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第063話 手がかり

  解放した角獣の首輪には、古い番号が刻まれていた。


 角獣は村外れの森で休ませた。


 去ることもできたが、ハナの隣へ身体を横たえた。傷が治るまで自分から残ると、エミへ伝えている。


 十二年前、旅芸人一座を襲った不死術式実験の管理番号と同じ形式だった。


 番号の前半は実験部隊、後半は対象者を示す。


 角獣の番号は「獣体」。父の短杖に焼きついた紋章には「歌唱」「調律」という古い魔法文字があった。


 一座は最初から、魂と音を結ぶ実験対象として選ばれていた。


 エミが父の短杖を並べる。


「ここ」


 囁きの枝の根元にも、火傷のような紋章が残っている。


 襲撃の夜、父が実験兵から奪った術具を杖へ組み込んだ跡だ。


 父は敵の技術を、娘が魔獣と話すための道具へ変えた。


 支配の術を、対話へ作り直したのだ。


 エミは短杖を強く握った。


 首輪と紋章が一致する。


「偶然よ」


 リリアは早口で言った。


「同じ部隊だっただけ。あの女とお母さんが同じとは限らない」


「お姉ちゃん」


「お母さんは死んだの。死んだ人は、あんなふうに立っていない」


 言い切る声が震える。


 死を受け入れたからではない。


 生きて敵になっていた可能性より、死んだままの方が耐えやすいからだ。


「匂いも?」


「似た香油を使う人はいるわ」


 否定するたび、声が明るくなる。


 その明るさは、いつもの公演の声より少し高かった。


 エミは姉を責めなかった。


 代わりに、証拠を机の上へ順番に置いた。


 花びら。


 灰色の糸。


 首輪の番号。


 墓守の証言。


 兵の発言。


 一つずつなら偶然にできる。二つなら罠にできる。三つを越えると、否定するためにも別の説明が必要になる。


 リリアはそれでも、花びらだけを裏返した。


 母の香りが見えないように。


「お姉ちゃんが今、決めなくていい」


 エミが言う。


「でも、見ないことにはしない」


 その言葉は、リリアがエミへ何度も言ってきたものだった。


 怖いものは、見なくてよい日もある。


 けれど旅を続けるなら、いつかは名前をつける。


 今度は妹が、姉の逃げ道と向き合う道を同時に残していた。


 数日前、姉妹は旅芸人の情報網を通じて、北境の賢者オズワルドへ白髪の女について照会していた。


 旅芸人の情報網は、各地の公演予定と安全情報を伝書鳥で共有する。


 北境では、オズワルドが古代鉱石の台帳と不死術式の流通記録を照らしていた。ハンマー村に残った実験番号と、角獣の首輪の番号は同じ系列だった。


 夕方、魔法便が届く。


 記録には、魔王軍幹部レクイエムの名があった。


 呪歌で生者を眠らせ、十二年前から外見が変わらない白髪の女。


 目撃地は、焼かれた舞台や集団墓地ばかり。


 命令された標的を眠らせた後も、その場に残って歌を聞くことがある。


 完全な兵器なら不要な行動だった。


 報告には、被害だけでなく奇妙な例外も記されていた。


 小さな子どもだけが眠りから早く戻った村。


 墓地の花を踏まないよう、遠回りした足跡。


 眠らせた旅芸人の楽器を、壊さず幕の陰へ並べ直した痕跡。


 どれも救いとは呼べない。


 村は眠り、舞台は潰され、人は連れ去られている。


 それでも命令の中に、ほんのわずかな抵抗が混じっていた。


「優しい証拠じゃない」


 リリアは自分に言い聞かせる。


「分かってる」


 エミは頷く。


「でも、残ってる証拠」


 母を許すためではない。


 セレナがまだ選べる部分を探すための記録だった。


 不死術式実験の生存個体。


 本名候補、セレナ=カルナ。


 根拠として、実験台帳の破損頁に「試料・カルナ」の記載が残っていた。


 本人の同意欄ではない。


 術者が契約対象へ勝手につけた分類記号だった。


 リリアの手から紙が落ちた。


「お母さんは、三十一歳だった」


「今、生きていたら四十三歳」


 エミが続ける。


 姉妹と別れた時の母より若く見える女は、時間そのものを奪われている。


 白髪の女は二十代前半にしか見えない。


 否定材料を見つけたように言う。


 だが記録の次の行には、不死術式が肉体の外見年齢を契約時で固定するとあった。


 魂を肉体へ縛る代わりに、感情や記憶を魔王へ削り渡す。


 長く使われるほど、契約を結んだ理由だけが歪んだ形で残る。


 娘を苦しませたくないという願いが、全てを眠らせる呪歌へ変わった可能性がある。


 逃げ道が一つずつ消える。


 エミが落ちた紙を拾う。


「会って、聞く」


「何を?」


「私たちの名前を、どう呼ぶか」


 記録や匂いだけではなく、本人の残った心を確かめる。


「もし本当にお母さんだったら?」


 答えられない。


 紙の最後に、オズワルドの短い注記があった。


 倒すことを急ぐな。契約の錨が残っていれば、本人を殺さず術式だけを解ける可能性がある。


 その一文だけが、恐怖の中へ細い道を作った。


 あの白髪の女は、セレナという名だったかもしれない。


 魔法便には、もう一枚だけ白紙に見える紙が入っていた。


 エミが短杖を近づけると、光の文字が浮かぶ。


 不死術式を解く時の注意。


 契約対象の身体、魂、錨の感情を分けて観察すること。身体を倒しても魂が魔王側へ回収されれば、別の器で使役される可能性がある。錨だけを壊せば、本人の最も大切な願いまで失われる。


 オズワルドは正解を書いていない。


 本人の残った意思を見つけ、選択を返せとだけ記していた。


「お母さんへ、何を選ばせるの?」


 リリアが尋ねる。


「眠らせる以外」


 エミは答える。


「生きるか、終わるかも、お母さんが決める」


 母を取り戻したいという娘の願いで、別の拘束を作らない。


 リリアには、その言葉が痛かった。


 もし母が解放された後、娘たちと生きることを選べなかったら。


 もし十二年前の傷で、すぐ死んでしまったら。


 真相を知ることは、幸福な再会を保証しない。


「それでも会う?」


 エミが確かめる。


 リリアは長く紙を見つめる。


「会う」


 言った瞬間、リリアの肩から力が抜けたわけではない。


 むしろ怖さは増えた。


 会うと決めれば、母ではなかった時の失望も、母だった時の痛みも、どちらも引き受けなければならない。


 リリアは帳面を開き、最初の質問を書いた。


 私たちの名前を覚えていますか。


 次の質問で手が止まる。


 お父さんはどうなりましたか。


 その一行を書くには、まだ息が足りなかった。


 エミは空白をそのまま残した。


「空けておこう」


 答えを急がないための余白も、準備の一つだった。


 リリアは燃舞を鞘ごと床へ置いた。


 戦わないという意味ではない。最初の呼びかけを、剣へ任せないための準備だった。


 エミも短杖の命令印を消し、解放用の術式だけを描き直す。


 逃げずに、今の母が何を望むか聞く。


 それが娘としてできる最初の選択だった。


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