肥前大乱 その4
芦屋から博多までの航海だが、海も穏やかで無事に進んでいた。
「いい船でしょう?
仕上がったばかりで大きさが違いますよ」
という自慢をしているのが火山神九郎。
柳川調信の下で働いていたのが幸運に繋がり、博多と芦屋の間で五隻の船を差配する船大将となっていた。
彼の下で礼儀作法でも学んだらしく、商人風の言葉で俺に話しかけるのがなんとなく面白い。
この時代の水軍衆は交易業者兼海賊という側面がある。
聞けば、持っている五隻の船全てがこのタイプらしい。
「俺達の規模で毛利水軍相手に喧嘩なんて無理ですからな。
だったら、交易に全振りした方があがりが大きい訳で」
このあたりの見切りの良さと博才は板子一枚下は地獄という水軍衆らしい。
俺は改めてこの船の帆を眺める。
その船は今まで乗ってきた弁才船よりも大きく、どちらかといえば南蛮船に近い感じがした。
「博多の富豪末次家が南蛮船の技術を元に作った船だそうです。
それを支援した博多奉行高橋様の伝で、俺たちにもこうして船が回ってきた訳で」
今や博多の繁栄は空前の規模に達しているらしい。
博多の商人衆がこの末次船をはじめとした大規模帆船で大陸と交易を行い、そこで得た物品を畿内に流すことで巨万の富を得ていたからだ。
戦による戦火が無いとここまでバブルが膨らむのかという良い例と言えよう。
「大陸ってたしか勘合貿易しか認めてなかっただろう?」
「ええ。
だから俺たちは倭寇とつながって大陸と取引をしています」
倭寇。
日本を主体にした海賊の中国名だが、その実態は大陸系が倭寇を偽装したのが多かったりするアンダーグラウンド極まりない洋上交易の総称である。
もちろん、そんなアンダーグラウンドな船を商都博多に直接つける訳にはいかない。
博多の近くに船をつけて荷を別の船に乗せて博多に入るのが、作法になっていた。
そんな荷降ろし拠点をあげると、五島列島、対馬、壱岐、平戸島。
このあたりで感づいた人もいるだろう。
松浦一族というのは、元々そういう一族なのだという事を。
そして、現在内紛まっただ中の壱岐がこの中に入っている事を。
「壱岐の一件、何か聞いているか?」
「御曹司の動きが早かったせいでしょうな。
追い出した連中が壱岐の奉行衆を攻め滅ぼしたとか。
馬鹿な連中ですよ。
しばらくは壱岐で商売は無理でしょうな」
波多家の内紛が最悪の結末を迎えて、俺は頭を抱えるしか無い。
真芳側についていた壱岐奉行衆を粛清した事で、松浦鎮の入城を妨害する事は無くなった。
それは、壱岐統治機構の崩壊と引き換えであり、信用商売である商業において壱岐の価値が急落した事を意味する。
検使である俺が調停する場合まず状況の停止を求めるからで、波多家の収入源である壱岐を握っているのといないのとでは大きな違いがあり、前者なら真芳側に復活の目が出かねない。
何としてもここで潰しておく必要があった事は理解できるが、もちろん俺からすれば舐められていると見なさざるを得ない。
松浦鎮および少弐政興への支援がしにくくなったのは間違いがない。
「手出しができなくなったじゃないか。
波多の連中、南から竜造寺が来ているのが分かっていないのか!?」
壱岐は波多領の北、それも海を渡る必要がある。
そして、竜造寺軍が波多家を攻める場合、南から北へ攻め上がることになる。
火山神九郎がお気楽な声で言ってのける。
「分かっていても、旗印は必要ですからな。
いざとなったら壱岐に逃げるつもりなのかもしれませんな」
その一言は考えさせられる一言だった。
さすがの竜造寺軍も玄界灘側に水軍を保持していない。
そういう見方をすると、今回の壱岐奉行衆粛清もあながち悪くはないのだろう。
「御曹司。
見えてきましたぜ。
博多が」
火山神九郎が昔の口調で俺に博多の姿を告げた。
俺の目に広がる博多は、俺の知っている博多より可憐で、妖艶で、燦然と輝いていた。
「御曹司が帰ってきたって!?」
「ああ!
博多を救った八郎様が戻ってきたぞ!!!」
「今や主計助様として畿内でご活躍だったお方だ!
