第10話 最初の問題
翌朝。
私は朝食を終えると、すぐに屋敷を出た。
「お嬢様、本日はどちらへ?」
リゼットが不思議そうに尋ねる。
「領地の様子を見に行きます」
「昨日も見て回られていましたが……」
「昨日は町を中心に見てまわっただけです」
私は馬車に乗り込みながら答えた。
「今日は、もっと詳しく見ます」
◇
昨日、町を歩いて感じたこと。
古い建物。
整備されていない道路。
少ない商店。
疲れた表情を浮かべる領民たち。
けれど、それだけではない。
町から少し離れると、広い農地が広がっていた。
馬車の窓から畑を眺めていると――。
「……やっぱり」
私は小さく呟いた。
畑の土が、あまり良くない。
正確には、土そのものが悪いわけではない。
水が足りていない。
畑の一部には、乾いてひび割れている場所まである。
「この辺りは、雨が少ないのでしょうか?」
御者に尋ねる。
「はい。ヴァロワ領は昔から、雨が少ない年が多いですね」
「なるほど……」
私は窓の外を見つめた。
ゲームでも、この領地の農業は問題になっていた。
収穫量が安定しない。
だから商人も寄りつかない。
税収も少ない。
領地に投資する余裕もない。
その結果、さらに農業が苦しくなる。
悪循環だった。
「なら……」
私は馬車を降りた。
「少し歩きましょう」
「お嬢様?」
「実際に畑を見たいんです」
◇
農地の近くまで歩くと、数人の農民が作業をしていた。
私たちに気づくと、慌てて頭を下げる。
「ヴァロワ伯爵令嬢様……」
「仕事を止めなくて大丈夫です」
私はそう言って、畑を見る。
やはり、水が少ない。
それだけではない。
「この畑では、何を育てているんですか?」
「主に麦です」
「毎年、同じ場所で?」
「はい。昔からそうしております」
「肥料は?」
「手に入るものを少しだけ。十分な量はありません」
「収穫量は?」
「年によりますが……あまり多くはありません」
私は畑を見回した。
前世のゲームで見た光景と重なる。
この領地が発展しなかった理由。
ゲームでは、簡単な説明だけだった。
けれど、現実に見てみれば違う。
一つの問題ではない。
水。
土地。
人手。
流通。
魔物。
いくつもの問題が絡み合っている。
「では、別の作物を試したことは?」
「ありません」
「どうしてですか?」
「失敗したら、食べるものがなくなりますから」
「……」
その答えに、私は言葉を失った。
ゲームでは。
ただ「農業が不安定」と書かれていただけだった。
けれど、ここで暮らす人たちにとっては違う。
作物が失敗するということは。
そのまま生活に直結する。
「……そうですね」
私は頷いた。
「では、いきなり大きく変えるのはやめましょう」
「え?」
「試験的に、小さな畑を一つ借りることはできますか?」
「試験、ですか?」
「ええ」
農民たちが顔を見合わせる。
「今のやり方を否定するつもりはありません」
私は慌てて付け加えた。
「ただ、別の方法も試してみたいんです」
「ですが……」
「失敗したら、私の責任です」
口にした瞬間、自分でも少し驚いた。
以前の私なら、こんなことを言えなかった。
失敗するのが怖かった。
誰かに「無能」と言われるのが怖かった。
けれど今は違う。
私はもう、王太子妃になるために正解を探しているわけではない。
自分で選んだことを、自分の責任でやる。
「お願いします」
私は頭を下げた。
「この領地を変えるために、協力してほしいんです」
農民たちは驚いたように私を見る。
しばらくして。
一人の年配の農民が、ゆっくりと頭を下げた。
「……わかりました」
「ありがとうございます」
「ただし、お嬢様」
「はい?」
「俺たちは農民です。貴族様のように難しいことは分かりません」
「それで構いません」
私は微笑んだ。
「だからこそ、実際に畑を作っている皆さんの意見を聞きたいんです」
その言葉に、農民の表情が少しだけ変わった。
◇
屋敷へ戻ると、私はすぐに書類を広げた。
「まずは水の問題」
紙に書き出す。
「次に農作物。そして人手……」
問題を一つずつ整理していく。
ゲーム知識だけなら、もっと簡単だった。
この場所を使えばいい。
この作物を植えればいい。
この鉱山を掘ればいい。
そんなふうに表示されていた。
でも現実は違う。
そこには人がいる。
生活がある。
失敗すれば、その人たちが困る。
「……ゲームとは違う」
私は小さく呟いた。
それでも。
「だから、考える意味がある」
知らない未来だからこそ。
自分で考える必要がある。
私は地図を広げた。
そして、領地の北側にある山地へ視線を止める。
「……ここ」
ゲームの記憶。
この山には――。
まだ誰にも利用されていない場所がある。
鉱山。
ゲームでは、後半になって初めて発見される場所だった。
そこから採掘される魔石が、この領地の運命を大きく変える。
けれど。
私はまだ、その場所へ向かうつもりはなかった。
「まずは農地から」
いきなり大きなことをする必要はない。
小さな成功を積み重ねる。
それが、この領地を変える一歩になる。
私は机の上に置かれた呼び鈴へ手を伸ばした。
チリン。
「ジャンを呼んでください」
やって来たのは、執事のジャン・ベルナールだった。
「お呼びでしょうか、お嬢様」
「ええ。領地の農業について、詳しい者を呼んでください」
「農業、ですか?」
「はい」
私は地図を指差した。
「それから、領地の水路や農地の状況についても調べたいんです」
「承知しました」
「あと――」
私は一度、言葉を切った。
「ピエール・ラフォンさんを呼んでもらえますか?」
「ピエールを、ですか?」
「ええ」
ゲームの知識だけでは、ここから先には進めない。
私は専門家の話を聞く。
領民の話を聞く。
そして、自分で決める。
「まずは、できることから始めましょう」
王都では、誰かに選ばれることばかり考えていた。
今は違う。
ここでは――。
私が選ぶ。
私が決める。
私が、この領地の未来を作る。
そしていつか。
ゲームには存在しなかった未来を。
この場所から始めてみせる。




