第054話 強さの答え
外殻を失っても、グリードは倒れなかった。
全身から血を流し、なお大斧を杖に立ち上がる。
「村人を喰らえば戻る」
刻印が、避難路の方角へ赤い線を伸ばした。
西の谷には、逃げた村人たちがいる。東の鉱山では、別働隊が連れ去られた子どもたちを助け出している途中だ。
グリードが村人を一人でも捕らえれば、奪った生命力で刻印を作り直す。
外殻を砕いた勝利は消え、戦いが最初へ戻る。
ミアは谷へ続く道へ油を撒き、火をつければ遮断できるよう準備していた。だが炎は村人の帰路も塞ぐ。
最後まで使いたくない手段が、また一つ増える。
ボルドは傷だらけの身体で、進路へ立った。
「どけ」
「商品を奪う奴は客じゃねえ」
「人を商品と呼ぶか」
「俺たち商人にとっちゃ、預かった命より高え荷物はねえんだよ」
「荷物なら、重ければ捨てる」
「捨てねえ商人もいる!」
ボルドは笑おうとした。
口元が切れ、血が滲む。それでも市場で客へ向けるのと同じ顔を作った。
グリードの拳がボルドの顔へ入る。
身体が揺れた。
倒れない。
大斧の柄が脇腹を打つ。
膝が沈む。
それでも前へ戻る。
「なぜ倒れん」
グリードの声に、初めて苛立ちが混じった。
「強さを証明したいのか。俺より上だと示したいのか」
グリードには、それ以外の理由が理解できない。
かつて弱かった自分を憎み、弱さを切り捨てることで生き残った。守られる側だった過去を否定するため、守る行為そのものを無価値にしなければならない。
ボルドが立つほど、グリードが捨てた答えの可能性が目の前に残る。
ボルドは血を拭った。
以前なら、勝てばいいと答えただろう。
力と勢いで全部どうにかする。それが自分の価値だと思っていた。
だが今、背後にいる人々は、ボルドが強いから大切なのではない。
彼が弱かった頃から飯を食わせ、服を縫い、帰る場所を残してくれた。
ミアも同じだ。
難しい話が分からない自分を笑わず、分かる形へ直してくれた。暴走すれば止め、壊せば請求し、それでも次の商売へ隣で来た。
守るとは、一人で前へ立つことだけではない。
互いの足りない場所を引き受け、帰ってくるまで道を残すことだ。
「強えってのは、勝つことじゃねえ」
丘の上に、青い光が三度上がった。
鉱山の生存者、全員救出。
子ども二人を含む十二人。
数字が、今度は命の残った数として届いた。
ミアは谷へ火を放つ準備を解く。
退路を捨てずに済む。
ミアの声が飛ぶ。
「右の刻印が止まっています! 最後の進路は正面です!」
複雑な作戦を、最後は一番単純な道へ変えてくれた。
ボルドは天秤棒を両手で握る。
「強さは、誰かを守るためにある」
「その誰かが、お前を裏切ってもか」
グリードは最後の力を大斧へ集める。
「弱者は守られたことを忘れる。お前が倒れれば、次の強者へ縋るだけだ」
ボルドは一瞬、村の方を見る。
返してもらうために守るのではない。
パン屋が幼い自分へ食事をくれた時も、今日の恩を返せとは言わなかった。ミアが作戦を立てたのも、功績を自分のものにするためではない。
「裏切られたら、その時は怒る!」
単純な答えだった。
「だが、まだ裏切ってもいねえ奴を先に捨てる理由にはならねえ!」
グリードの目が揺れる。
弱者はいつか足を引く。だから先に切り捨てる。
彼の理屈は、起きていない裏切りを恐れ続ける理屈でもあった。
グリードが吠え、大斧を振り下ろす。
ボルドは避けない。
天秤棒で刃を受け、折れそうな腕で押し返す。
ミアが鎖を引き、グリードの左足を一瞬止める。
その一瞬へ、ボルドの全力を叩き込んだ。
天秤棒が腹へ入り、グリードの巨体が村の外まで吹き飛ぶ。
赤い刻印が砕けた。
大斧「暴食」も中央から割れ、吸い込んでいた力が光の粒となって周囲へ戻る。
枯れかけていた畑の土へ光が落ち、黒い術式の線が消えた。
ボルドは片膝をついた。
勝った瞬間まで立つと決めていた身体が、ようやく限界を認める。
ミアが駆け寄り、肩を貸した。
「重いです」
「お前が支えろって言ったんだろ」
「倒れないでくださいと言いました」
「だいたい同じだ!」
言い合う声が聞こえ、避難路の向こうで村人たちが足を止める。
戻ってきてもよい戦場になった。
グリードは地面へ仰向けになり、空を見る。
「弱者を抱えれば、沈むはずだった」
「抱えられるように鍛えたんだ」
「ならば、俺も抱えると言えば守るのか」
「今すぐ斧を置いて、村の飯代を払うなら考える!」
「敵までか」
「取引する気のある奴は客だ!」
グリードは初めて、声を上げて笑った。
自分を倒した男が、勝った後にも強者と弱者で世界を分けない。その答えを理解はできなくても、無視はできなかった。
ボルドが近づく。
グリードの胸に、魔王軍の転移印が開いた。
黒い炎が巨体を包む。
転移はグリード自身の意思ではない。
砕けた刻印の奥から、魔王軍が敗れた幹部を強制回収している。
「次は、その意志ごと喰らう」
「次も腹を壊させてやる!」
捕らえようと伸ばした天秤棒は、空を切った。
消える直前、グリードは笑っていた。
勝者の笑いではない。
自分の世界に、認めたくない答えを刻まれた男の笑いだった。
「……負けた。理屈ではなく、意志で」




