第034話 ガウェインの罪
四年前。
近衛騎士だったガウェインは、王宮地下聖堂の扉の前に立っていた。
手には王命書がある。
命令を届けたのは、当時の近衛隊長だった。
「中の女は呪詛に汚染されている。言葉を聞くな。情に訴えるのも術の一部だ」
そう言われ、部下たちは兜の面頬を下ろした。
助けを求める声を、人間の声ではなく敵の術だと思う準備をさせられた。
聖女候補イゼベル=サンクタを呪詛汚染の疑いで隔離する。許可なき接触を禁ずる。違反者とその指揮下の騎士は反逆罪に問う。
扉の向こうから、掠れた声がした。
「ガウェインさん?」
名前を呼ばれ、身体が凍った。
以前、王宮の廊下で一度だけ会った。イゼベルは負傷した新兵を治し、見張りをしていたガウェインへ水を頼んだ。
術式が彼の名を知ったのではない。
扉の向こうにいるのは、確かに人間だった。
「お願い。誰か、ここを開けて」
ガウェインは鍵へ手を伸ばした。
背後には部下が六人いる。扉を開ければ、自分だけでなく彼らの家族まで処罰される可能性があった。
最年少の部下には、生まれたばかりの娘がいた。
別の部下は病気の母親を王都の給金で養っていた。
ガウェインは自分一人の勇気で、六人の人生まで賭けることを恐れた。
その恐れは現実的だった。
だからこそ、今も簡単に「開けるべきだった」と英雄のようには語れない。
「私、何もしていない」
声が近づく。
「助けて」
部下の一人が小さく言った。
「隊長代理。命令どおり、交代時刻です」
開けろとも、従えとも言わない。
判断をガウェインへ預けた声だった。
彼は王命書を握り、交代を命じた。
ガウェインの指は、鍵へ届かなかった。
交代後、彼は上官へ異議申立書を書いた。
だが提出前に、部下の処罰欄を見て破った。自分だけが罰を受ける道を探すうち、夜が明けた。
正しい方法を選び切れなかったのではない。
全員を守れる完璧な方法が見つかるまで動かず、結果として最も守るべき一人を扉の中へ残した。
恐怖には理由があった。それでも、何もしなかった結果まで消えるわけではない。
翌朝、地下聖堂は空になっていた。
王宮は「汚染者が自ら逃亡した」と発表した。
警備記録には、夜中に宰相直属の馬車が地下口へ入った事実があったが、頁ごと消された。
イゼベルがどう逃げたのか、誰かが逃がしたのか、今も分からない。
扉の内側には、血で引っかいた跡だけが残っていた。
現在。
ガウェインは書庫の床へ剣を置いたまま、事実を語り終えた。
「王命に従った。それが騎士の忠義だと思っていた」
セラフィーナは彼の顔を見る。
「私を保護したのは、イゼベル様への贖罪ですか」
ガウェインはすぐ否定しなかった。
「始まりは、そうです」
「では、私が保護を断っていたら?」
「路銀と宿を渡し、離れるつもりでした」
「追いかけなかったと?」
「追いたかったでしょう。ですが、贖罪のためにあなたの選択を奪えば、四年前と同じです」
ガウェインは保護契約の控えを差し出した。
そこには、セラフィーナが断った場合の支援内容まで、王都を出る前の日付で記されている。
今その場を取り繕った答えではなかった。
疑いがすぐ消えるわけではない。それでも信じるための証拠が一つ増えた。
ガウェインが迎えに来た理由を飾れば、もっと優しい話にできる。
一目見た時から尊敬していた、王宮から救いたかった、と。
だが彼は、セラフィーナの判断材料になる不都合な動機を隠さなかった。
胸が冷える。
自分自身を見てくれていたと思った言葉も、別の女性を救えなかった後悔から出たものなのか。
「では私は、イゼベル様の代わりですか」
問いながら、声が冷える。
王宮では聖女の代わりとして扱われ、ここでも贖罪の代わりなら、自分自身を見てもらえる場所はどこにもない。
「違う」
初めて、ガウェインの敬語が崩れた。
「……違います。王都を出たあなたを迎えようと決めたのは、同じ過ちを繰り返したくなかったからです」
彼は言葉を選び直す。
「だが今、あなたを守るのは贖罪のためだけではない」
「いつ変わったのですか」
「王宮門で、私へ条件を出した時です」
ガウェインは迷わず答えた。
「傷ついたままでも、自分の尊厳を守ろうとした。街道では、王都へ戻らず民を救う方法を選んだ。私はあなたを、守られるだけの人だと思っていた自分の誤りに気づきました」
「では、何のためですか」
ガウェインの手が剣の柄へ伸び、触れずに止まる。
「あなたが、痛みの中でも他者を案じる人だからです。役割を奪われても、自分で条件を決めた人だからです」
「それも、善良であることを求めているのでは?」
「あなたが明日、誰も治したくないと言っても、私の答えは変わりません」
ガウェインの声が初めて、領主の報告ではなく個人の言葉になる。
「あなたが笑わなくても、私を許さなくてもです」
「私が、あなたを選ばなくても?」
ガウェインの喉が動いた。
「それでもです」
痛みを隠せない声だった。
無償を装って感情まで消すのではない。望みは持ちながら、相手へ支払いを求めない。
セラフィーナは、その不器用な答えを覚えておくことにした。
「それは、私の利用価値では?」
「いいえ。あなたが治癒を失っても、祈れなくなっても、私の答えは変わらない」
彼は真正面からセラフィーナを見る。
「贖罪から始まった。だが今あなたを守るのは、あなた自身を尊ぶからです」
過去の罪は消えない。
正しい言葉を言えば、地下聖堂の扉が開かなかった事実まで消えるわけではない。
けれどガウェインは、罪を隠して善人の顔をすることも、贖罪だけでセラフィーナを縛ることもしなかった。
セラフィーナは床の剣を拾い、彼へ差し出した。
「あなたは、変わろうとしているのですね」
ガウェインは両手で剣を受け取った。
「今度は、扉を開けます」
「開けたあとも考えてください」
セラフィーナは王命書を指した。
「救出だけして、後の責任を一人で背負って倒れれば、残された方はまた自分を責めます。部下にも事情と選択肢を伝えてください」
ガウェインは、四年前に判断を預けてきた若い部下の顔を思い出した。
「命令ではなく、事実を共有します。同行するかも選ばせる」
「はい。私にも」
贖罪を英雄的な自己犠牲へ変えず、共に責任を持つ約束になった。
「一人で開けないでください」
セラフィーナは言った。
「あなた一人が犠牲になればよい、という答えも違います。今度は、開ける方法を一緒に選びましょう」
ガウェインは長く黙り、深く頷いた。




