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第076話 勇者は最後に現れる

 第75話 全国でも、材料になる


 四回裏。

 フェアリーズは二点を追っていた。

 南港の投手は、くるみに何も見せなかった。


 そのはずだった。

 くるみはベンチで、三振した打席をもう一度書いていた。

 一球目。


 二球目。

 三球目。


 見えなかった、では終わらせない。


「三球目の前だけ」


 くるみが言った。

 晴臣が振り向く。


「足じゃなくて、息です」


 ななせも頷いた。


「投げる前に、右足の親指が浮きます」


「一語にしろ」


 晴臣がりおを見る。

 りおは相手投手を見た。


 長く言えば遅れる。

 全国の打球は待たない。


「浮く」


 それだけだった。

 打席の葵が、小さく反応した。


 初球。

 浮く。


 葵は一歩だけ前へ出た。

 バットに当たる。


 弱いライナー。

 さっきなら抜けていた。


 今は、葵のグラブに入った。

 南港のベンチが一瞬静かになる。

 弱点は消えていない。


 でも、材料になった。

 その裏。


 フェアリーズの攻撃。

 先頭のつぐみが粘った。


 内も外も大きく振らない。

 打てる打席ではない。


 長くする打席。

 七球目をファウルにして、八球目を見送る。

 四球。


 代走、あお。

 南港の捕手が立ち上がる。


 肩が強い。

 ベンチで見ているだけでもわかる。

 走れば刺される。


 あおは一塁で止まった。

 走れる足が、止まる。


 投手が見る。

 あおは動かない。


 また見る。

 動かない。


 三度目。

 投手の呼吸が少しだけ早くなった。

 打席のすずはバントの構えから引く。


 ボール。

 次の球、すずは転がした。


 一塁アウト。

 あおは二塁へ。


 一死二塁。

 こまりが打席に入った。


 南港は前へ出すぎない。

 小さい打球を消す位置を保っている。

 こまりはそれを見た。


 消されるなら、消される場所へ打たない。

 強くは振れない。


 でも、方向なら選べる。

 外の球。


 こまりは一塁側へ転がした。

 一塁手が捕る。


 アウト。

 あおは三塁へ。


 二死三塁。

 満塁ではない。


 ひびきの好きな形ではない。

 それでも、打席は重かった。


 ひびきはバットを肩に置かない。

 笑わない。


 初球を見送る。

 ストライク。


 南港は満塁ではないひびきを、少し軽く見た。

 二球目。


 外。

 ひびきは踏み込まない。


 ボール。

 三球目。


 真ん中低め。

 ひびきが振った。


 打球はセンター前へ落ちる。

 あおが還る。


 二対一。

 ベンチが立ち上がりかける。


 晴臣が手で制した。

 まだ一点差。


 でも、材料はつながった。

 くるみの三振。


 ななせの足。

 りおの一語。


 葵の一歩。

 あおの走らない時間。


 こまりの進塁打。

 ひびきの、満塁ではない重い打席。

 全部が一点になった。


 五回表。

 南港はすぐに突き放しに来る。


 先頭が粘る。

 こはねの球数が増える。


 みのりの手が少し遅れる。

 朱音が立った。


 今度は晴臣が止めない。


「一人」


 朱音は頷いた。

 澪がマスクをかぶる。


 みのりが言う。


「低めだけ。火、上げすぎない」


 朱音は返事をしない。

 返事の代わりに、マウンドへ走った。

 球は速くない。


 でも、熱い。

 一人目。


 内野ゴロ。

 葵が捕る。


 アウト。

 朱音は拳を握りかけた。


 澪がミットを下げる。

 みのりがベンチから言う。


「まだ燃やさない」


 朱音は息を吐いた。

 二人目。


 ファウル。

 ファウル。


 火が上がる。

 でも、澪が止める。


 外低め。

 打球は浅い外野。


 すずが前へ出る。

 怖い。


 でも、止まる。

 捕れない。


 ただ、前で止める。

 走者は三塁で止まった。


 失点はしない。

 そう思った次の打者で、南港は浅い外野フライを打った。

 すずが捕る。


 三塁走者がタッチアップする。

 返球は中継へ。


 間に合わない。

 南港、三点目。


 朱音は崩れていない。

 でも、全国の一点は、止めきれなかった。

 全国でも、材料になる。


 ただし、地方よりずっと早く、材料にしなければならなかった。

 朱音は三点目の後、マウンドで一度だけ目を閉じた。

 燃えている。


 でも、燃え方が違う。

 地方大会なら、この悔しさは球速になった。

 強く投げて、押し返せばよかった。


 南港はそれを待っている。

 高めに浮いた火を、外野の前へ落とす準備をしている。

 みのりがマウンドへ来た。


「燃やさないで」


「燃えてます」


「知ってる。だから、外へ出さない」


 澪もベンチから手を下げる。

 火を消す合図ではない。


 低くする合図。

 朱音は頷いた。


 次の打者。

 初球、低め。


 ファウル。

 二球目、さらに低め。


 見送る。

 三球目、内へ少しだけ強く。


 詰まったゴロ。

 りおが捕る。


 アウト。

 ようやく一つ止めた。


 ベンチへ戻った朱音は、悔しそうに言った。


「一点、取られました」


 晴臣は答える。


「でも、次の一点は止めた」


 全国でも材料になる。

 ただし、材料にするのは試合後では遅い。

 取られた直後に、次の打者へ使う。


 失敗を抱えたまま、次の球を修正する。

 その速さがなければ、全国では試合が終わってしまう。

 こまりはベンチで、そのやり取りを見ていた。


 自分の弱点も、きっとすぐに使われる。

 使われた後、次の一球までに変えられるか。

 その問いが、バットを握る手に残った。


 試合後、くるみのノートはいつもより汚れていた。

 急いで書いた線。


 途中で消した癖。

 次の打席ではもう使えなかった情報。

 全国では、材料の賞味期限が短い。


 くるみはそれを見て、少しだけ笑った。


「忙しいです」


 りおが答える。


「いいことじゃん」


「はい。見ている暇がありません」


 見ている暇がない。

 つまり、試合に入っている。


 こまりはその言葉を聞きながら、自分のバットをしまった。

 全国でも材料になる。


 ただし、材料にする手は、もっと速く動かさなければならない。


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