肥前の騒動に大友家検使としてやってきたそうだ!」
俺の帰還は瞬く間に博多に広がり、滞在先の神屋屋敷は俺への目通りを願う商人や侍達でごったがえし、追い返すのも一苦労になってしまっていた。
それでも、追い返せない連中というのは居るわけで。
たとえば、この屋敷の主人である神屋紹策とか。
「ご立派になられましたな。
御曹司」
「立派になって帰ってくるつもりは無かったんだがな。
数日世話になる。
で、肥前の話を聞きたい」
「肥前の何処の話を?」
神屋紹策がわざとらしく尋ねたので、俺はあっさりと核心を突く。
「有馬家だ」
さあ。解説タイムの時間だ。
島原半島を地盤とする有馬家は南蛮交易で莫大な富をあげる。
そして、その富を使って、京に献金をする事で修理大夫の官位と幕府相伴衆の地位を手に入れる。
京に認められたという事は、田舎において国人衆から大名へのステップアップの手段なのである。
そして、その権威を手に有馬家は養子縁組という形で諸侯を攻略してゆく。
隣の大村家、千々石家、西郷家、松浦一族宗家が狙える相神浦松浦家、天草の志岐家、散々話題にあがった波多家等に一族男子を送りこんで西肥前の覇者となる。
その覇権に陰りがさしたのは、キリスト教信仰だった。
南蛮交易はキリスト教布教と大体セットで行われる。
その為、キリスト教と仏教との対立が領内で頻発したのである。
そして、これに養子政策の歪みがお家争いを引き起こす。
大村純忠がキリシタン大名となった時、大村家庶子であり後藤家に養子に出された後藤貴明が反発。
丹坂峠合戦において竜造寺家側に寝返り、有馬・大村連合軍大敗の原因を作る事になる。
人間勝っている時には文句は出ないが、負けだすと途端に文句が出るのは世の常である。
熱心な仏教徒だった西郷純堯が同じく離反し、有馬・大村連合軍は継戦不能の状況に追い込まれてしまっていた。
にも関わらず、竜造寺家に降伏しなかった理由は二つ。
一つは、丹坂峠合戦の大勝利で有馬・大村・松浦・波多とどこでも攻略できるがその手が足りない事と、竜造寺家の予想外に早い動きをした俺の博多入りである。
「つまり、竜造寺家の優位は圧倒的であり、それを覆すのは難しい訳だ」
「そのとおりでございます」
距離と時間にまた敗れた結果。
これもそう言えるだろう。
だが、挽回というか糊塗はできない訳ではない。
というか、ここで竜造寺討伐なんて発動したら今山フラグである。
己の命の為にも、この竜造寺家優位の現状を認めながら状況を沈静化させる必要があった。
「まずは使者を竜造寺家に出す。
その後は竜造寺家の対応次第だな。
少なくとも博多を戦火に巻き込むつもりは無いから安心してくれ」
「その言葉信じましょうて。
御曹司は、博多の恩人でもあるのですから」
こちらの手勢が博多に集結するのに、一週間はかかると踏んでいた。
その間手をこまねいている訳もなく、次々と肥前の諸侯に手紙を送り続けた。
内容は一律にこうである。
「この一件は九州探題の大友家が預かる。
だから、現状の線で一時停戦せよ」
もちろん、無視される事前提である。
少なくても上から目線で介入を正当化するのならば、その上である理由と行動を国人衆達に見せる必要があったのだ。
だが、俺の到着が早かった事と、既に問題解決の切り札である肥前守護代という餌につられて、当事者達は俺に対して返事を出してくれたのである。
最初にやってきたのは一番近くにいた少弐政興である。
「大友家の調停を受ける。
だからこそ、南からやってくる竜造寺家が攻めてきた場合後詰をお願いしたい。
あと、こちらの唐津入りを邪魔した原田家は明らかに大友家に対して敵対行動をとっているので処罰してほしい」
図々しいにも程があるが、まあ戦国の世である。
これぐらいの図々しさがないと生きていけないのだろう。
次にやってきたのは竜造寺家である。
その書状の内容はこんな感じだ。
「大友家の調停を受ける用意がある。
だからこそ、肥前国境の大友軍を退いてほしい。
また、肥前諸侯の挑発を抑えてもらいたい。
敵からの挑発や戦をしかけられた場合、自衛するのでそのつもりで」
見事なまでの実質的ゼロ回答である。
とはいえ、返事を出しただけましというもの。
ガン無視して懲罰行動の発動を受けるのは竜造寺家も避けたいという意図が分かったのは収穫である。
問題は有馬家だった。
「竜造寺家の挑発行為が問題であり、竜造寺家に占領地の返還を求める」
虚勢であり滑稽であるが、問題部分は宛名にあった。
「大友主計助殿へ 有馬修理大夫」
いや、今まで使ってきた権威だし誇りたいのは分かる。
俺単体でみれば下なのだから。
けど、九州探題大友家の代理人として急遽やってきた俺に対して、この上から目線はいかがなものだろうか?
それでも書状を出しただけよしとしよう。
問題は松浦家だった。
「まだ書状は来ていないのか?」
「はっ。
どうも平戸松浦家と相神浦松浦家の間で合戦が発生したみたいで、竜造寺や有馬が介入している模様で」
連れてきた田中久兵衛からの報告に頭を抱える俺。
今回の騒動の発端は、竜造寺家と有馬・大村連合軍の衝突である。
ある意味余波を受けた波多家は、家中に多大な傷をおいながらも最低限の意思疎通は確保していた。
だが、平戸松浦家と相神浦松浦家という本家筋分裂という最悪のお家騒動真っ最中の松浦家は意思疎通すら取れていない。
有馬・大村連合軍は力を失い、波多家も介入できる状況ではない。
そして、一族内紛と介入に対する追求を言い逃れられる松浦家は竜造寺家にとって美味しい餌に見えているだろう。
「これ以上は待てぬ。
これらの書状を持って、太宰府に行く。
支度をせよ」
「はっ」
田中久兵衛を下がらせて俺はため息をつく。
派遣された以上、現地の有力者との話し合いは調停の絶対条件だ。
つまり、検使大友鎮成の仕事の成功は、博多奉行高橋鑑種との協力にかかっていた。
大村純忠 おおむら すみただ
後藤貴明 ごとう たかあき
西郷純堯 さいごう すみたか