肥前大乱 その2
府内を出てから二日後。
豊前松山城に到着する。
対毛利最前線という事もあって、土塀に木柵で囲まれた城内に物見櫓が立っている。
城主である多胡辰敬は城から出て俺たちを歓迎してくれた。
「久しゅうございますな。御曹司」
「ああ。
久しぶりだ。
かつてこの城に来たが、こんなに立派になったとは知らなかったぞ」
俺の感想に多胡辰敬が胸をはる。
それが自慢ではなく感謝に近い態度で。
「御曹司のおかげにて。
潤わせて頂いております」
博多から堺に入る場合後に関門海峡と呼ばれる馬関海峡を通らないといけないが、ここは毛利家の縄張りである。
大友家に利がある物を毛利が見逃す訳もなく、特に鉄砲や火薬等を博多から府内に運ぶ場合は小倉で荷物をおろして豊前松山城まで陸路で運ぶのである。
物が物だけに毛利よりの国人衆が野盗を装って襲撃をしたりするが、多胡辰敬はそれらから荷を守って府内に送り届け続けていたのである。
多胡辰敬がこちらに逃れる際に自前の船と水夫を確保していたからこそできる稼ぎ方だ。
城に向かって歩きながら、俺は本題に入る。
「肥前の変事は聞いているか?」
「既に府内の吉岡殿と博多の高橋殿より早馬にて。
御曹司の検使についてはどうか我らをお使い下され」
この辺りの手回しの良さは多胡辰敬が有能であるという事の証である。
そして、距離が府内より近くなっているせいで、肥前がらみの情報も更新されていた。
「少弐政興殿の肥前入りは、糸島の方を抜けて唐津に向かったとか。
対馬の宗家や松浦の郎党だけでなく博多で兵を集めて、数千の兵が唐津を目指したと」
復興したとはいえ、宗像郡の一部しか領地がない少弐政興に数千の兵を集めて運用するだけの財は無いはずだ。
という事は、誰かが彼の金主として支援をしている事になる。
多分対馬の宗家なのだろう。
「とにかく、今日はここで世話になる。
明日には小倉に向かって猫城に入りたい」
「早馬を出して明日の船を手配しておきましょう。
護衛はいかほどおつけに?」
城前の市の賑わいを眺めながら、それとなく果心を見て目で指示を送る。
この手の港だと、流れ者が常時出入りするから確実に間者が入っている。
「多ければ多いほどいい。
賭けてもいいが、多分仕掛けてくるぞ」
毛利元就本人が仕掛けるとは思わないが、賞金ぐらいはかけているだろう。
筑前・豊前の反大友勢力にとって、大友一族で畿内で大暴れした俺の首なんて格好の獲物にしか見えないからだ。
そして、俺の予言は見事的中する。
嬉しくないことに。
「居たぞ!
大友主計助の首をとって名をあげろ!!」
「御曹司が見ておられるのだ!
防げ!
なんとしても御曹司の身を守るのだ!!」
豊前松山城から小倉へ向かう中間地点で野盗達は陣を張って、俺たちを待ち構えていた。
その数は百数十人という所か。
野盗のふりなのだろうが装備が整いすぎているし、十数丁の鉄砲なんて野盗は持っていない。
間違いなく毛利が支援した反大友勢力のしわざである。
こちら側は、俺の手勢数十人に多胡辰敬がつけた戦装備の護衛百人。
乱戦になるかと思いきや、統制がとれた攻撃で互いが互いの隙を窺っている。
だからこそ、相手が野盗ではないと確信できてしまう。
「突っ込めい!
横槍を入れて大友主計助の首を落すのだ!!」
「伏兵だと!
防げ!
御曹司!女衆達と共にお下がりを!!」
横から現れた野盗もどきの数は数十人。
その横槍は成功するように見えた。
俺が邪魔しなければ。
「放てぃ!!」
鉄砲三十丁の斉射が横槍を仕掛けようとした連中を横から射抜く。
横槍への横槍を入れた俺は、あとは任せたとばかりに手を適当に振る。
突っ込むのは俺の仕事ではない。
それ専用の人材が馬廻を仕切っているからだ。
「馬廻衆突っ込めい!
敵は崩れているぞ!!」
小野鎮幸率いる馬廻数十人が突貫してゆく。
それだけでなく女衆が着物を脱ぎ捨てる。
その下から出たのは多胡辰敬の郎党達だ。
「敵は崩れているぞ!
手柄を立てよ!!」
「新手が!
