第028話 保護という名の尊重
「保護、ですか」
セラフィーナは膝をつく男を見下ろした。
王宮の門前で、雨が鎧を濡らしている。男は立とうとせず、返事を待っていた。
通行人が遠巻きに見ている。
追放された女へ辺境伯が膝をつく光景は、明日の新聞へどう書かれるだろう。新たな政治取引、王宮への反逆、悪女が辺境伯を誘惑した話。
セラフィーナは、また誰かの筋書きへ使われることを警戒した。
「私はガウェイン=ドレイク。アルデイン北境ノルヘイムを預かる辺境伯です」
元王国近衛騎士。その名は知っている。魔王軍との境を守り、王宮と対立することも多い若い領主。
「追放令を確認しました。あなたが王都に留まれば、王宮は命令違反を理由に拘束するでしょう」
ガウェインは封を切っていない追放令の写しを見せた。
王宮側から内密に「身柄を預かれ」と命じられたのではない。北境の情報網で宣告を知り、自分の判断で迎えに来たことが分かる。
「なぜ、私を」
「ここで見捨てれば、私は二度目の過ちを犯す」
意味を尋ねる前に、ガウェインは口を閉じた。
まだ話せない過去がある。
「それで、辺境へ連れて行き、私の力をお使いになるのですか」
言葉が思ったより鋭くなった。
ガウェインは顔を上げる。
「利用するつもりはありません」
「利用する方も、最初は皆そう言います」
セラフィーナの声に、王宮で抑えた怒りが混じる。
ガウェインは傷ついた顔をせず、反論もしない。
「その通りです。言葉だけでは証明にならない」
彼は馬車の鍵と路銀袋を、セラフィーナから見える石台へ置いた。
「だから、いつでも私から離れられるようにします」
「北境には負傷者が多いと聞きます。結界も不安定でしょう。治癒を求めないと?」
「求めません」
「民が私へ治療を求めた時も?」
「民が求めることは止められません。だが断ったあなたを責める者は、領主として私が止めます」
「私が一人も治さなくても、ですか」
「住居と安全は変わりません」
条件のない保障。
セラフィーナには、それを信じるための経験がなかった。
即答だった。
「あなたが自ら望むなら、民は救われる。だが、それを滞在の代価にはしない」
セラフィーナは彼の言葉の裏を探した。
王宮では、丁寧な依頼ほど断れない命令だった。聖法院では「民のため」という言葉が、限界まで魔力を使わせる合図になった。
「私を保護することで、王宮への交渉材料にするおつもりは」
「ありません」
「聖女位を失った私でも?」
ガウェインは一拍置いた。
「あなたが聖女でなくなっても、私の答えは変わらない」
雨音だけが二人の間に落ちる。
甘い言葉ではなかった。彼の声は硬く、報告書を読むように真面目だった。
だからこそ、軽い慰めには聞こえない。
「選択肢を説明します」
ガウェインは立ち、馬車を示した。
「一つ、ノルヘイムへ同行する。住居と安全は保証する。二つ、王都外の希望する場所まで送る。三つ、私の助力を断る。その場合も、今夜の宿と路銀は渡す」
「四つ目は?」
ガウェインが考える。
「あなたが別の選択肢を望むなら、可能な範囲で用意します」
用意された三択から選ばせるだけではなく、新しい答えを作る余地まで残している。
「断っても?」
「あなたの決定です」
セラフィーナは戸惑った。
役に立つかどうかを聞かれない。代わりに、どうしたいかを問われている。
自分の望みを言葉にする習慣がなかった。
聖法院では、何をしたいかではなく、何ができるかを聞かれた。
王子からは、何が必要かを告げられた。
自分の条件を出したことは、一度もない。
「同行する場合、条件があります」
「聞きます」
「私を閉じ込めないこと。治癒を行うかは私が決めること。王宮との交渉に、私の名を無断で使わないこと」
一つ言うたび、胸が速くなる。
要求をすれば見捨てられる。そんな恐れが身体へ染みついている。
ガウェインはすべてを聞き終え、頷いた。
「受け入れます」
ガウェインは従者へ紙と筆を持ってこさせた。
「口約束では、あなたが不安になるのは当然です。今の三条件を保護契約へ記します」
彼は自分で文面を書いた。
滞在と治癒奉仕を交換条件にしない。移動と面会を制限しない。本人の同意なく、王宮との交渉材料にしない。契約解除はセラフィーナ側からいつでも可能。
最後に、違反した場合は辺境伯家が路銀と安全な移送を保障すると加えた。
「私だけが解除できるのですか」
「私は領主権限であなたを追い出せます。その力の差を埋めるには、あなた側へ強い権利が必要です」
ガウェインは署名し、家紋印を押した。
甘い言葉ではなく、破った時に責任が生じる約束になった。
セラフィーナも署名する。
聖女として命令を受ける署名ではない。自分の条件で、自分の行き先を選ぶための名前だった。
「確認もなさらないのですか」
「どれも、あなたの尊厳を守るために当然の条件です」
「当然ではありません」
思わず言う。
「少なくとも、私には一度も当然ではありませんでした」
ガウェインの表情が僅かに歪んだ。
同情ではなく、怒りに見えた。セラフィーナをそこまで追い込んだ者への、静かな怒りだった。
「では、ノルヘイムで当然にします」
ガウェインは自ら馬車の扉を開けた。
手を取ろうとして、途中で止める。
「触れても?」
それさえ許可を求める。
セラフィーナは差し出された手を見た。
「お願いします」
自分で答え、手を重ねる。
鎧の手甲は冷たい。けれど握る力は弱く、セラフィーナがいつでも離せるようにしている。
馬車の中には豪華な装飾ではなく、乾いた毛布、温かい茶、着替え、薬が用意されていた。
座席は向かい合わせだったが、ガウェインは御者台へ移ろうとした。
「同乗なさらないのですか」
「今は男性と密室になることも負担かもしれないと思いました」
セラフィーナは考えた。
一人になりたい気持ちと、追手が来る不安が両方ある。
「扉を少し開けたまま、向かいへ座ってください」
「承知しました」
ガウェインはその通りにした。
保護される側が遠慮して相手の正解へ合わせるのではない。矛盾した希望でも言葉にすれば、二人で形にできた。
必要なものを先回りしながら、何一つ使用を強制しない。
ガウェインの愛情は、まだ愛情という名を持たず、生活の準備として置かれていた。
馬車へ乗り込む直前、背後で王宮の鐘が鳴った。
セラフィーナは振り返らなかった。




