第093話 魔王戦・前半
ヴァルゼードの最初の一撃で、夜明けの欠片の光が消えた。
刃は折れていない。
黒い指先が空中へ一本の線を引いただけだった。
「その光が、ここに在る理由を否定する」
白銀の剣が、ただの冷たい金属へ戻る。
アレンが踏み込むより早く、ローグの短剣とガウェインの大剣が左右から迫った。
刃は魔王の首へ届く寸前で止まる。
腕が止められたのではない。
二人の周囲だけ、空間そのものが動かない。
フィルの霧も、セラフィーナの光弾も、オズワルドの雷も同じ場所で静止した。
ボルドが床石を蹴り上げる。
石はヴァルゼードの前で粉になり、その粉さえ落ちない。
「魔法じゃないものまで止めるのかよ」
「落ちる理由を失わせた」
ヴァルゼードは玉座の段を下りる。
静止した攻撃の間を、庭でも歩くように進んだ。
アレンは光の消えた剣で斬りかかる。
魔王は避けない。
刃が黒衣へ触れる。
金属が砕けるような音がした。
弾かれたアレンの腕が痺れる。
ヴァルゼードの黒衣には傷一つない。
背後で石壁が崩れた。
弾かれた斬撃の余波だけで、玉座の間を支える柱へ深い溝が刻まれている。直撃を受ければ、防護術のある仲間でも一度は耐えられない。
ヴァルゼードが二本目の線を引く。
今度は床ではなく、リリアの歌を否定した。
音が消える。
口は動いているのに、誰の耳にも届かない。
呼吸を合わせていた拍が崩れ、フィルと三匹の魔獣が別々の方向へ跳んだ。ローグの短剣がエミの肩をかすめ、ガウェインの大剣とボルドの拳が同じ場所で衝突する。
たった一つの連携を失っただけで、全員が互いの邪魔になった。
ヴァルゼードは攻撃しない。
崩れた彼らが自分たちで傷つけ合うのを待っている。
リリアは声の出ない喉へ手を当てた。
エミが床を二度踏む。
チビが一度鳴き、クロが爪を三度立てる。ハナが尾で床を打つ。
音を奪われても、振動は残っていた。
リリアは歌えないまま、その拍へ呼吸を合わせる。仲間たちも目ではなく足元の震えを拾い、ばらばらになった動きを戻した。
奪われたなら、別の渡し方をする。
声はない。
それでもエミには、姉がそう言ったと分かった。
ガウェインが皆の前へ出ようとし、ミアが止めた。
「受ける前提では足りません。四拍を全員で使います」
守る役まで一人へ集めない。その判断が、アレンの胸を一瞬だけ軽くした。
「退路はない。なら、俺が前を止める」
「また一人へ戻るのか」
「皆が動けるまでだ」
「その言葉で、君は何人を後ろへ置いてきた」
アレンは答えず、もう一度踏み込む。
黒い光が肩を貫いた。
痛みより先に、肩を守る理由が消える。
腕が落ちかけ、セラフィーナの保護術が繋ぎ止めた。
治癒光を受け取った瞬間、アレンは反射的に礼を言いかける。
セラフィーナは首を振った。
「返すのは後です。今は次の方へ」
彼女の光はアレンに留まらず、固定空間へ巻き込まれたローグの足へ流れた。
「前へ出続ければ、いつか君一人が死ぬ。それで皆が救われると信じている」
「違う」
「私も、そう言った」
ヴァルゼードの声は穏やかだった。
「彼女だけは救う。そのためなら私一人が壊れてよいと」
ミアが床へ落ちる黒い脈を数えている。
「停止は常時ではありません。否定の言葉を置いた地点が、四拍後に固定されます」
ローグは動かない腕を捨て、指だけで短剣を落とした。
短剣は固定領域の下へ抜ける。
フィルの霧が床を這い、刃を隠す。
「三拍目!」
ミアの声でボルドが床を殴った。
衝撃が固定前の床を走る。
ガウェインは大剣から手を離し、自分だけ領域の外へ転がった。
セラフィーナが止められた光弾を治癒光へ変え、空間の継ぎ目を白く浮かせる。
オズワルドの雷が継ぎ目へ流れ込む。
ローグの落とした短剣が、ヴァルゼードの足元へ届いた。
黒衣の裾が初めて裂ける。
裂け目から血ではなく、夜のような霧が漏れた。
フィルが鼻を押さえる。
「たくさんいる。中に」
魔王一人の魔力ではない。
城へ繋がれた魂と魔物の力が、傷を受けるたび内側から補っている。
セラフィーナは攻撃の構えを解き、霧へ治癒光を当てた。
一瞬、黒衣の下から何人もの手が浮かぶ。
ヴァルゼードが袖を払うと、手は再び闇へ沈んだ。
「救おうとすれば、その間に私が君たちを殺す」
「見捨てれば、あなたと同じになります」
セラフィーナは光を止めなかった。
ガウェインが彼女の前へ立ち、今度は一人で受けず、ボルドと左右へ力を分けた。
「役割を分けたか」
「一人で全部やるより、よく当たる」
ローグが答える。
リリアの歌が全員の呼吸を三拍へ揃えた。
エミと三匹の魔獣が黒い柱を別方向から揺らす。
夜明けの欠片に、細い光が戻り始める。
同時に、天井の黒い線から仲間全員へ細い槍が向いた。
一人が避けても、隣の誰かへ刺さる配置だった。
アレンの中で、分けたはずの役割が再び恐怖へ塗り潰される。
アレンはその光へ手を伸ばした。
早く強くしなければならない。
次の一撃が来る前に、全員を守れるだけの力が要る。
ローグの速さ。
フィルの感覚。
セラフィーナの魔力。
仲間から伸びる線を、アレンは自分の胸へ集めた。
最初に入ってきたのは力ではなかった。
ローグが次の影を疑う感覚。フィルの鼻へ流れ込む死者の匂い。セラフィーナが同時に感じている傷の数。ミアの頭を埋める拍と角度。リリアの喉の痛み。
全員分の痛みと判断が、一つの体へ押し込まれる。
アレンには扱えない。
それでも手を離せなかった。
離せば、その痛みが持ち主へ戻ると思った。
「アレン、流してください!」
ミアの声が聞こえる。
だが受け取った力を次へ渡せば、誰かが傷つくかもしれない。
自分が持てばいい。
光が剣の中で膨れ上がる。
ヴァルゼードは悲しそうに目を伏せた。
「やはり君も、器になることを選ぶ」
剣が破裂した。
白い光がアレンの腕を内側から焼く。
左手首の火傷が赤く開いた。
ヴァルゼードの手が、光の中心へ入る。
「奪う」
夜明けの欠片から光だけが引き抜かれた。
仲間との線が一斉に切れる。
アレンは膝をついた。
魔王の掌に、小さな白い光が浮いている。
それは逃げるように震え、二度短く、一度長く脈打った。
ヴァルゼードの指が止まる。
「その光の返し方を、私は知っている」
アレンは焼けた腕で剣を拾う。
「君の力を持つ者を、私はかつて愛していた」
「だから、その力で全てを終わらせるのか」
ヴァルゼードの表情が、初めて歪んだ。
その亀裂から、二十五年間閉じ込められていた怒りが噴き出した。
次の一撃が来る。




