第11話 ゲームにはない問題
その日の午後。
執務室で書類を整理していると、扉がノックされた。
「お嬢様、ピエール・ラフォンをお連れしました」
「入ってください」
「失礼いたします」
入ってきたのは、四十代ほどの男性だった。
派手さはない。
けれど、手に抱えている書類の量だけで、仕事のできる人だと分かる。
彼の名は、ピエール・ラフォン。
ヴァロワ領の領地経営を担当している人物だ。
税収や農地、水路、街道など、領地に関わる実務を取りまとめている。
今回、私が領地の問題について相談するために呼んだのも彼だった。
「ピエール・ラフォンです」
「初めまして。マルグリット・ド・ヴァロワです」
「こちらこそ。お呼びいただきありがとうございます」
ピエールは深く頭を下げた。
「早速ですが、お聞きしたいことがあります」
「はい。何なりと」
「ヴァロワ領の農業についてです」
私は机の上に地図を広げた。
「昨日、農地を見てきました」
「はい」
「水が不足していますね」
ピエールは少しだけ目を細めた。
「……よくお気づきになりました」
「やはり、そうですか?」
「はい」
ピエールは地図の上に指を置いた。
「この辺りは特に水が不足しています」
「理由は?」
「雨が少ないこともあります。ただ、それだけではありません」
「他にも?」
「水路が古いのです」
ピエールは別の書類を取り出した。
「長年、大規模な修繕が行われていません」
「なるほど……」
「水源から農地まで水を運ぶことはできます。しかし、途中でかなりの量が失われます」
私は地図を見つめた。
「修繕すれば改善できますか?」
「可能です」
「では、なぜ今まで修繕しなかったのでしょう?」
ピエールは少し黙った。
「お金がありません」
「……」
あまりにも単純な答えだった。
「税収が少ないのです」
「農業の収穫量が少ないから?」
「それもあります」
ピエールは続ける。
「収穫量が少ない」
「農民の収入が減る」
「領地の税収も減る」
「道路や水路を直す余裕がなくなる」
「その結果、さらに農業が悪化する」
私は昨日考えていたことを思い出した。
「悪循環……」
「はい」
ピエールが頷く。
「さらに問題があります」
「まだあるんですか?」
「あります」
私は思わず苦笑した。
ピエールは真面目な顔のままだった。
「魔物です」
「……」
「街道だけではありません。農地の近くまで出ることがあります」
「最近、増えているのですね」
「ご存じでしたか?」
「昨日、騎士から聞きました」
嘘ではない。
アントワーヌから聞いている。
「農民が畑へ向かう途中で襲われることもあります」
「それでは、人手不足にも繋がりますね」
「その通りです」
ピエールは頷いた。
「働き手が減れば、農地を維持できません」
私は腕を組んだ。
水。
農地。
人手。
魔物。
そしてお金。
昨日までは、それぞれ別々の問題だと思っていた。
でも違う。
全部が繋がっている。
「……領地経営って、大変ですね」
思わず口から漏れた。
「はい」
ピエールは即答した。
「大変です」
「そこは少しくらい否定してください」
「申し訳ありません」
真顔で謝られた。
私は思わず笑ってしまう。
◇
「では、まず水路を直しましょう」
私は地図を指差した。
「ここから、この農地まで」
「それは……」
ピエールの表情が曇った。
「難しいです」
「なぜです?」
「修繕費がありません」
「どのくらい必要ですか?」
「現在の領地予算では、他の支出を削らなければ難しいでしょう」
「他の支出というのは?」
「騎士団の維持費、街道の補修、税務、人件費、魔物被害への対応……」
私は黙り込んだ。
ゲームでは。
水路の問題なんて、簡単な説明しかなかった。
イベントを進めれば改善できる。
そんな程度の認識だった。
けれど現実では。
水路を一本直すだけでも、お金が必要になる。
人も必要になる。
そして、その間にも魔物は出る。
「……ゲームとは違う」
私は小さく呟いた。
「お嬢様?」
「いえ、こちらの話です」
私は地図を見つめた。
ゲームの知識は間違っていない。
この領地には、確かに発展する可能性がある。
でも。
方法までは用意されていない。
「ピエール」
「はい」
「水路を全部直す必要はありません」
「……?」
「まず、一番効果がある場所だけ直しましょう」
「試験的に、ですか?」
「ええ」
昨日、農民に話したことと同じだった。
いきなり全部を変えない。
小さく始める。
結果を確認する。
そして、次へ進む。
「どこから直すのが一番いいですか?」
ピエールは地図を見つめた。
しばらく考えたあと、一ヶ所を指差した。
「ここです」
「理由は?」
「この水路なら、比較的少ない費用で修繕できます」
「それで?」
「下流にある農地を、複数まとめて使えるようになります」
「……なるほど」
「ただし」
ピエールが続ける。
「水路を修繕するだけでは、十分ではありません」
「どういうことですか?」
「農地そのものの状態も良くありません」
「土の問題ですか?」
「長年、同じ作物を育て続けています。肥料も不足しています」
私は頷いた。
「では、こちらも小さく試しましょう」
「何を?」
「作物を変えます」
「……!」
ピエールが驚いた。
「ゲームでは、この土地に向いている作物があった」
もちろん、その言葉は口には出さない。
「この土地に適した作物を、試験的に育ててみたいんです」
「しかし、失敗した場合は……」
「私が責任を取ります」
昨日と同じ言葉を口にする。
「領地全体でやる必要はありません」
私は地図を見ながら続けた。
「小さな畑を使う」
「水路も一部だけ直す」
「そこで結果を見る」
「成功したら、少しずつ広げる」
ピエールは黙って私を見る。
「……お嬢様」
「はい?」
「以前から、このようなことを考えておられたのですか?」
「最近、考えるようになりました」
「そうですか」
ピエールは地図へ視線を戻した。
「それなら、私も協力しましょう」
「ありがとうございます」
「ただし、成功するとは限りません」
「分かっています」
「失敗する可能性もあります」
「それも分かっています」
私は頷いた。
「だから、試すんです」
失敗しない方法を探すのではない。
失敗しても、やり直せる方法を選ぶ。
それが今の私にできることだった。
◇
ピエールが退室したあと。
私は一人で地図を眺めていた。
水路。
農地。
魔物。
道路。
商人。
財政。
まだ問題は山ほどある。
けれど。
「一つずつでいい」
昔の私は、完璧な答えを出そうとしていた。
王妃になるために。
失敗しないために。
誰かに認めてもらうために。
でも、もう違う。
失敗したら、考え直せばいい。
間違えたら、やり直せばいい。
「まずは、この水路から」
私は地図に印をつけた。
そして、その隣に小さな文字を書いた。
『試験農地』
これが。
私の領地改革の最初の一歩になる。
ゲームにはなかった。
私自身が選んだ、一歩だった。
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