第006話 追放された斥候は義賊になった
第1章「盗んだ心、返せない涙」開幕。
人を信じることをやめた義賊ローグと、罠にかかった銀色の少女の物語です。
「ローグ。お前を《黒刃》から追放する」
ダリウスは、宿の一階まで届きそうな声で宣言した。
霧港ヴァルの冒険者宿。その二階にある貸会議室には、元Sランクパーティ《黒刃》の全員が揃っている。
揃っている、とローグは思った。
自分を除けば、だが。
「理由を聞いても?」
「先日の遺跡攻略だ。お前の索敵が遅れたせいで、俺たちは罠にかかった」
机の上には依頼書が広げられている。攻略経路を赤い線で書き換えた跡が残っていた。ローグが危険だと印をつけた北回廊へ、ダリウス自身が進路を変えた証拠だ。
「俺の報告には、北回廊は崩落罠ありと書いた」
「聞いていない」
「読み上げた。二度な」
ローグは仲間たちを順に見た。
盾役の男は拳を握ったまま床を見ている。魔術師は唇を噛み、治療師は依頼書から目を逸らした。三人とも、何が起きたか知っていた。
誰か一人が頷けば、話は終わる。
だが、誰もローグを見なかった。
「なるほど」
ローグは椅子の背へ体を預けた。
「罠を見つけた俺ではなく、罠へ突っ込んだお前は悪くない。便利な計算だ」
「言葉に気をつけろ」
「気をつけた結果が今の言い方だ」
ダリウスの頬が引きつる。
「斥候など替えが利く。戦えもしない人間を、いつまでも養う必要はない」
その一言だけは、少し痛かった。
戦闘の前に毒を見つけ、眠る間に見張り、撤退路を用意してきた。それでも剣で魔物を倒さなければ、戦っていないことになるらしい。
ローグは笑った。
笑えば、傷ついていないように見える。少なくとも、こいつらには。
「そうか。なら安心した」
革外套を取り、腰の短剣を確かめる。私物はそれだけだった。
「世話になったな」
誰も答えない。
扉を開ける直前、ダリウスが呼び止めた。
「支給装備は置いていけ。黒刃の資産だ」
ローグは振り返り、投擲ナイフを一本だけ机へ突き立てた。
「代わりの斥候に使わせろ。罠の前で投げ方を教えてやるといい」
宿を出ると、港の冷たい霧が顔へまとわりついた。
自由になった。
そう思うことにした。
階下の酒場は、昼前だというのに混んでいた。《黒刃》の追放話は、ローグが階段を下りるより早く広まっている。
「斥候がやらかしたらしい」
「戦えない奴を置く余裕はないってよ」
こちらを見ずに話す声ほど、よく聞こえた。
受付係だけが、いつもと同じ顔で鍵を差し出した。
「貸倉庫の契約、どうします」
「今日で切る」
「残りの日数分は返金できません」
「黒刃へ請求しろ。俺を養ってたらしいからな」
受付係は初めて顔を上げた。
「北回廊の報告書、読みました。あなたの印は正しかった」
ローグは足を止めかけた。
会議室で欲しかった言葉だった。だが、今さら受け取れば惨めになる気がした。
「報告書を読める奴が一人でもいて安心したよ」
それだけ言い、外へ出た。
貸倉庫には、予備の縄、毒消し、地図、仲間のために選んだ装備が残っていた。魔術師用の耐火布。盾役が好む乾燥肉。治療師に頼まれた南方の薬草。
ローグは自分の道具だけを袋へ詰めた。
薬草を手に取った時、会議室で目を逸らした治療師の顔が浮かぶ。捨てようとして、結局は棚へ戻した。
未練ではない。使える物を無駄にするのが嫌いなだけだ。
最後まで、自分へそう言い聞かせた。
その夜から、ローグは安宿を転々とした。
最初の宿で、夕食が四人分運ばれてきた。
黒刃で使っていた部屋と同じ番号を、無意識に告げていたらしい。給仕が大皿を置き、空の椅子を三つ見て困った顔をする。
「お連れ様は?」
「死んだ」
口から出た言葉に、自分で驚いた。
生きている。今頃はローグの悪口を肴に酒を飲んでいるかもしれない。
だが自分の中では、あの会議室で何かが死んだ。
「料理は持っていけ。代金は払う」
給仕が去ったあと、ローグは一人分の薄いスープだけを飲んだ。静かな食卓は望んだはずなのに、匙が器へ当たる音ばかりが耳についた。
翌朝から、部屋番号を毎日変えた。
追手を避けるためだと自分へ言い聞かせたが、本当は空の椅子を見たくなかった。
《黒刃》の名がなければ、上級依頼は受けられない。斥候単独の仕事は、盗賊の巣の下見か、貴族の浮気調査ばかりだ。
二日目、港の荷運び人が徴税役人に殴られているのを見た。
男は税を払った証文を見せていた。役人はそれを破り、「記録にない」と笑った。
ローグは破られた紙片を拾い集めた。日付、金額、港湾貴族の印。証拠としては足りないが、調べる入口にはなる。
三日目、その役人が港湾貴族の屋敷へ、正規額を超える金を運び込むところを見た。
荷運び人の家では、娘が薬代を払えず咳をしていた。
ローグは自分の残金を数えた。助けられるのは一人だけだ。
屋敷の金庫を開ければ、奪われた全員へ返せる。
ローグは屋敷の見取り図を買った。
依頼ではない。報酬もない。
ただ、罠へ進む馬鹿を止められなかった時と同じように、見て見ぬふりをすれば寝覚めが悪くなる。
三日後、《黒刃》は下水遺跡の入口で立ち往生していた。
鍵は開かない。解除したつもりの罠は二重。魔物と人間の足跡も区別できない。苛立ったダリウスが入口の石扉を蹴ると、警報針が飛び出し、盾役の兜へ突き刺さった。
「斥候を雇え!」
受付係は帳簿から顔を上げた。
「先週、腕のいい斥候を追放したのは、どちら様でしたっけ」
同じ頃、ローグは港湾貴族の屋敷を見下ろす屋根にいた。
懐には、二重徴税の被害者一覧がある。
屋敷の窓は十七。見張りは八人。巡回の穴は九十秒。
誰にも頼まれていないのに、もう侵入経路も逃走経路もできていた。
ローグは屋根の上で黒刃の紋章を外套から切り取った。
布切れは風に乗り、港の霧へ消える。
代わりの名など必要ないと思った。
翌朝、街の者たちが勝手に彼を義賊と呼び始めるまでは。
黒刃のことは、もう知らない。
今夜から彼は、盗まれた者のために盗む。
本人が認めようと認めまいと、霧港に一人の義賊が生まれた。
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