第046話 人情の値段
ミアが一日の利益を数えている目の前で、ボルドは売り物のパンを全部渡した。
相手は、市場の裏通りで情報を売る少年だった。
「銅貨が二枚足りない」
パン屋に追い払われ、少年は空腹を隠すように腹へ手を当てていた。
少年は施しを求めなかった。
店の客が落とした硬貨へ一度目を向けたが、拾って追いかけ、持ち主へ返した。そのあとで、自分の銅貨をもう一度数えている。
ボルドが見たのは、足りない二枚ではない。
腹が減っても盗まなかった少年の胸の張り方だった。
ボルドは商会の荷台から焼きたてのパン籠を下ろす。
「食え!」
「一個でいい」
「遠慮するな!」
「商品です」
ミアの声が背後から飛ぶ。
ボルドは振り返り、パン籠を抱えたまま言った。
「腹を空かせた子どもの前で売れ残ってる。商品の方が悪い!」
「焼いてから半刻しか経っていません」
「じゃあ、今が一番うまい!」
ボルドは自分でも一つ食べた。
売り物をさらに減らす姿に、ミアのこめかみが動く。
少年はパンを一つ掴み、夢中で食べた。
ボルドは残りも持たせる代わりに、仕事を頼む。
「西街道の様子を見てこい。荷車が通れるか、盗賊がいるか、橋が壊れてないか。分かったことを教えろ」
少年の目が鋭くなる。
ただ施されるより、仕事として頼まれた方が立っていられる顔だった。
「明日の朝までに調べる」
「名前は?」
「シイ」
「よし、シイ! 仕事が終わったら結果に関係なく来い。危なかったら戻れ。命まで情報料に入ってねえ」
少年は返事の代わりに、パン籠を抱え直した。
少年が走り去ると、ミアは帳簿を開いた。
「パン二十個。原価は銅貨六十枚。予定利益を含めると銀貨一枚の損失です」
「人助けだ!」
「人助けは項目名になりません」
ミアは少し考え、帳簿の記載を書き直した。
市場調査費。情報料。新規協力者への前払い。
「これなら経費として処理できます」
「同じことだろ」
「継続できるかどうかが違います。善意だけで商品を配れば、来月には助ける側が飢えます」
王都商会では、助けた相手が利益を返せなければ損失とだけ記録された。
ミアはそれが嫌だった。
だからこそ、善意を帳簿の外へ追い出さない。情報、仕事、信用、将来の取引へ形を変え、続けられる仕組みにする。
「人助けを黒字にするのか」
「赤字のままでは、次の人を助けられません」
「いい商売だ!」
「あなたはまず商品を全部渡さないでください」
翌朝、少年は泥だらけで戻った。
西街道の古い橋にひびが入り、大型荷車が渡れば崩れるという。さらに橋の手前では、通行人へ迂回路を売る偽案内人が待ち構えていた。
シイは橋の下へ降り、支柱に新しい切断跡があることまで見つけていた。事故ではない。荷車を立ち往生させ、荷物を安く買い叩くために誰かが傷を広げている。
ボルド商会は出発を止め、北の石橋へ経路を変えた。
ボルドはそれだけで終わらせず、市場組合へ知らせ、出発前の商隊を一軒ずつ回った。
「西橋は危ねえ! 北へ回れ!」
競争相手の商人からは、黙っていれば自分だけ得をしたのにと言われた。
「荷物が川へ落ちたら、市場から商品が減る。客も困る。胸を張れねえ儲けは赤字だ!」
もし予定どおり進んでいれば、鉄材百箱と荷車三台を川へ落としていた。
ミアは損失見込みを計算する。
金貨二十三枚。
パン代の何百倍もの額だった。
さらに橋の情報を共有したことで、三つの商会が次回の共同輸送を申し込んだ。空き荷台が埋まり、護衛費を分担できる。
結果だけ見れば、パン籠一つが大きな契約へ変わっていた。
「見たか! 俺は最初から計算していた!」
「どんな式ですか」
「腹が減ってる。パンを渡す。情報が来る。儲かる!」
「それは式ではなく願望です」
少年には追加の情報料と、次の仕事が渡された。
シイは受け取った銅貨で、今度は自分でパンを一つ買った。
残った金を握って帰ろうとした時、路地の奥にもっと小さな子を見つける。少し迷い、買ったパンを半分に割って渡した。
ボルドは大声で褒めなかった。
施しを受けた子として注目されれば、シイが嫌がると分かったからだ。
見ていないふりをして、次の調査場所だけを伝える。
人を見る勘は、計算とは別の知性だった。
ミアはいつも持ち歩く小さな手帳を開く。
ボルド=ハンマー。
衝動的。破壊的。計算能力なし。
その下へ、一行だけ追加した。
天才かもしれない。再検証。
その横へ、さらに小さく書く。
ただし再現性なし。
少し迷ってから、その一行を二重線で消す。
人を見ることも計算の一つなら、再現できないと決めるのはまだ早かった。
検証は続行する。
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