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第077話 ローグとフィルと合流する

 

 黒い外套の男は屋根から飛び降りた。


 白銀の髪の少女は飛ばなかった。


 屋根の端を蹴った身体が、白い霧へほどける。


 男の刃が少年へ届く直前、霧はその背後で少女へ戻った。


 少女が手首へ噛みつく。


「うわっ!」


 刃が落ちた。


 少女はすぐ牙を離し、刃だけを路地の端へ蹴り飛ばす。


「フィル、そいつを逃がすな」


「逃がさない」


 黒い外套の男は、壁へ縫い止めた密偵へ近づく。


 密偵は自分の袖を切り裂き、短剣を抜いた。


 刃先が黒い外套をかすめる。


 男は半歩で避け、密偵の手首を取った。肘を返し、石畳へ伏せさせる。


「子どもを追うには、装備が立派すぎるな」


「放せ!」


「質問に答えたら考える」


 もう一人がフィルを振り払い、アレンへ向かってきた。


 少年ではない。


 アレンが持つ筒を狙っている。


 錆びた短剣で一撃を受ける。


 重い。


 二度目も同じ場所へ刃が落ち、赤い錆が散った。


「右」


 黒い外套の男の声。


 アレンは考えず右へ踏み込む。


 直前まで胸があった場所を、黒い針が通過した。


 密偵は左手に暗器を隠している。


「真面目そうな顔で、勘は悪くない」


「褒めてる場合ですか」


「返事をする余裕もある」


 密偵がアレンへ向き直る。


 白い霧が二人の間へ流れ込んだ。


 視界が消える。


 何も見えないのはアレンも同じだった。


 それでも、フィルの足音は密偵の背後だけで鳴った。


 男が振り向く。


「前」


 少女の声を信じ、アレンは霧の正面へ踏み込んだ。


 短剣の柄に手応えが返る。


 霧が薄れ、鳩尾を押さえた密偵が膝をついた。


 黒い外套の男が投げ縄を放つ。


 二人の密偵の腕が、背中で一つに縛られた。


「初対面にしては上出来だ」


 男が言う。


「何も見えませんでした」


「だから声を聞いた」


 フィルが霧から現れる。


「声、聞いた」


 名前を教えた覚えはない。


 驚いている間に、広場の兵士たちが走ってきた。


 黒い外套の男は密偵の袖をめくり、黒鉄の腕輪を見せる。


「魔王軍の連絡役だ。腕輪を外して別々の牢へ入れろ。奥歯に毒がある」


 密偵の一人が舌を噛もうとする。


 フィルが顎を押さえた。


 兵士たちは顔色を変え、二人を慎重に連れていった。


 壁際の少年は、筒だけを見つめている。


 アレンは差し出した。


「ごめん。返す」


 少年が受け取る。


「それから、助かりました」


 アレンは黒い外套の男へ頭を下げた。


「巻き込んで、すみません」


 男の眉が上がる。


「俺たちはあいつらを三日追ってた。横から入ってきたのはお前だ」


「でも、危険な目に」


「危険へ来たのは俺たちの判断だ。お前が勝手に背負うな」


 男は壁から自分の短剣を抜き、袖の切れ端を払った。


「助けを借りるのと、責任を押しつけるのは別だ。礼だけ受け取っておく」


 アレンは、もう一度出かかった謝罪を飲み込む。


「ありがとうございます」


「一回でいい」


 ローグは縛られた密偵を顎で示した。


「それと、次からは兵を呼べ。自分が壁になれば全部解決すると思うな」


「呼ぼうとはしました」


「声より先に身体が出た」


 アレンは黙る。


 図星だった。


 ローグは責める口調ではない。


 ただ、戦場でその癖がどれだけ危険かを知っている声だった。


「助ける相手に、お前の死体を越えさせるな。逃げ道も作れ」


 その言葉は、親父さんの教えの二歩目と同じ場所を指していた。


 白銀の少女が近づいてくる。


 アレンの前で一度止まり、顔を見る。


 それから許可を待つように首を傾けた。


