第082話 魔王城へ
魔王城へ続く街道を、黒い軍勢が埋め尽くしていた。
その正面へ、ボルド商会の荷馬車が突入する。
「道を開けろ!」
御者台でボルドが叫ぶ。
返事の代わりに、魔王軍の槍が一斉に下がった。
先頭の荷馬車は速度を落とさない。
幌の下に積まれているのは石や爆薬ではなく、食料、薬、包帯、工具だった。
帰りに必要な物を積んだまま、敵陣へ走っている。
「右へ三度!」
後方の馬車からミアが旗を振る。
御者が手綱を引き、車列が右へ折れた。
正面から降ってきた矢が、空になった街道へ突き刺さる。
「次、左へ二度! 防壁班、前へ!」
ガウェインが騎士たちと車列の側面へ出る。
大剣を地面へ突き立て、展開した防壁が二台分の荷馬車を覆った。
敵の二射目が光の壁へ弾かれる。
「今だ、ボルド!」
「待っていた!」
ボルドは御者台から飛び降りた。
走る荷馬車より先へ着地し、街道へ両手をつく。
石畳ごと持ち上げた。
槍を構えていた前列が足場を失う。
倒れた兵へ荷馬車をぶつけず、隆起した地面の脇を通す。
「殺さないのか」
護衛の一人が驚く。
「荷を運ぶ道へ死体を積むな! 帰りに邪魔だ!」
言い方は商売だった。
それでも、倒れた敵の命を数から外さなかった。
三日前、地平で動いた軍勢は交易都市へ向かわなかった。
街道の狭い箇所へ陣を敷き、魔王城へ近づく全ての道を塞いだ。
アレンたちは予定を変えず、夜明けに出発した。
討伐隊だけではない。
避難民を西へ運ぶ馬車、周辺の村へ薬を届ける商隊、負傷者を受け入れる治療師たちも別の道を動いている。
一つの勝利へ全てを集めず、複数の仕事を止めない。
それがミアの進軍計画だった。
アレンは先頭の馬車ではなく、車列の中央にいた。
夜明けの欠片を抜く。
白銀の刃に弱い光が灯る。
前へ出たい。
敵の指揮官を倒せば、早く道が開く。
だが自分の役目は、最も危険な場所へ一人で飛び込むことではない。
「左の防壁が薄い!」
ミアの声を聞き、アレンはそちらへ剣を向けた。
共鳴の光をガウェインへ流す。
前回のように全員から集めない。
必要な量だけ受け取り、必要な相手へ渡す。
ガウェインの防壁が広がり、側面へ回った騎兵を押し返した。
光はアレンの中へ留まらず、役目を終えて薄れる。
左手首は痛まない。
「成功じゃ!」
後方の馬車でオズワルドが叫ぶ。
「一回で喜ぶな。次が来るぞ!」
ローグの声が屋根から飛ぶ。
黒い火球が空へ上がった。
敵陣の奥で、角笛が三度鳴る。
魔物たちが鎖を外され、一斉に走り出した。
先頭は牙を持つ甲獣。
後ろには空を飛ぶ黒翼獣。
荷馬車の馬が怯え、車列が乱れ始める。
リリアが荷台へ立った。
「怖くない、とは歌わないわ」
最初の音を高く伸ばす。
「怖くても、次の一歩は選べる!」
歌が車列を通る。
御者の呼吸が揃い、兵士が盾を上げる時機を取り戻す。
逃げようとした馬も、隣の馬の足音へ歩調を合わせた。
エミは三匹と共に前へ出る。
「チビ、上。クロ、地面。ハナ、馬を守って」
命令ではなく、役目を伝える声だった。
チビが角から光を散らし、黒翼獣の目を眩ませる。
ハナは花弁を広げ、馬へ届く魔物の匂いを遮った。
クロだけが敵ではなく街道の石を嗅いでいる。
突然、低く唸った。
「止まって!」
エミの声に、ミアが赤い旗を上げる。
全車が停止した。
先頭馬車の車輪から、指一本分の場所に黒い線があった。
石畳へ埋め込まれた術式が、止まった車列の魔力を吸って赤く光る。
「地雷術式じゃ!」
オズワルドが杖を振る。
「踏んだ重さではない。上を通る生き物の恐怖へ反応する!」
敵の魔物が迫る。
止まれば追いつかれる。
進めば街道ごと爆発する。
「俺とフィルが行く」
