第047話 故郷からの手紙
情報屋の少年が持ってきた封書は、泥と血で汚れていた。
「西門の早馬が倒れた。これだけは届けろって」
封蝋には、鉄槌と麦穂の紋章が押されている。
ボルドの故郷、ハンマー村の印だった。
「ガルトの字だ!」
子どもの頃、ボルドとガルトが村の印を勝手に芋へ押し、家中の紙を公文書にしたことがある。村長だったガルトの父に二人揃って追い回された。
封蝋を見るだけで、その時の怒鳴り声まで思い出せた。
ボルドは懐かしそうに笑い、封を指で引き裂こうとする。
ミアが先に受け取った。
「血で紙が貼りついています。破けば読めません」
小刀で封を開き、広げる。
最初の数行を読んだ時、ミアの顔から色が消えた。
ボルドの笑いも止まる。
村長ガルトからの手紙だった。
三週間前から、村の周辺で食糧庫が襲われている。最初は盗賊だと思われた。だが見張りが見たのは、死んだ獣を歩かせる黒い術式と、魔王軍の紋章だった。
人も消えている。
畑へ出た若者が四人。街道を通った旅人が六人。先週は村外れの家から、子どもが二人連れ去られた。
襲撃者は食糧だけでなく、生きた人間を選んで運んでいる。
逃げ帰った見張りは、鉱山跡で死んだ山羊が立ち上がるのを見た。皮膚の下に黒い糸が走り、術者が指を動かすたび首を不自然に曲げたという。
その山羊の周囲には、人間用の拘束台が六つ並んでいた。
手紙の末尾には、震えた文字があった。
鉱山跡で、死体へ術式を刻む実験を見た者がいる。
不死術式。
魔王軍は略奪のためだけに村を狙っているのではない。
人と土地を、実験材料にしている。
封筒には、鉱石の荷札も入っていた。
ハンマー村の旧坑道から出た古代鉱石。カルクの仲買人を経由し、黒い外套の買い手へ大量に渡っている。
ミアは、今朝届いた照会状を思い出した。
北境ノルヘイムの辺境伯と老賢者が、聖剣に似た共鳴を持つ古代鉱石の流通元を探している。
「同じ鉱石です」
故郷の襲撃、不死術式実験、カルクでの買い占め。
別々に見えた出来事が、一つの流通経路で繋がった。
手紙の途中には、ガルトが一度書いて消した跡がある。
戻ってきてくれ。
その上から、「商隊へ危険を知らせてほしい」と書き直されていた。
村長として助けを求めることをためらい、最後まで他人の被害を減らそうとしている。
ボルドは手紙を握りしめた。
笑いも怒鳴り声も出なかった。
「いつ届くはずの手紙ですか」
ミアが少年へ問う。
「早馬の袋には、十二日前の日付があった」
「十二日」
通常の荷馬車なら、カルクからハンマー村まで三日。途中の街道が襲われているなら、今の状況は手紙より悪い。
ボルドは立ち上がった。
「帰る」
今日予定していた商談も、鉄材の納品も、三日後の市場組合との契約も頭から消えている。
「全部置いて、今すぐ帰る」
「置いてはいけません」
ミアが言う。
ボルドが睨む。
「帰らないとは言っていません。受けた仕事を無言で捨てれば、今後ハンマー村の商品を売る時にも信用が残りません」
彼女は商談相手へ事情を説明する文面を作り、共同輸送を頼める商会へ契約を振り分けた。違約金が必要な相手には、ボルド商会が負担する条件を付ける。
故郷を助けるために、別の誰かへ損害を押しつけない。
それがミアの帰り方だった。
ミアは反対しなかった。
帳簿を閉じ、別の紙へ必要な物資を書き始める。
保存食。治療薬。縄。油。予備の車輪。村人を乗せる空荷の馬車。
「鉄材は北便を断り、鍛冶用として村へ回します。契約違約金は、倉庫の余剰品を売れば補えます。護衛は市場組合から六人。西街道は使えないので南の丘を迂回します」
数分で、崩れた予定が帰郷の計画へ組み直された。
ボルドはミアを見る。
「お前は残ってもいい」
「誰が道中の損失を止めるんですか」
ミアは眼鏡を押し上げた。
「それに、ボルド商会の取引先が襲われています。経理士が確認するのは当然です」
故郷を取引先と呼ぶ声だけが、少し硬かった。
ミアには故郷と呼べる場所がない。
王都商会を辞めた時、仕事も住居も同時に失った。ボルドが荷馬車の隣へ彼女の席を作り、帳簿を丸ごと預けた。
ハンマー村はまだ見たことがない。
それでも、相棒を育てた場所が失われる損失だけは計算したくなかった。
出発の鐘が鳴る。
ボルドは返事を書こうとして、紙の前で長く止まった。
難しい言葉は浮かばない。
最後に大きな字で二行だけ記す。
帰る。
それまで、生きて待て。
保証できない約束だと分かっていた。それでも、待つ理由を届けたかった。
最も速い伝書鳥へ手紙を結び、ハンマー村の方角へ放つ。
シイは市場に残り、連絡役を引き受けた。
ミアは古代鉱石の取引台帳を写し、シイへ預ける。
「北境から来る三人組へ渡してください。辺境伯、聖女、老賢者です」
「ボルド商会は?」
「ハンマー村へ向かったと伝えてください。合流ではなく、まず互いの追う道を進みます」
「帰ってきたら、また仕事をくれ」
「でっかい仕事を用意しとく!」
いつもの大声が少しだけ戻った。
商隊が西門を出る。
ボルドはカルクを振り返らず、手紙だけを外套の内側へ入れた。
三日先にある故郷まで、今は一歩ずつ進むしかない。
ミアは血のついた手紙を折り畳み、ボルドへ返した。
「ボルドさん。あなたの故郷が、魔王軍に狙われています」
荷車の速度が上がった。




