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第4話 王都を出ます

扉をノックする。


「お父様。少し、お話があります」


「……入れ」


 中から、聞き慣れた父の声が返ってきた。


「失礼します」


 私は扉を開け、執務室へ入った。


 父――アンリ・ド・ヴァロワは、いつものように机に向かっていた。


 いくつもの書類が机の上に並べられている。


 父は私を見ると、手にしていた書類を置いた。


「マルグリットか。どうした?」


「お話があります」


「……王太子殿下のことか?」


 その言葉に、胸が少しだけ詰まった。


「はい」


 父は何も言わず、私を見る。


 私は一度だけ息を吸った。


「昨日、フィリップ殿下から婚約を破棄されました」


「……そうか」


 父は目を伏せた。


 驚いた様子はない。


 おそらく、昨日のうちに王宮から知らせが届いていたのだろう。


「申し訳ありません、お父様」


「なぜ、お前が謝る?」


「ですが……」


「マルグリット」


 父は静かな声で私の言葉を遮った。


「婚約を破棄されたことは、お前の罪ではない」


「……」


「王家が決めたことだ。お前が責任を負う必要はない」


 その言葉に、胸の奥が少しだけ熱くなった。


 昨日。


 フィリップからは「王妃になる資格がない」と言われた。


 けれど。


 父は違った。


「……ありがとうございます」


「それで?」


「はい?」


「お前は、何をしたい?」


 私は顔を上げた。


「私が、ですか?」


「ああ」


 父は真っ直ぐに私を見る。


「婚約がなくなった以上、お前自身の人生を考えなければならない」


 その言葉を聞いた瞬間。


 私は、昨日から考えていたことを口にした。


「領地へ戻りたいです」


「……領地へ?」


「はい」


 父は少しだけ眉を上げた。


「王都を離れて、領地で暮らしたいと思っています」


「理由を聞いてもいいか?」


 当然の質問だった。


 私は少し考える。


 前世のことは話せない。


 三年後に魔王が復活することも。


 自分が処刑される未来も。


 今の私には、父に信じてもらえる自信がなかった。


 だから、嘘ではない理由を選ぶ。


「王都に残っていても……私には、もう居場所がありません」


「……」


「婚約者を失った令嬢として、これから王都の社交界で生きていくのは難しいと思います」


 それは事実だった。


 昨日まで王太子の婚約者だった私が、今日からはただの伯爵令嬢。


 周囲の視線が変わることくらい、想像できる。


「それなら、領地で父上の役に立ちたいです」


 私は続けた。


「私はこれまで、王妃になるための勉強ばかりしてきました」


 礼儀作法。


 政治。


 領地経営。


 貴族社会での立ち振る舞い。


 そのすべてが、昨日までは王妃になるためのものだった。


「でも、もう王妃になる必要はありません」


「……そうだな」


「なら、その知識を領地のために使いたいんです」


 父は黙って私を見つめている。


「領地のことを、もっと知りたいです」


「領地経営をしたい、と?」


「はい」


 自分でも不思議だった。


 昨日までなら、こんなことを言う自分を想像もしなかった。


 けれど今は違う。


 王都を離れる。


 自分の未来を変える。


 そのために、私は動かなければならない。


「……本気か?」


「本気です」


 私は頷いた。


 父はしばらく黙っていた。


 やがて、小さく息を吐く。


「お前は昔から、真面目すぎるところがある」


「そうでしょうか?」


「ああ。王太子妃になるために、随分と無理をしていた」


「……」


「魔力のことを気にして、人一倍勉強していたことも知っている」


 胸が痛んだ。


 無能令嬢。


 何度もそう呼ばれてきた。


 だから、誰よりも努力しなければならないと思っていた。


「……お父様は、私が無能だと思わないのですか?」


 気づけば、そんな言葉が口から出ていた。


 父は少し驚いた顔をした。


 そして。


「そんなことを気にしていたのか」


「……はい」


「マルグリット」


 父は椅子から立ち上がった。


 そして、私の前まで歩いてくる。


「私は、お前を無能だと思ったことなど一度もない」


「……」


「魔力が弱い。それだけだ」


 父はそう言って、私の頭に手を置いた。


「人間の価値が、魔力だけで決まるわけではない」


 その言葉に。


 私は何も返せなかった。


「……ありがとうございます」


 今度は、さっきよりも小さな声になった。


 父は手を離すと、少しだけ笑った。


「領地へ戻りたいのなら、戻ればいい」


「本当に?」


「ああ」


「でも……王家とのことが」


「婚約は破棄された。もう、お前が王都に留まる理由はない」


 父は机へ戻り、椅子に座った。


「準備には少し時間が必要だ。護衛もつける」


「ありがとうございます、お父様」


「ただし、一つだけ条件がある」


「条件?」


「領地に戻ったからには、遊びではなく本気でやることだ」


「……はい!」


 思わず、声が大きくなった。


 父が少し笑う。


「なら、決まりだな」


「はい」


 私は深く頭を下げた。


 王都を離れる。


 父の領地へ帰る。


 そして――そこから、自分の未来を変えていく。


 まだ、何ができるのかは分からない。


 ゲームの知識だって、どこまで役に立つのか分からない。


 それでも。


 私はもう、決めた。


 誰かに決められた未来を待つのではなく。


 自分で未来を選ぶ。


「……王都を出よう」


 小さく呟いた。


 その瞬間。


 昨日までの私とは、少しだけ違う自分になれた気がした。


 ――私の新しい人生は、ここから始まる。

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