ローグが荷台から降りる。
「地面の匂い、追えるか」
「クロと行く」
フィルはローグだけで決めず、黒い獣を見る。
クロが短く鼻を鳴らした。
二匹は術式の両端へ分かれる。
ローグが霧の中へ入り、黒い線に沿って埋められた三つの起動石を探す。
「解除にどれくらいです」
アレンが尋ねる。
「急かすな。間違えれば全員で空を飛ぶ」
ボルドが迫る甲獣の前へ立つ。
「空を飛ぶのも悪くない!」
「荷馬車は飛べません」
ミアが即座に返す。
ガウェインの防壁へ甲獣が衝突した。
一撃で亀裂が入る。
アレンは剣を向けかけた。
前へ行けば、自分なら倒せる。
しかし右側では黒翼獣が治療班へ回り込んでいる。
「アレン、右を!」
ガウェインが自分から指示する。
「ここは私とボルドが持つ」
アレンは従った。
剣を右へ向け、リリアの歌から受け取った呼吸を弓兵へ渡す。
矢が同時に放たれ、黒翼獣の進路を変える。
落ちた一匹が敵兵を巻き込んだ。
セラフィーナが駆け寄る。
人間側の兵士を治した後、黒翼獣の下敷きになった魔王軍兵へも手を伸ばした。
「敵です!」
若い治療師が止める。
「今は負傷者です」
治癒の光が敵兵の血を止める。
目を覚ました兵は、セラフィーナを刺そうと短剣へ手を伸ばした。
ガウェインは遠い。
アレンが動くより先に、若い治療師がその手を踏んだ。
「助けてもらった直後くらい、静かにしてろ」
敵兵は抵抗をやめた。
治療師はセラフィーナを見る。
「次は味方を優先します。人手が足りません」
「ええ。判断を任せます」
セラフィーナ一人が全てを治すのではない。
治療師たちが重傷度を分け、薬師が運び、護衛が敵味方を引き離す。
分けた力が、止まらず動いていた。
「一つ目!」
霧の中からローグの声。
「二つ目」
フィルが続く。
クロが三つ目の起動石を掘り出した。
だが石へ黒い鎖が絡み、魔王城の方角へ伸びている。
「遠隔命令で繋がっとる。切れば起爆するぞ!」
オズワルドが叫ぶ。
エミは荷箱の使役首輪を見る。
内側の鉱石が、地雷と同じ周期で明滅していた。
「命令、同じ」
首輪を布越しに持ち、短杖へ近づける。
「今は触るな!」
オズワルドが止めた。
「分かってる。見るだけ」
エミは明滅の間隔を覚える。
命令を逆へ流す方法までは分からない。
エミは首輪と地雷の明滅を、同じ拍として覚えた。
「線は切らない」
ローグが地面へ耳をつける。
「起動石の周りを掘って、道ごと迂回させる」
「時間がかかる」
「なら時間を稼げ」
アレンは頷いた。
一人で解除も戦闘も引き受けようとはしなかった。
ガウェインへ防御の光を渡す。
ボルドへ足場を支える力を渡す。
リリアの歌を弓兵へ繋ぎ、セラフィーナの治癒を最も遠い負傷者へ届かせる。
自分の剣で倒した敵は、まだ一人もいない。
それでも戦線は崩れなかった。
やがてローグが腕を上げる。
「通せ!」
術式を残したまま、荷馬車一台分の安全な道が開いていた。
ミアの青旗が振られる。
車列が再び動く。
ボルドとガウェインが甲獣を左右へ押し分け、荷馬車が間を抜ける。
リリアの歌を合図に、味方の兵も一斉に前進した。
黒い軍勢の中央が割れる。
その先で、初めて魔王城の全貌が見えた。
雲へ突き刺さる黒い塔。
城へ至る最後の谷には、三つの巨大な門が並んでいる。
左の門から霧が流れた。
中央の門には、汚れた白い祈祷布が垂れる。
右の門の周囲では、地面そのものが何かに喰われていた。
ローグの軽口が消えた。
セラフィーナの指が胸元で止まる。
ボルドが拳を握る。
三つの門が同時に開く。
左にシャドウ。
中央にイゼベル。
右にグリード。
魔王城を背に、三人の幹部がそれぞれの因縁を待っていた。




