第025話 黒刃の末路・予告
ローグたちが宿場を発った翌夜。
《黒刃》は、ローグを追放してから三つの依頼に失敗していた。
下水遺跡では入口すら開けられず、護衛任務では待ち伏せを見落とし、谷間では魔王軍の罠へ正面から踏み込んだ。
かつて上位だった組合評価は落ち、依頼掲示板から《黒刃》を指名する紙が消えた。今では酒場で名を出す者も少ない。
残った依頼は、薬草採取と下級魔物の駆除だけだ。
どちらも以前なら、新人へ譲っていた仕事だった。
ダリウスは依頼書を破り捨て、組合職員から一週間の活動停止を言い渡された。
破った紙は、黒刃へ残された最後の指名依頼だった。
依頼主は以前、ローグが護衛経路を三度調べ直して救った商会である。条件欄には「ローグ=クロウが参加する場合に限る」と追記されていた。
組合職員は破片を拾い集めた。
「他人を条件に得た指名を、自分への評価だと思っていたんですか」
「黙れ」
「違約金と治療費を差し引けば、共同資金は赤字です。宿の専用室も本日で解約します」
ローグを追放した同じ会議室から、黒刃の荷物が廊下へ出されていた。
「隊長。しばらく休みましょう」
治療師が言った。
「装備も人員も立て直さないと、次は本当に死人が出る」
「ローグがいなければ何もできないと言いたいのか」
「そういう話じゃない」
「なら次の依頼を持ってこい」
盾役が机へ紋章章を置いた。
「俺は降りる」
「何だと」
「谷で分かった。俺たちは強かったんじゃない。失敗する前に、あいつが潰していただけだ」
ダリウスは拳で机を叩いた。
謝る代わりに怒り、見直す代わりに相手を臆病者と罵った。
一人、また一人と部屋を出る。
魔術師は扉の前で振り返った。
「北回廊で、私はローグの報告を読んでいた」
「今さら何だ」
「あの時、黙ったのはあなたが正しかったからじゃない。次に追放されるのが怖かったからだ」
治療師も紋章章を外した。
「私たちも卑怯だった。でも、卑怯だったことまであなたの命令にはしない。自分で認める」
三つの紋章章が机へ並んだ。
最後に盾役が言う。
「ローグを戻せば元通りになるんじゃない。俺たちはもう、元通りを選ばない」
扉が閉まるたび、ローグを追放した会議の日が逆向きに繰り返されていく。
暗い倉庫で、ダリウスは組合の報告書を握り潰した。
救助された団員の一人は、療養を理由に離脱した。魔術師は別の隊から誘いを受けている。全員が自分の命令ではなく、ローグの指示で助かったことを知っていた。
治療師は、谷を出てから一度もダリウスと目を合わせていない。
「次に誰かが濡れ衣を着せられた時、黙るな」
ローグの言葉が、彼女の中に残っている。
《黒刃》はまだ解散していない。
だが、もう誰もダリウスを無条件には信じていなかった。
「あいつさえ戻れば……」
戻れば罠を見抜く。戻れば仲間も従う。戻れば自分は再び、最強の隊長でいられる。
失敗の原因を直すのではなく、失った道具を取り戻そうとしている。
口にしてから、机を蹴る。
戻ってほしいのではない。自分より上に立ったまま去ったことが許せない。救われた屈辱が、感謝より強く残っている。
「戻らないなら、超えればよい」
声は、倉庫へ入った時からそこにいたように自然だった。
ダリウスが振り返ると、積荷が落とすはずのない方向へ影が伸びている。
積荷の影から、顔を隠した男が現れた。
足音も気配もなかった。黒い手袋の上に、小さな契約片を載せている。
「魔王軍の犬か」
ダリウスは剣へ手をかける。
「呼び名に意味はない。あなたが欲しいのは、斥候一人に頼らぬ力でしょう」
契約片の表面を、赤黒い文字が生き物のように這う。
「これがあれば、影を見抜き、罠を砕き、敵の動きを先に知ることができる」
契約片には小さな亀裂があり、その奥で何かが脈打っている。
ローグがシャドウへ残した銀粉が、ほんの一粒だけ付着していた。
目の前の男がシャドウ本人なのか、同じ系統の術者なのかは分からない。
ただ、ローグとの戦いを見ていた者であることは確かだった。
「代価は」
「力を得てから考えればよい」
「ふざけるな。条件も分からない契約を結ぶと思うか」
ダリウスは契約片を払い落とそうとした。
男は手を引かない。
「ローグ=クロウは、あなたを必要としなかった」
その一言で、ダリウスの手が止まった。
「だが、この力があれば、彼の方からあなたを恐れる」
それが最も危険な答えだと、ダリウスにも分かっていた。
だが、ローグがフィルと並んで去った姿が何度も脳裏に蘇る。自分を必要とせず、自分より強くなっていた背中。
「俺は、あいつに劣っていない」
「もちろんです」
男の返事は早すぎた。
本心からの同意ではなく、ダリウスが欲しい言葉を正確に選んでいる。
かつてローグなら、その不自然さを指摘しただろう。
今、その役目をする者はいない。
確かめるように呟き、手を伸ばす。
黒い契約片が掌の中で閉じた。
熱も痛みもない。
代わりに、自分が世界のすべてを見通せるような甘い感覚が広がった。
倉庫の壁の向こう、人々の影が透けて見える。
ダリウスは笑った。
その笑みが自分のものではなくなり始めていることには、気づかなかった。
赤黒い文字が腕を這い、《黒刃》の紋章へ細い亀裂のような影が走る。
遠い街道では、ローグとフィルが次の町へ向かっていた。
焚き火のそばで、フィルが不意に北を見た。
「いやな匂い」
「シャドウか」
「少し違う。怒ってる。欲しい匂い」
ローグは銀粉を入れた小瓶を見る。シャドウへ付けた分は、まだどこかで微かに反応している。
追うべきか迷い、瓶を閉じた。
今はフィルと選んだ道を進む。
過去が追いついてきた時は、その時に決着をつける。
フィルはまだ北を見ていた。
ローグは焚き火へ枝を足し、新聞を開く。
そこに描かれた聖女の顔もまた、誰かに罪を押しつけられた者の顔に見えた。
「西へ行く。聖女の噂と、影の匂いを追う」
フィルが頷く。
黒刃の物語は終わっていない。
それでもローグは、次に助けを求めている者の方へ歩くことを選んだ。
二人はもう、過去だけを背負って歩いてはいない。
ローグはまだ、過去の方が彼を追い始めたことを知らない。
第1章を最後までお読みいただき、ありがとうございます。
次話からは第2章。婚約破棄を告げられた聖女セラフィーナが、自分の正義を取り戻す物語です。
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