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第042話 王都崩壊の足音

 報告書の一枚目には、赤字でこう記されていた。


 王都大結界、出力三割低下。


 北門から小型魔物が侵入。東治癒院は術師不足で閉鎖。南治癒院では薬が底をつき、重傷者の受け入れを停止。


 セラフィーナは一行ずつ読んだ。


 死者十二名、重傷者八十七名、行方不明者十九名。


 数字の横には、判明した者だけでも名前が記されていた。以前、治癒院で薬包を運んでくれた少年。結界塔の階段ですれ違った衛兵。顔を知る者も、知らない者もいる。


 数字にしてしまえば早い。けれど、その一つ一つに帰りを待つ人がいる。


 婚約破棄のあと、引き継ぎなしで新しい聖女候補へ結界を任せたこと。リーゼの魔力波形が合わず、王子が無理な出力上昇を命じたこと。結界の一部が反転し、北境への呪詛雨に利用されたこと。


 リーゼは結界塔で倒れ、王宮医務室に収容されている。意識は戻っていない。適合異常を示す記録は初日からあったが、宰相オルドールが封印し、大聖典官ドーリアンが検査結果を書き換えていた。


 判断ミスが、数字になって積み上がっている。


 三枚目には、王宮内部の処分状況が記されていた。


 宰相オルドールは証拠隠滅を図って国外逃亡を試み、国境で拘束。大聖典官ドーリアンは聖法院の地下書庫へ研究記録を移そうとして、若い書記官たちに止められた。


 アルフォンスは自ら王位継承権の一時停止を申し出て、刺客命令と結界強制稼働の記録を監査団へ提出した。


 洗脳が認定されても、即座に王位へ戻らない。被害者の一面と統治者の責任を、別々に調べるためだった。


 リーゼは王宮ではなく北境の診療所で治療を受けることを選んだ。家族は保護され、本人の証言は第三国の監査官が記録している。


 セラフィーナを追放した制度が、追放された本人抜きでも責任を問われ始めている。


 二枚目の紙は、王宮からの非公式書簡だった。


 セラフィーナ=ヴェインへ、聖女位への復帰と王都帰還を要請する。


 謝罪はない。


 待遇改善と名誉回復を約束する、とだけある。


 末尾には、今回の行き違いを水に流し、国家のために大局的な判断を求める、と記されていた。


 追放も、疲弊も、刺客も、行き違いという一語で小さくされている。


「戻りますか」


 ガウェインは止めずに尋ねた。


 以前のセラフィーナなら、文書を読み終える前に荷造りをしただろう。


 民が苦しんでいる。自分なら救える。必要とされている。


 古い役割が、最も強い形で戻ってきた。


 戻れば、今この瞬間にも救える命があるかもしれない。その考えは嘘ではない。だからこそ、彼女を縛るには十分だった。


 セラフィーナは自分の手を見た。


 また一人で大結界へ接続すれば、王都は一時的に持ち直すだろう。そして次の危機にも、王宮は彼女一人を呼ぶ。制度は変わらず、二人目のリーゼが選ばれる。


「戻りません」


 言葉にすると胸が痛んだ。


 それでも続ける。


「ですが、救援はします」


 地図を広げ、辺境から王都へ送れるものを数える。


 北境の薬草。余裕のある治癒術師。オズワルドが修正した結界術式。各地の診療所へ患者を分散する輸送隊。


 王宮が救援隊の入城を拒む場合は、城壁外に臨時治癒所を置く。北門と東門へ別々の物資隊を送り、一方が止められても全てが届かなくなる事態を避ける。


 実際、最初の物資隊は王宮衛兵に止められた。


 だが北門の住民が門外へ列を作り、荷下ろしを手伝った。追放の日に子どもを救われた母親も、その中にいた。


「悪女の薬だと言うなら、私たちは悪女に救われます」


 門前で声が上がり、衛兵は物資を焼く命令へ従えなかった。


 二便目は東門へ届き、三便目はセルディアの旗を掲げて南門から入った。


 王宮が一つの門を閉じても、救援は別の道から届く。


 北門の臨時治癒所では、セラフィーナの肖像を掲げようという声が出た。


 追放された聖女こそ正しかったと示すためだ。


 彼女は伝令へ断りの返事を持たせた。


 《私の顔ではなく、担当者と物資の一覧を掲示してください》


 一人の英雄を新しい偶像にすれば、次もその人へ責任が集まる。


 代わりに壁へ、薬師、御者、治癒術師、荷を運んだ住民の名が並んだ。


 王宮が消したかったセラフィーナの功績は、彼女一人の伝説ではなく、多くの人が参加できる仕組みへ変わった。


 患者名簿と物資台帳は北境、セルディア、ヴェルナ連合の三者で共有する。誰かが隠しても、別の場所に記録が残るようにする。


「私自身を差し出さなくても、救う方法はあります」


 ガウェインが頷く。


「領内の備蓄は、冬越し分を残して提供できます」


「わしは術式を三枚に分けよう。王宮が一箇所で独占できんようにな」


 オズワルドが書き始める。


 大結界も、一人の聖女へ集約しない。各区画の小結界へ分割し、術師が交代で支える。出力だけでなく、休息時間と魔力損耗も記録する。


 かつて自分が求めても退けられた仕組みを、今度は王宮の許可を待たずに作る。


 セラフィーナは王宮への返書へ署名した。


 復職および帰還は拒否する。民間救援には協力する。


 返書には条件も記した。


 追放令と刺客命令の撤回ではなく無効確認。治癒院と聖女候補の独立監査。イゼベル研究の全記録保全。被害者への補償基金。そして王族を含む責任者の聴取。


 名誉回復という曖昧な褒美では足りない。


 誰が何を変えるかを、期限つきの項目へした。


 王宮が受け入れなくても、国際会議へ同じ条件を提出する。


 救うことと、戻ることを切り分けた。


 署名したあとも、痛みは消えなかった。


 それでも、痛む選択が間違いとは限らない。


 自分を犠牲にしない救い方を選ぶこと。それもまた、祈りの続きだった。


 正午前、最初の救援隊が城門を出た。


 薬草を積んだ荷車の前後に治癒術師が乗り、別便の騎士が術式の写しをセルディアへ運ぶ。荷台にはセラフィーナの肖像も、王家の旗もない。


 誰か一人の奇跡ではなく、名も違う人々が少しずつ持ち寄った救援だった。


「返書に、あなたの功績を記さなくてよいのですか」


 ガウェインが尋ねる。


「必要ありません。ただ、誰が何を運び、誰へ渡したかは全て残してください」


 名誉ではなく、責任を追える記録が必要だった。


 救援隊の姿が街道の先へ小さくなる。セラフィーナは追いかけず、ここから送り出した。


 午後、セルディア王国とヴェルナ連合から外交文書が届いた。


 大結界事故と聖女追放について、アルフォンス王子の責任を問う声が上がっている。王位継承権の凍結を求める貴族も増えた。


 洗脳されていた事実は調査される。


 同時に、洗脳される前から聖女の負担を放置した責任も問われる。


 報告書の末尾には、各国共通の印が押されていた。


 国際会議、招集予定。


 議題は、大結界事故の原因究明、聖女制度の監査、アルフォンス王子の王位継承権、そしてイゼベルの術式に関与した者の引き渡し。


 セラフィーナの証言も求められるだろう。


 今度は裁かれる席へ引き戻されるのではない。


 自分の言葉で、仕組みを変えるための席へ向かう。


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