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第087話 グリード再び


グリードは赤い門を守らなかった。


門の前を通り過ぎ、避難民を乗せた最後尾の荷馬車へ大斧を振り下ろす。


「商品を狙うなら、商人を通せ!」


ボルドが車輪と刃の間へ飛び込んだ。


天秤棒で大斧を受ける。


衝撃が地面を割り、荷馬車の幌が大きく揺れた。


中から悲鳴が上がる。


歩けない負傷者、戦場で家族とはぐれた子ども、首輪と古代鉱石の証拠箱。


魔王城へ運ぶ物と、戦場から運び出す人が同じ車へ載っていた。


「門より先に荷を喰うか!」


ボルドが大斧を押し返す。


「門は逃げない」


グリードの重鎧に赤い刻印が灯る。


「弱い者と物資は、守る者を遅くする。先に喰えば、お前は軽くなる」


大斧が天秤棒から力を吸う。


ボルドの腕が沈んだ。


初戦で砕いたはずの外殻は、以前より厚く再生している。


鎧の継ぎ目には、魔王城の黒い石が埋め込まれていた。


「再会の挨拶が重いな!」


「お前が俺へ残した傷の重さだ」


グリードが斧を引く。


ボルドは反動で後ろへ下がりながら、荷馬車を背で押した。


「動かせ!」


御者が手綱を引く。


だが右の車輪が割れた石畳へ沈み、空回りした。


前方では赤い門から魔物が流れ出している。


後方には、まだ谷を越えていない荷馬車が五台。


ここで最後尾が止まれば、全車が敵の射程へ残る。


ミアは地図を地面へ広げた。


元の退避路は、グリードの一撃で崩れている。


残るのは右の斜面と、門脇の狭い石路。


斜面は空荷なら通れる。


今の重量では車輪が持たない。


「積荷を三割下ろせば、右斜面へ退避できます」


商会員が荷台を見る。


「何を下ろします」


食料。


薬。


工具。


使役首輪と古代鉱石の証拠。


どれも捨てれば速度は上がる。


どれも捨てれば、この先で誰かが止まる。


グリードが笑った。


「計算できる女なら分かるだろう。荷を捨てろ」


「敵に助言される筋合いはありません」


「数字は同じ答えを出す」


赤い刻印が膨れ、グリードの背後に巨大な口の影が開く。


地面へ落ちた矢と盾が吸い込まれ、噛み砕かれた。


「弱い者を抱えるな。捨てれば速く進める」


ボルドは荷馬車の前へ立つ。


背後で子どもが泣いている。


負傷者の呼吸が浅い。


魔物の群れは近づいている。


正面のグリードを倒せば、最短で門が開く。


荷馬車を諦め、自分だけ戦場へ走れば間に合うかもしれない。


ボルドの手が、車体から離れた。


「ミア。荷を降ろせ」


「何をです」


「証拠箱と工具だ。食料と薬は残す。俺がこいつを倒してから拾いに戻る」


ミアは即答しなかった。


算盤の珠を三列動かす。


「戻れる確率は二割です」


「二割ある!」


ボルドは本気でそう思っていた。


二割あれば、力でこじ開けられる。


今まで何度もそうしてきた。


だが荷台の奥で、首輪を外された少女が証拠箱を抱きしめていた。


「それ、置いていくの?」


小さな声だった。


その箱には、彼女を縛っていた首輪と、同じ術式で縛られた者たちの記録が入っている。


ボルドにとっては後で拾える物でも、彼女にとっては自分が何をされたかを証明する唯一の形だった。


二割の「戻れる」は、彼女には八割の「また消える」だった。


ボルドは言葉を失った。


「証拠がなければ城内の術式を止められない可能性があります。工具がなければ帰路を直せません」


「今ここで全員喰われるよりましだ!」


ボルドの声が荒くなる。


急いでいる。


守るために、一番速い方法へ戻りかけている。


ミアは荷馬車の側板を叩いた。


「これは重量ではありません」


「重いから動かねえんだろ!」


「この食料は三日後の食事。薬は帰ってくる負傷者。工具は壊れた道。証拠は城内で首輪を外される人です」


ミアは一つずつ指す。


「荷台に載っているのは、帰る場所そのものです」


ミアの声も、完全には冷静ではなかった。


彼女も一瞬、証拠箱を下ろす計算をした。


そうすれば馬車は動く。


生きている人だけなら救える。


だが、生き延びた後に誰も信じてくれなければ、救出は半分で止まる。


王都商会で帳簿を消された時の自分と、同じ場所へ誰かを置くことになる。


「記録は、帰ってから人を守ります」


ミアは自分へも言い聞かせた。


ボルドが黙った。


荷物は、戦いの後へ続く時間を形にしたものだった。


今の敵だけを倒すために捨てれば、守ったはずの未来を先に切り捨てる。


「ですが、このままでは動きません」


ミアは周囲を見る。


「重量を減らさず、支える力を増やします」


荷台の中で、負傷した鍛冶師が身体を起こした。


「何をすればいい」


「荷を低く積み直してください。動ける方は右側へ。車体の傾きを戻します」


避難民たちが動き始める。


腕を吊った兵士が樽を床へ固定する。


母親が子どもを抱いたまま、包帯箱を荷台の中央へ寄せる。


商会員は予備の板を車輪へ当て、御者は馬を落ち着かせる。


守られるだけだった者たちが、自分で車を動かす側へ回った。


「外からも押します!」


若い商会員が車体へ肩をつける。


「戦えない者は下がれ」


グリードが吐き捨てる。


「戦っているつもりはありません」


ミアが答える。


「帰る準備をしているだけです」


車輪が少し浮いた。


荷台の中から、さっきの少女も手を伸ばした。


証拠箱を中央へ寄せ、上から自分の外套をかける。


「落ちないようにする」


母親がその横へ薬箱を押さえた。


負傷兵が食料袋の口を結び直す。


誰かが守られる側に固定されるのではない。


できる動きが一つでもあれば、その一つで馬車は軽くなる。


ボルドは天秤棒を地面へ突き、グリードの二撃目を受け止める。


背後から、荷馬車を押す声が重なる。


「せえの!」


車輪が溝を越えた。


一台目が斜面へ入る。


続く車列も、商会員と避難民が互いに手を貸して方向を変えた。


ボルドは笑った。


「聞いたか、グリード!」


「何をだ」


「荷物扱いされた奴らも、自分で押し返す!」


「弱者に意思があったところで、弱さは消えない」


「弱くても押せる。足りなきゃ隣が押す!」


ボルドは大斧を横へ弾く。


「それで進めりゃ、十分強え!」


グリードの刻印が激しく明滅した。


「ならば全て喰らう」


大斧を地面へ突き立てる。


赤い門、倒れた魔物、砕けた武器から力が吸い上げられた。


重鎧が肉のように膨らむ。


肩が門より高くなり、背中から幾つもの顎が開いた。


人の形が、飢えそのものへ変わっていく。


「力も、荷も、帰る場所も、俺が喰えば同じだ」


ボルドは退避を終えた荷馬車を見る。


「捨てて速くなった足で、どこへ行くんだよ」


返事の代わりに、グリードの顎が空を覆った。


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