第040話 それでも、私は信じる
断罪の光を受けたイゼベルが、二十一歳の女性へ戻った。
ほんの一瞬、白髪も呪詛も消え、地下聖堂で助けを待っていた頃の姿になる。
「私は祈った」
少女の声が震える。
足元には、地下聖堂で書いた弟への手紙が散らばっている。
どれも封を切られず、王宮の保管印が押されていた。
外へ出すと約束され、一通も届けられなかった手紙だ。
「扉の向こうに騎士がいると知っていた。先生なら治し方を見つけてくれると思った。王宮は、民を救った私を見捨てないと信じた」
次の瞬間、呪詛が戻る。
「誰も来なかった!」
「私たちは来るのが遅すぎた」
オズワルドが答える。
「謝っても、おぬしの四年は戻らん。じゃが、遅れたからといって今も何もしない理由にはせん」
イゼベルは老人を睨む。
「あなたの知識は、私を救わなかった」
「その通りじゃ」
言い訳をしない言葉が、呪詛の波を一瞬弱めた。
紫黒い波が礼拝所を揺らした。
「祈りは私を救わなかった。人は扉を開けなかった。なら、信じる価値などない!」
セラフィーナは白金の刃を構えたまま、彼女を見る。
間違っている、と切り捨てることはできない。
イゼベルの答えは、傷つけられた事実から生まれた。
ただ、その傷が世界のすべてを同じ形に狭めている。
王宮に裏切られたから、すべての人は裏切る。
祈りを利用されたから、すべての祈りは欺瞞。
その答えなら、二度と期待せずに済む。
けれど同時に、王宮とは違う人へ出会う可能性まで閉ざしてしまう。
「あなたを見捨てた者たちを、私は許しません」
「ならこちらへ来なさい」
「いいえ」
「なぜ。あなたも捨てられたでしょう」
「だからこそ、捨てた者と、手を差し出した者を同じにしません」
セラフィーナはガウェインとオズワルドを見る。
二人は過去に失敗した。それでも今、失敗を隠さず違う選択をしている。
ガウェインが一歩前へ出た。
呪詛の中に、地下聖堂の扉が再現される。
四年前と同じ声が響く。
『助けて』
ガウェインは大剣を振り上げた。
「あの時、私は王命を選んだ」
幻の扉へ刃を叩き込む。
「今度は開ける!」
大剣へ呪詛が食い込み、鎧の隙間から血が流れる。
ガウェインは一人で扉を壊そうとする。
「一緒に、と言ったはずです」
セラフィーナの断罪が扉の呪詛だけを切り、オズワルドの術式が蝶番を外す。
最後にガウェインの剣が押し開いた。
三人で開けた扉だった。
扉が砕け、呪詛核への道が現れた。
オズワルドが古い魔法書を開く。
「四年前には完成できなかった。今も、わし一人では無理じゃ」
金色の術式がセラフィーナの足元へ広がる。
「選ぶのはおぬしじゃ。浄化するか、断つか」
「両方を選びます」
セラフィーナは答えた。
イゼベル本人へ残る聖性は浄化し、支配の呪詛核は断つ。
どちらか一つへ決められた道を拒む。
セラフィーナはイゼベル本人ではなく、彼女を王子と結びつける呪詛核へ刃を向けた。
「あなたの傷を消すことはできません。けれど、その傷で他者を支配する力は断ちます」
「傷ついた者は、清く耐えろと言うの?」
「いいえ。怒ってよい。許さなくてよい。けれど、傷つけられたことを、誰かを傷つける許可にはしません」
ガウェインが呪詛の波を受け止める。
オズワルドが術式を固定する。
セラフィーナの断罪が核を貫いた。
一度目の光は、核を砕けなかった。
イゼベルの呪詛だけでなく、彼女自身の生きたいという願いまで絡みついている。力任せに切れば、呪詛と一緒に本人の魂も消える。
白金の刃が止まり、反動でセラフィーナの掌が裂けた。
「なぜ止める!」
ガウェインが呪詛を受け、片膝をつく。
「彼女ごと切るところでした」
「私はもう、いない!」
イゼベルが叫ぶ。
「なら、なぜ消えることを怖がっているのですか」
呪詛が揺らぐ。
セラフィーナは刃を細く分け、オズワルドへ核の構造を問い、ガウェインへ時間を頼んだ。
一人で奇跡を起こさず、三人で救える部分と止める部分を切り分ける。
二度目の光は、イゼベルの魂へ食い込んだ鎖だけを捉えた。
紫黒い花が砕け、アルフォンスへ繋がる鎖が切れる。
残った鎖はリーゼへ向かった。
意識を取り戻したリーゼが、自分の手で鎖を掴む。
「私は、聖女になりたいと言っていません」
かすれた声だった。
「家族を人質にされました。でも、セラフィーナ様を悪女と呼ぶ台詞を読んだのは私です」
彼女は被害だけを語らず、自分が加担した事実も口にした。
「償います。だから、今は私にも切らせてください」
セラフィーナは白金の光を彼女の手へ分けた。
リーゼが最後の鎖を自分で断つ。
救われるだけだった少女が、自分の選択を取り戻した瞬間だった。
王都へ伸びていた呪詛網も切れ、遠くの大結界が本来の金色を一瞬取り戻した。
完全には回復しない。聖女不在と無理な運用で傷ついた結界は、これから人の手で直す必要がある。
奇跡一つで、制度の失敗まで消えるわけではない。
イゼベルの身体が光の向こうへ崩れた。
救い切ることはできなかった。
白い指先が一度セラフィーナへ伸びたが、触れる前に鏡の欠片へ変わる。
セラフィーナは手を伸ばし返した。
届かなかった。
正しい選択をしても、全員をその場で救えるとは限らない。
その痛みを失敗として抱えながら、次に奪わせないため追うことを選ぶ。
「どうして」
彼女は泣いていた。
「どうして、まだそんなものを信じられるの」
セラフィーナは答える。
「人は裏切ります。制度は祈りを利用します。私も、もう無条件には信じません」
白金の光を下ろす。
「それでも、信じる相手と祈る理由を、自分で選ぶことはできます」
イゼベルの姿が鏡の欠片となって消える。
最後の欠片から、声だけが残った。
『次は、奪うわ。あなたが選んだものを全部』
「次も、私は選び直します」
届いたかは分からない。
鏡の欠片は北ではなく、魔王城のある東へ飛び去った。
呪詛の雨が止んだ。
白金の刃は光へ戻ったが、セラフィーナの怒りは消えなかった。
消す必要はない。その熱を抱えたまま、次の言葉を選べる。
祭壇の鎖が外れ、アルフォンスが床へ崩れる。
王子は目を開き、長い夢から覚めたように周囲を見る。
セラフィーナを見つけると、這うように近づいた。
そして彼女の前で、膝をついた。