奴ら、女の着物を来て化けてやがった!!」
からくりは簡単だ。
確実に間者がいる事が分かっていた豊前松山城の市で果心達が出発時間を流す。
その出発時間が、翌日に到着する府内からの船の後になっている事がポイント。
で、到着した連中をそのまま送り出して、一泊して英気を養った俺達が伏兵として先に潜んでおく。
女衆の擬態もくノ一たちを物見として使って周囲を偵察させたからで、遠目からならば傘をかぶって顔を隠して綺麗な着物を着ていれば男か女なんて見分けがつかない。
で、派手に目立つ果心と井筒女之助を囮の方に入れたので、何も知らない連中ならば騙されるだろう。
かくして、野盗の群れもどきは十数人の死者と数十人の負傷者を残して逃亡した。
こちら側も数人の死者と十数人の負傷者が出たが完勝に近いだろう。
戦国の何処にでもあった小競り合いの一つで、歴史に名を残すことの無い小さな戦いである。
「多胡殿。
お見事な働きだった。
日田殿に田原殿。
初陣お見事でござった」
今回俺の代わりをしてくれたのが、日田親永。
女装して女衆の一人に化けていたのが田原新七郎である。
日田親永については俺の指示がなかった事を良い事に功績を立てようと、田原新七郎は吉弘鑑理が傅役について同紋衆若衆が長寿丸についた事で居場所が無くなったので親に頼んでの志願である。
「御曹司の畿内での活躍に比べたら、この程度」
「あいにく、俺の初陣は門司ではなくてな。
こんな感じで野盗に襲われたのよ。
真実は、噂よりも地味という訳さ」
話ができているが日田親永の手が震えているのを俺は見逃さなかった。
とはいえ、彼は生き残った。
俺と同じように。
「新七郎殿。
このままお帰りになってもよろしいのですよ。
長寿丸様にお話できる功績かと」
青ざめたままの新七郎は震えながらも首を横に振った。
「やだ!
分かっているんだ。
田原の家が、父上が妬まれている事ぐらいは。
何か掴まなければ、何か見つけなければ、田原の家はきっと滅ぼされてしまう……一万田や小原みたいに……」
誰だ。こんな子供に大友の闇を見せた馬鹿は。
あの傲慢も、この志願もその元は恐怖からか。
そして、出てくる名前が一万田と小原と来たか。
田原親賢の前の寵臣。一万田鑑相。
大友二階崩れの立役者の一人であり、その寵を失って粛清された。
その粛清実行者が有明の父親である小原鑑元であり、その息子の一人が高橋鑑種である。
「好きにするがいい。
俺も同じような境遇だったからな。
俺に出来たのだ。
お前にもできるだろうよ」
そう言い捨てて去るが、袴が濡れていたのは武士の情けで見なかった事にしてあげよう。
そして、戦の後始末をしている多胡辰敬と小野鎮幸の元に向かう。
「どこの家か分かったか?」
「あくまで野盗と言い張っておりますが、麻生の手の者かと。
それと長野家も噛んでいるみたいですな。
見知った者がいると家臣から報告が来ております」
この辺りで数少なく反大友を貫いている麻生隆実か。
家中が親大友と反大友に割れていて、現状親大友が強くなっているので追い落としの手札にできるだろう。
長野家というのは、長野祐盛が当主で大友家に楯突いて散々反乱を繰り返した秋月家からの養子である。
旧秋月領は高橋鑑種が統治して秋月一族を匿っているだろうから、これも手札に使えるかもしれない。
どうせ俺の首狙いの小競り合いだ。
穏便に片付けて時間を節約しよう。
「手勢を分ける。
俺たちはこのまま小倉に向かう。
多胡辰敬はここに残って、負傷者には手当をして釈放してやれ。
死人を埋葬するのを忘れるな。
日田親永と田原新七郎を残す。
初陣みたいだから、色々教えてやってくれ」
この手のフォローは絶対にしておかないとろくな事にならない。
俺の時は大鶴宗秋が居た。
あの二人にも経験者は必要だろう。
それが分かるからこそ、多胡辰敬は胸を叩いて笑った。
「承知」
「松山城代に田原親宏殿が来るから、引き継いだらこっちに来てくれ。
博多には数日滞在するのでそこで落ち合おう。
後は色々任せた」
付き合いはそれほど長くはないが、畿内でのあの大戦が俺たちの中では色濃く残っている。
多胡辰敬からすれば恩義もあろうが、俺からすると畿内で戦った同志みたいなものである。
言うつもりもないが。
「御曹司とまた戦場で轡を並べる事を楽しみにしておりますぞ」
別れ際の台詞から俺の内心がバレているとわかるが、それに返事を返すことなく俺たちは先を急ぐ。
その日のうちに小倉に入った俺たちは舟でなんとか芦屋に辿り着く。
猫城に向かうのは翌日にして宿に泊まっていたら、丹坂峠合戦の詳報が高橋鑑種から早馬で届けられる。
それによると、竜造寺軍大勝利。
有馬・大村連合軍は大敗し、肥前の要衝である多久城を失っただけでなく、内紛まっただ中の松浦家家中で竜造寺家に寝返る家が続出するという、最悪の情報が記載されていた。




