第080話 リリア・エミと合流する
歌は、閉じかけた城門の外から聞こえた。
魔王軍の密偵が捕まったことで、門前の検査が厳しくなっている。
東へ出る荷馬車と西へ逃げる人々が押し合い、誰かが「門を封鎖する」と叫んだ。
事実かどうかを確かめる前に、不安だけが広がる。
子どもが泣き、荷馬車の馬が暴れかけた。
そこへ、女の歌声が届いた。
大丈夫だとは歌わない。
怖くないとも言わない。
長い夜を歩く足と、途中で休む場所を歌っていた。
一人目の声が息を継ぐ。
その空白へ、少し低い二人目の声が重なる。
押し合っていた者たちが、歌の方を見る。
門の外から、継ぎ接ぎの舞台幕を張った馬車が入ってきた。
御者台には二人の姉妹。
荷台の屋根には小さな角獣が立ち、黒い獣が馬車の横を歩く。大きな花獣は門へ身体をぶつけないよう、腹を引っ込めていた。
「旅芸人だ」
群衆の誰かが言った。
歌は門を開く命令ではなかった。
それでも人々は互いに半歩ずつ場所を譲り、止まっていた列がまた動き出した。
青鈴亭の一行も、開いた壁から歌を聞いて通りへ出た。
ボルドが両腕を振る。
「こっちだ!」
歌声より大きかった。
馬車の姉が演奏を止めずに笑う。
妹は耳を押さえた。
黒い獣も同じように前足で耳を覆う。
「クロまでやるのか!」
「正しい判断です」
ミアが言った。
馬車は青鈴亭の前で止まる。
明るい衣装の姉が御者台から降りた。
笑顔は舞台の上ほど整っていない。
目元には泣いた後の色が薄く残っていた。
それでも隠さず、アレンたちへ頭を下げる。
「リリア=カルナです。こちらは妹のエミ」
「エミです」
妹は短く名乗る。
「チビ、クロ、ハナ」
呼ばれた三匹が、それぞれ違う声で返事をした。
フィルとクロが互いの匂いを確かめる。
チビはフィルの銀髪へ前足を伸ばし、ローグに止められた。
ハナは壁の穴から宿へ入ろうとして、幅が足りずに詰まる。
「入口じゃないぞ」
ローグが言う。
「俺が広げる!」
ボルドが壁へ手をかける。
「やめてください」
ミアと宿の主人の声が重なった。
一行は一階の食堂へ移った。
壊れていない中で最も広い部屋だった。
リリアは荷箱から布に包んだ小片を取り出す。
銀色の金属に、黒い線が焼きついていた。
「母をレクイエムへ変えた契約印の欠片です」
明るかった声が一度だけ止まる。
エミが姉の隣へ立った。
代わりに説明を奪わず、続きを待つ。
「母は解放されました。でも、この術式を作った仕組みは残っています」
オズワルドが欠片を受け取り、使役首輪と古代鉱石の搬送記録を机へ並べた。
夜明けの欠片は中央に置く。
黒刃の契約紙。
人と魔物を縛った首輪。
死者を契約へ留めた印。
由来の違う三つの証拠へ、同じ角度の細い溝が刻まれていた。
オズワルドが紙の上へ写し取る。
一つだけでは意味のない線だった。
三つを重ねると、円の中に複数の点が浮かぶ術式図になる。
中央の点だけが、ほかの全てへ線を伸ばしている。
「命令術式の原型ですか」
セラフィーナが尋ねる。
「今使われとる形はな」
オズワルドは図を逆さにした。
中央から外へ伸びていた線が、点と点を結ぶ輪に見える。
「元は一人が全員へ命じる図ではない。離れた者が力を渡し、受け取り、また返すための回路じゃ」
「魔王軍が支配へ作り替えた?」
ミアが聞く。
「中央へ力を集める方が簡単だからじゃ。奪うだけなら、相手の意思を確かめる必要がない」
オズワルドは夜明けの欠片を図の中央へ置いた。
錆の下から現れた銘と、円の線が重なる。
「この剣は王が兵へ命じるための物ではない。複数の意志を束ね、互いへ繋ぐ器として作られとる」
アレンは剣を見る。