「匂い、嗅いでいい?」


 聞かれると思わなかった。


 アレンが頷くと、少女は胸元へ鼻を寄せた。


「焦げた匂い。かなしい匂い」


 視線が左手首へ落ち、腰の短剣へ動く。


「あと、光」


 火傷は袖に隠れている。


 短剣も光っていない。


「分かるの?」


「匂う」


 黒い外套の男がため息をつく。


「フィルは感情を嗅ぐ。隠しても無駄だ」


「ローグ、嘘も」


「余計な補足をするな」


 男は短剣を鞘へ戻した。


「俺はローグ。こっちはフィル」


「アレンです」


「知ってる」


 フィルが答える。


「兵士、呼んだ」


 戦いの途中で、誰かが広場へ知らせに走ったらしい。


 自分が呼べなかった助けを、少年は呼んでいた。


 少年は筒を抱え直す。


「これ、届けないと」


「どこへだ」


「青鈴亭。白い髭のおじいさんと、白い服のお姉さん」


 ローグの目が細くなる。


「俺たちも同じ宿へ行くところだ。だが、そのまま持ち込むな」


 少年は筒を抱えたまま後ずさった。


「でも、届けないと怒られる」


「誰に」


「知らない。橋の下で渡された」


 ローグは膝を折り、少年の目線へ合わせた。


「怒られるのと、死ぬのと、どっちがましだ」


 少年は答えない。


 フィルが横から言う。


「怒られるの、怖い。でも死ぬの、もっと戻れない」


 少年はようやく筒を差し出した。


 仕事を果たすことと、命を捨てることを混ぜない。


 アレンはそのやり取りを、さっきの自分の姿と重ねて見ていた。


 筒を受け取ると、封蝋へ触れず底へ細い針を差す。


 小さな留め金が外れた。


 封蝋の下から、切れた毒糸が落ちる。


 少年が両手を背へ隠した。


「聞いてない」


「運ばせる側は、お前が死んでも困らないらしい」


 ローグの声から軽さが消えた。


 筒には薄い契約紙が数枚入っている。


 一枚目に、刃を重ねた紋章。


 ローグの指が止まった。


「《黒刃》」


 紙には古代鉱石の搬送量と倉庫番号が並んでいた。


 搬送責任者はダリウス。


 承認欄には、聖法院の封印がある。


「昔の仲間ですか」


「仲間だった奴だ」


 ローグはそれ以上語らず、紙の端を見る。


 黒く光る鉱石片が縫いつけられていた。


 アレンの短剣が、外套の下で温かくなる。


 フィルが鼻を動かす。


「同じ光。でも、こっちは苦しい」


「宿の老人なら違いが分かるかもしれない」


 ローグは契約紙を筒へ戻した。


「裏道を使う。フィル、先を見ろ」


「うん」


 二人と少年が歩き出す。


 アレンは一歩遅れて立っていた。


 一緒に来いとは言われていない。


 それでも、自分から言わなければまた一人になる。


「俺も行っていいですか」


 ローグが振り返る。


「記録を見た奴を置いていく方が面倒だ」


「それは、いいという意味ですか」


「勇者様は全部説明されないと歩けないのか」


「ローグ、素直じゃない」


「お前は先を見ろ」


 アレンは少年の隣へ並んだ。


 誰かと同じ目的地へ歩く。


 それだけのことが、ひどく不慣れだった。


 フィルがもう一度、アレンの前で鼻を動かす。


「この人、欠けてる」


 アレンの足が止まりかける。


 フィルは続けた。


「でも、満ちていく途中」


 腰の短剣が温かくなる。


 錆の隙間に、髪の毛ほど細い光が走った。


 ローグはその光を見て、口笛を吹きかけてやめた。


「なるほど。勇者様って呼んだのは冗談だったんだがな」


 アレンは短剣を押さえる。


「まだ、違います」


「じゃあ、違うまま来い。今は記録を運ぶ人手がいる」


 役目は称号より先に与えられた。


 アレンは初めて、少しだけ息をしやすくなった。



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