第039話 断罪聖女・覚醒
王都大結界の一部が反転し、北境へ紫黒い雨が降った。
雨に触れた草は枯れ、人々の古傷が開く。祈りの言葉を唱えた者ほど、痛みが強くなった。
城下では騎士と治癒師が、屋根の下へ人々を誘導している。
セラフィーナは広域結界を張ろうとして、手を止めた。
自分の魔力脈では領都全体を覆えない。
「小結界を地区ごとに。昨日教えた術式を皆で使ってください」
一人で守るのではなく、力を分ける。
訓練していた治癒術師たちが頷き、光の屋根を繋いだ。
「呪詛源は旧王家礼拝所じゃ」
オズワルドの探知術が、北の丘を指す。
礼拝所の前には王家の軍旗と、アルフォンスの馬車があった。
車輪は泥に沈み、馬は呪詛に怯えて逃げている。
王子が自分の意思でここへ来たのか、連れてこられたのかは分からない。
祭壇脇には、リーゼも倒れていた。
両手を王都大結界へ繋がれ、アルフォンスへ呪詛を流す中継器にされている。新しい聖女として選ばれたのではない。セラフィーナの代わりに壊せる身体として置かれただけだった。
「先にリーゼ様を」
セラフィーナが走ろうとすると、イゼベルが鎖を締める。
床の紋様が反転し、セラフィーナの足元だけが崩れた。
ガウェインが腕を掴む。だが大剣を手放せば、呪詛の壁が城下へ流れる。
「私を離してください」
「落ちる」
「オズワルド様。三つ数えたら足場を」
セラフィーナはガウェインの手を自分から外し、崩れる石へ飛んだ。
一歩目でリーゼの鎖を断ち、二歩目でオズワルドが作った光の足場へ着地する。
命を預けるとは、誰かへ抱えられることではない。互いの役目を信じ、自分の一歩を選ぶことだった。
着地の衝撃で足首を痛めたが、立てる。
無傷の覚醒ではない。選んだ行動には、身体へ残る代価もあった。
リーゼの喉から声にならない息が漏れた。
「その娘は、あなたの席を奪ったのよ」
「奪ったのは王宮です」
セラフィーナは迷わなかった。
恋敵という筋書きを拒み、最初の白金の光をリーゼの手首へ向ける。
鎖は一本切れたが、反動でセラフィーナの魔力脈が裂けた。
掌から血が落ちる。
一度では救えない。
「もう一度は危険じゃ」
オズワルドが止める。
「私一人では、もう切りません。術式の支点を教えてください」
ガウェインが鎖を持ち上げ、オズワルドが呪詛の流れをずらす。三人で二本目を断った。
リーゼの呼吸が戻る。
セラフィーナが勝ったのではない。新しい聖女にされた女性を、同じ役割の檻から救い出した。
どちらにしても、彼を救うことと命令へ従うことは別だ。
刺客の言葉どおり、王子自身が北境へ来ている。
ただし兵たちは全員、眠るように倒れていた。
礼拝所の中央で、イゼベルが待っている。
幻ではない。
呪詛に侵された身体から紫黒い花弁が落ち、背後の祭壇には気を失ったアルフォンスが鎖で繋がれている。
鎖は王子の胸から礼拝所の壁へ伸び、王都大結界へ繋がっている。
彼の王族魔力を鍵にして、遠くの結界を反転させているのだ。
「王子を利用しているのですか」
「王家が私を利用した。少し返してもらっているだけよ」
「ようこそ、次の聖女」
イゼベルが両手を広げる。
呪詛の雨が室内へ降り、セラフィーナの聖性へ触れた。
これまで治した人々の苦痛が、一度に返ってくる。
骨折の痛み。火傷の熱。疫病の息苦しさ。助けきれず亡くなった者の最後の声。
さらに、救った者たちのその後まで見せられる。
治癒した兵士が別の戦場で死ぬ。病を癒やした商人が貧しい者を騙す。救った命が、必ず善く生きるわけではない。
「あなたは結果を選べない」
イゼベルの声が重なる。
セラフィーナは膝をついた。
「あなたの善意が、苦痛を消したと思った?」
イゼベルが囁く。
「少し先送りしただけ。救われた者はまた傷つき、救えなかった者はあなたを恨んで死んだ」
祈りも治癒も、自己満足だったのかもしれない。
助けた相手が何をするか分からないなら、救いに意味はないのか。
その問いは、王宮に褒められたいという欲求より深く刺さった。
王宮に褒められたいから、必要とされたいから手を伸ばしただけなのかもしれない。
「セラフィーナ!」
ガウェインが呪詛の壁を大剣で受け止める。
オズワルドが叫ぶ。
「命令された記憶ではなく、おぬしが選んだ記憶を見ろ!」
オズワルドは呪詛の波形を杖で分解しながら叫んでいる。
彼の足元にも地下聖堂の幻が広がり、後悔を責める声が絡みつく。
それでも解析の手を止めない。
ガウェインも扉の幻に囲まれながら、セラフィーナの前を守っている。
二人も自分の痛みと戦っていた。
セラフィーナは痛みの中で探す。
弟の膝へ手を当てた日。
北境の少女から花を受け取った日。
追放されたあと、街道の治癒所で自分から馬車を降りた日。
褒められるためではない。命令されたからでもない。
救った相手の未来を支配するためでもない。
その瞬間の痛みを減らしたいと、ただ選んだ。
結果を所有できないからこそ、救いは支配ではない。
自分が救いたいと願い、自分で選んだ。
「その記憶まで、あなたに否定させません」
セラフィーナが立つ。
呪詛が聖性の中心へ触れた瞬間、金色の光が白く変わった。
光は人へ向かわず、雨に混じる支配と害意だけを切り分ける。
アルフォンスを縛る鎖にも光が走る。
王子本人の記憶や感情は傷つけず、外から食い込んだ呪詛だけを浮かび上がらせる。
それは治癒と攻撃のどちらでもない。
奪われた選択を、持ち主へ返すための断罪だった。
紫黒い呪詛網が、一筋ずつ断たれていく。
イゼベルが初めて後ずさった。
「それは、何」
「私の怒りです」
セラフィーナの手に、白金の刃が生まれる。
刃は重くない。
これまで押し殺してきた怒りが、初めて自分を支える力になっている。
城下から、幾つもの小結界の光が見えた。
診療所の医師、配給を組み直した料理長、昨日まで治療を待っていた老人まで、教わった小結界へ魔力を渡している。
セラフィーナが北境で積み重ねた日常が、戦場の力として返ってきた。
一つが揺らげば隣の術師が支え、疲れた者は後ろへ下がる。誰か一人が倒れるまで耐える光ではない。
セラフィーナの白金の刃にも、その光が細く流れ込む。
彼女だけの覚醒ではなかった。
力を分け、互いの限界を認めた人々の選択が、断罪を支えている。
聖女であることを捨てたのではない。
聖女の意味を、自分で選び直した。
「そして、誰かの都合から私の祈りを取り戻すための力」
刃を振るう。
礼拝所を覆う呪詛網が真っ二つに裂けた。
「私が守るのは、もう他の誰かの命令ではない」
セラフィーナはイゼベルを正面から見据える。
「私自身の正義です」
白金の刃を握る腕は震えていた。
怒りを力へ変えたから、恐怖が消えたわけではない。
セラフィーナは足首の痛みと魔力脈の傷を二人へ伝えた。
「次の一撃までです。その後は交代してください」
自分の限界を告げることまで含めて、新しい聖女の戦い方だった。