勇者が一人で振るう武器だと思っていた。
選ばれた者が、ほかの者を守るための力。
けれど剣の構造は、一人では完成しない。
「誰の力を繋ぐんですか」
「剣が決めることではない」
セラフィーナが答えた。
「繋がる方々が、自分で決めるのでしょう」
部屋にいる者たちを見る。
ローグとフィル。
セラフィーナ、ガウェイン、オズワルド。
ボルドとミア。
リリアとエミ、それに三匹の魔獣。
昨日まで、互いの名も知らなかった者たちだった。
今は全員が、魔王城へ向かう地図の周りにいる。
胸の奥に喜びが生まれるより先に、恐怖が来た。
アレンが進むと言えば、この者たちも危険へ入る。
自分の剣が力を求めれば、皆が傷つくかもしれない。
「俺には、できません」
声が出ていた。
全員の視線が集まる。
「剣が俺を選んだとしても、皆さんを危険へ連れていくことはできない」
短剣へ触れた指が震える。
「村で、俺だけが生き残りました。もう誰かが死ぬのを見たくない。俺が一人で行けば済むなら、その方が」
「また戻ったな」
ローグが言う。
責めるより、呆れた声だった。
「お前は俺たちを連れてきてない。俺は俺の仕事を追って、ここへ来た」
「ローグと来た」
フィルが言う。
少し考え、言い直す。
「自分で、ローグと来た」
セラフィーナが胸元へ手を添える。
「私は追放されたからではなく、自分の正義を選んでここへ来ました」
「私は彼女に同行を願い、許可を得た」
ガウェインが続く。
「わしは研究の続きを見に来た。命令されても来んかったわい」
オズワルドが言う。
「儲かるから来た!」
ボルドの声が食堂を揺らす。
「訂正します。儲かる形を作るために来ました」
ミアは帳簿を閉じた。
リリアがエミを見る。
以前なら姉が先に答えたのだろう。
今回は待った。
「私が行くって決めた」
エミが言う。
「お姉ちゃんと、みんなと。戦う旅でも、歌をやめない」
「私も、自分で妹の隣を選びました」
リリアが続ける。
誰もアレンに命じられていない。
誰も勇者へ人生を預けるために来たのではない。
それぞれが自分の道を歩き、その先で同じ場所へ集まった。
アレンが全員を守るのではない。
全員が、自分と隣の誰かを守ろうとしている。
エミが夜明けの欠片を見る。
「魔王を倒したら」
短い言葉の後に、長い沈黙があった。
「世界は、もう少し笑えますか」
アレンはすぐに答えられなかった。
魔王を倒しても、失った人は戻らない。
焼けた村も、壊れた家族も、傷ついた心も元どおりにはならない。
戦いが終わっただけで、誰もが笑える世界になるわけではない。
それでも、ローグはフィルが笑う場所を作った。
セラフィーナは一人へ集められた治癒を、各地へ分けようとしている。
ボルドとミアは、倒した後に食事と道を残そうとしている。
リリアとエミは、泣いたままでも歌える舞台を続けている。
魔王を倒せば終わりではない。
終わった後を、ここにいる者たちと作ることはできる。
アレンはエミを見る。
「必ず」
勝利を知っているからではなかった。
誰かに約束された未来でもない。
自分もその未来を作る側に残ると、初めて決めた言葉だった。
机の三つの証拠が同時に光る。
契約紙の血判。
使役首輪の鉱石。
セレナの契約印。
支配へ変えられた線が、元の輪へ戻る。
光は一人へ集まらない。
机を囲む全員の間を巡り、夜明けの欠片へ返った。
アレンが柄を握る。
赤い錆が、一片ずつ浮き上がった。
雨のように机へ落ちる。
最後の一片が刃先から離れた。
柄元へ埋もれていた鍔が開く。
短剣だった刃が白銀の光を帯び、アレンの腕の先まで伸びた。
「必ず」
今度は、剣がその言葉へ答えた。




