太郎峠という通称三太郎峠というのがあって、難所として古来から知られていたのである。
この三太郎峠は八代と水俣の間にある海側の街道、つまり、山側は険しいなんてものじゃないルートだったりする訳で。
そうなると必然的に、海路が選ばれる。
八代海は海路によって発展し、出水-八代は米が取れない薩摩国への米供給路でもあった。
話はここで終わらない。
これは天草の南側の話である。
じゃあ、北側に目を向けると何があるかというと有明海がある訳で。
筑後平野で取れた米を海路博多に運ぶ接点にこの天草は位置しているのだ。
ついでに言うと、西は東シナ海に面しており、大陸交易と南蛮交易にアクセスできるという神立地。
その為、この地の国人衆は水軍衆でもあり、ここを押さえて莫大な収入を得た相良家は一気に大名として駆け上がることになる。
ここに兄の菊池則直が上陸して戦乱が広がろうとしていたのだ。
どうして菊池則直が上陸したかというと、その立地条件にある。
博多をめぐり毛利との決戦が迫っている現在、竜造寺が背後で操る菊池則直を叩くより、直接竜造寺家を叩いた方が後々問題もないという意見もあって後手に回らざるを得なかったというのがある。
更に厄介なことに、この天草には菊池則直が使える戦力が宙に浮いていた。
キリシタンである。
この時期の天草は、その立地から南蛮人との交流もあり、日本有数のキリスト教コミュニティーが存在していた。
天草の騒乱は突き詰めるとお家争いと、宗教問題と、それにかこつけた大名の介入にいきつく。
天草には志岐家と天草家を双璧に大矢野家、上津浦家、栖本家の五家が天草五人衆として覇を競っていた。
この志岐家に有馬晴純の息子が養子に入っていた。
志岐諸経という。
で、彼の妻が島津義虎の娘だった事がこの戦乱の火種となる。
南蛮交易の利に目をつけた彼らはこの時ルイス・デ・アルメイダ神父を受け入れて布教を認め、それが天草諸家の内紛を引き起こす。
家中だけでなく一族までもが布教賛成派と反対派に割れたのだ。
天草家当主天草鎮尚がキリスト教布教を認め、家中が割れると同じく布教賛成派だった志岐諸経に支援を求める。
ところが、天草家と不倶戴天の敵同士だった志岐家先代の志岐麟泉がこれに反発し志岐家も分裂。
この内紛を知った島津義虎は独断で天草に介入し、志岐家と天草家を征服しようと企んだのである。
もちろん、それを認める有馬義貞では無かった。
菊池則直の身柄を預かっている有馬義貞がキリシタンに好意的な事もあって、味方をすればキリシタンを公認するという手を使って四千近い兵をかき集め介入を決定。
こうなると、他の家も黙っていない。
天草が貴重な収入源だった相良家はこれを放置できず介入を決定し、天草五人衆の中で一番相良家に近かった栖本家と大矢野家に支援を決定。
これに反発したのが栖本家と長く敵対関係にあった上津浦家で島津義虎に味方し、天草は揉めに揉めている。
天草の混乱に大友家は初動が遅れた。
何でかというと、天草に上陸するには船がいる訳で、それは地場国人衆に依存せざるを得ず、現地である肥後国人衆の動きが鈍かったのだ。
「菊池様に弓引くのはなぁ」
という白々しい言い訳と、
「まずは、博多の奪還が先ではないか?
我らはその為には助力は惜しみませんぞ!!」
という婉曲的な拒否に為す術がなかったのである。
一方、この動きに即応したのが飫肥城を巡って激しく島津家と争っていた日向国伊東家。
飫肥城は永禄11年についに伊東家が奪取していたのだが島津家も虎視眈々と狙っており、島津家の天草介入にその領主である相良家と組み島津家を圧迫しようとしたのである。
戸神尾合戦で敗北した肥後国相良家は復讐の念に燃えると同時に、己の収入源である天草への島津介入に伊東家と手を結ぶことを承諾。
伊東家にとって幸運なことに、大隅国でも肝付家も代替わりして肝付兼亮が伊東家と結び、ここに伊東・相良・肝付の島津包囲網が形成される。
このタイミングで島津家では島津貴久が亡くなり、代替わりをした島津家は内部統制に時間がかかり島津義虎の介入を黙認した。
かくして南九州では一大決戦の空気が作られ、島津包囲網の神輿として担がれたのが島津勝久という訳だ。
伊東家が大軍を動かして狙うのは、日向国で島津家の領土だった真幸院。
そこで起こる悲劇を俺は知っている。
「何か手伝うことがあれば……」
俺の言葉を島津勝久は止める。
彼の口から出るのは、感謝と元大名としての真摯な忠告だった。
「大友殿もお気をつけあれ。
どの家も中は一枚岩ではありませぬぞ。
あくまでまとまっているのは、外に敵がいるからこそ。
大友殿は毛利と戦った後こそ大事ですぞ」
ほぼこちらの状況を把握していたからこそ俺も言葉に詰まる。
対毛利戦においては確実に俺の命はあるが、そこから先は確実に大友家にとって俺の存在は邪魔者になる。
「息子忠康は残してゆきます。
ご壮健で」
「……ご武運を」
それしか言う事ができず、俺は島津勝久の退出を見送った。
大友家の主敵は毛利家であり、島津家まで手が回るなんてできないのだから。
「殿。
ご帰還おめでとうございます」
伊予宇都宮領攻めを一時中断しての諸将揃っての謁見。
落とした地蔵岳城は、元宇都宮家家老の大野直之に守らせているからこそ、こうして集まることができる。
一同を代表して一万田鑑実が挨拶をし、俺がそれに返事をする。
「皆の者、迷惑をかけた。
働いた分の褒美は安心してくれ」
その一言に場がざわめく諸将。
このあたりは事前に一万田鑑実との打ち合わせ済みである。
「とはいえ、お主ら本当に土地が欲しいのか?」
俺の暴言に立ち上がったのは、南方親安。
「殿と言えどもその暴言許しませぬぞ!
我らは褒美として土地を求めるからこそ、殿に奉公しておるのですぞ!」
その言葉を待っていた俺は用意していた台詞を吐き出す。
わざとらしく肩をすくめ、冗談のように口調を緩めて核心に触れる。
「それはわかっている。
では、こちらから聞こう。
得た土地でお主らちゃんと収益があがるのか?」
「え?」
南方親安の声は皆の声を代弁したものだった。
それがわかった上で、俺は続きを口にする。
「土地をくれてやるのは構わない。
与えるのは旧宇都宮領で、あの土地は長浜を押さえないと収益が上がらないぞ。
どうせ長浜は攻め落とさないと行けない場所だからそこはひとまず置いておこう。
お前ら、あの港から何を何処に売るんだ?」
俺の言葉に首を傾げた連中が半分を越えて、苦笑を隠しきれない。
まぁ、それが分かるならば武士ではなく商人になっているわな。
「旧宇都宮家の主要な産物は、肱川流域で取れる木材と大洲盆地で取れる米だ。
これを瀬戸内の水軍衆に流す事で生計を立てていた。
つまり、米と木を毛利に流す。
それを今の大友家が許すと思うか?」
沈黙が全てを物語っていた。
やっと彼らにも理解できる所にまで話がやってきたのだ。
そこを俺は追い打ちする。
「情けない話だが、先ごろまで烏帽子親謀叛の連座で己の首が危なかった俺だ。
正直に言おう。
土地をやってその米と木材が毛利に流れて、再度謀叛の嫌疑をかけられたら本気で首が飛びかねん。
とはいえ、戦に働いた諸将の功績は報いたいので皆に選択肢を与えることにした」
緩衝地帯として宇都宮家を残しておきたかった他に、こういう理由があった。
宇都宮領の石高はおよそ五万石。
その収益が対毛利側に偏っているので、今取ってしまうとそのまま負担を背負うことになるからだ。
渡辺教忠が興味津々な声で尋ねる。
「話の途中失礼ですが、殿でしたらそれをどうにかできるので?」
「ああ。
俺は博多、府内、堺の商人達と色々な縁がある。
商品をさばくのは問題がない。
それはお前たちには無理だからこういう話をしている」
米についてはぶっちゃけると今後の九州戦役での兵糧に回せばいいし、木材も大陸航路で船が逼迫している末次船あたりの資材に回せるし、宇和島の街を拡張する際に使ってもいい。
大名としてより俺個人の信用と富がこれを可能にしている。
それをここでも遠慮なく使うことにした。
「今回の功績について銭の支払い。
つまり貫高払いにしても良いという者が居たら名乗り出よ。
多めに渡すことにする。
また土地が良いという者もその功績を貶めるつもりなくちゃんと分け与えるが、収益をどうあげるかまではこちらは関知せぬ。
ただし、大友家から謀叛の嫌疑がかけられたら遠慮なく切り捨てるからそのように心得よ」
こういう形で彼らの選択肢をあえて絞る。
法華津前延が恐る恐る俺に尋ねる。
「ちなみに、どれぐらいの銭をもらえるので?」
「戦の費用の証文は全部もってこい。
俺が払ってやる。
それから大将をしてもらった一万田鑑実と勲功第一の入田義実には二千貫を加増しよう」
宇都宮領五万石を五公五民の税収で考えると、二万五千石。
一石=一貫のレートで考えたら二万五千貫であり、半分が大名の取り分で残りを家臣に分ける形になる。
一万二千五百貫のうち四千貫が割り振られたので、残り八千五百貫。
大体三百貫から五百貫ばらまいたとしても十分にお釣りが来る。
「殿の加増、まことにありがたく存じますが、それがしはこの加増を辞退したく」
場がざわめく発言をしたのは、入田義実。
真顔で平伏したままその理由を淡々と告げる。
「政千代に手をつけていただき、いずれお子もできましょう。
冷遇されていた我が家のこれ以上の優遇は妬みの元になり申す。
殿からその功績を認められた。
それだけで十分でございます」
あ。
露骨に顔をしかめた家臣がいるぞ。
勲功第一の家臣が褒美を受け取らないと、その下への配分が渋くなるからだ。
「分かった。
具体的な話は長浜を落としてからにしよう。
まずは今までの借金を片付けておく。
証文は次の出陣までにここに持ってくること」
「はっ」
一同平伏した姿を見て、俺は心のなかでため息をつく。
去っていった島津勝久の言葉が心にしみた。
Q 何が起こるの?
A 門司合戦・今山合戦・多々良浜合戦・木崎原合戦が同時期に発生します