第037話 王子の暴走
王家の紋章をつけた火矢が、診療所の屋根へ突き刺さった。
乾いた木材へ火が走る。
昼の診療時間で、建物の中には十七人いた。
火矢は出口と薬品庫を同時に狙っている。威嚇ではない。逃げ道を塞ぎ、混乱させる訓練された攻撃だった。
「患者を裏口へ!」
セラフィーナは子どもを抱き上げ、治療師たちを避難路へ導いた。
「歩ける方は壁沿いに。煙を吸わないよう布を口へ。動けない方から運びます」
王宮で何度も災害対応をしてきた経験が、身体を動かす。
聖女位を失っても、身につけた判断は奪われない。
窓を割り、黒装束の兵が入ってくる。胸にはアルデイン王家の獅子紋。
ガウェインの大剣が床へ防衛線を引いた。
最初の兵が線を越える。
ガウェインは剣の腹で胸を打ち、窓の外へ押し返した。殺さない。王家の兵が洗脳されている可能性を考えている。
二人目の槍を折り、三人目の足元へ盾を投げる。
狭い診療所で、患者へ刃を向けさせない戦いだった。
「ここから先へ入る者は、王命であろうと斬る」
オズワルドは火矢を拾い、術式を読む。
「王家の武器に、呪詛を塗っておる。趣味が悪いのう」
「触れた者は?」
「命令へ逆らう恐怖を増幅される。兵たちも半分は被害者じゃ」
オズワルドは火矢の呪詛だけを術式で剥がし、水桶へ落とした。
刺客の隊長が命令書を掲げた。
「アルフォンス王子殿下の直命である。偽聖女セラフィーナを王都へ返還せよ」
「私は物ではありません」
セラフィーナは避難を終え、ガウェインの後ろへ戻った。
「本人の意思は不要だ」
診療所の患者たちが、その言葉を聞いていた。
鉱夫が焼けた柱を支えながら叫ぶ。
「王子は、助けてもらった人を荷物扱いするのか!」
別の患者が命令書の日付と隊長名を読み上げ、医師が診療記録の余白へ書き留めた。
王宮が後から「辺境伯の捏造」と言っても、襲撃された十七人全員が証人になる。
セラフィーナは記録を止めなかった。
自分の名誉のためではない。命令へ従った兵だけへ罪を押しつけ、命令した者が逃げるのを防ぐためだ。
隊長の瞳にも、王子と同じ空白がある。
それでも命令へ従えば昇進できるという喜びが、呪詛の下に混じっていた。
操られていることと、欲望がないことは同じではない。
その言葉で、胸の火が燃え上がる。
刺客たちは診療所の出口へ油を撒いた。患者ごと閉じ込め、セラフィーナを従わせるつもりだ。
治癒では、振り下ろされる剣を止められない。
セラフィーナは結界を張る。
一撃、二撃。斧が当たるたび金色の壁に亀裂が走る。
背後では患者が避難を続けている。あと六人。魔力脈の傷が痛み、視界が暗くなる。
以前なら、倒れるまで結界を維持しただろう。
今は、自分が倒れずに守り切る方法を探す。
結界を張れば守れる。だが相手が攻撃を続ける限り、いつか破られる。
「戻れ、セラフィーナ!」
刺客の剣が、避難する少女へ向いた。
セラフィーナは祈りの手を解いた。
「その力を、救いと呼ばないで」
胸の怒りが、金色の光へ変わる。
光は刃となって診療所を走った。
怒りのまま兵へ向ければ、人を切ったかもしれない。
セラフィーナは、少女へ届く剣、出口を塞ぐ火、命令へ縛る呪詛だけを見た。
切る対象を選ぶ。
刺客の身体には触れず、剣、弓、火矢、油壺だけを一斉に断つ。
さらに兵の胸にある呪詛糸が切れ、数人がその場へ膝をついた。
「俺たちは、何を」
完全に正気へ戻らなくても、命令以外を考える余地が生まれた。
武器の破片が床へ落ちた。
セラフィーナ自身が、最も驚いていた。
「今のは」
「攻撃魔法じゃな」
オズワルドが眼鏡を押し上げる。
「ただし、人ではなく害意を形にした物だけを断った」
刺客は武器を失い、ガウェインの騎士たちに拘束された。
隊長だけは、呪詛糸が切れたあとも短剣へ手を伸ばした。
「殿下に認められれば、近衛副長になれた」
命令への恐怖だけではない。昇進欲を理由に患者を焼こうとした選択が残っている。
ガウェインは短剣を蹴り離した。
「呪詛の治療は受けさせる。その後、本人の意思で行ったことを裁く」
被害者だから無罪でも、加害者だから治療不要でもない。
避難した十七人は全員無事だった。診療所の屋根は半分焼けたが、薬品庫も患者の記録も運び出されている。
無事という言葉の裏で、失ったものもあった。
冬用の乾燥薬草は半分が水をかぶり、治療室は数週間使えない。避難中に古傷を悪化させた患者もいる。
セラフィーナは自分の覚醒を喜ぶ前に、損害表を作った。
王宮へ修繕費と休業補償を請求し、応じなければ刺客命令書と共に国際監査へ提出する。
攻撃を退けて終わりにしない。壊された生活を戻す費用まで、命じた側へ負わせる。
セラフィーナは最後の患者が安全な建物へ入るのを見届けてから、拘束された隊長の前へ戻った。
男の瞳には、紫黒い輪が残っている。
「最後にご自分の意思で命令を受けたのは、いつですか」
「王都を出る前……香炉の煙を、殿下と共に」
そこで記憶が途切れていた。
兵たちは加害者であると同時に、王子と同じ呪詛網へ組み込まれた被害者でもある。だからといって放免はできない。治療後に一人ずつ事情を聞き、命令下で何をしたかを記録することになった。
隊長の命令書を調べると、王子の署名の下に紫黒い花弁の印があった。
イゼベルの呪詛印。
「王子はどこにいる」
ガウェインが問う。
隊長は笑った。
「殿下ご自身が、次の部隊を率いてこちらへ向かっている」
命令書の裏には、北境の旧王家礼拝所へ集結せよとある。
王子はセラフィーナを連れ戻すためだけでなく、イゼベルの儀式へ運ばれている可能性が高い。
時間は多くない。
旧礼拝所までは、騎馬で半日。
だが火災の後始末を放置すれば、城下が危険にさらされる。
ガウェインは騎士団の半数を残し、治癒師の護衛と拘束兵の監視を命じた。全てを自分たちの戦いへ連れていかない。残る者にも、守るべき場所がある。
セラフィーナも診療所の医師へ、今日の治療を任せた。
自分がいなくても続く形を作ってから、戦場へ向かう。
セラフィーナは光の消えた自分の手を見る。
怖い。
けれど初めて、治す以外の方法で誰かを守れた。
「私は、戦える」
ガウェインが彼女の前へ立つ。
「一人ではありません」
オズワルドも火矢の小瓶を掲げる。
「三人で、じゃ」
戦えるという言葉が、自分を犠牲にする宣言にならないよう、二人が支えた。




