第023話 共に行く
村を出る朝、ローグは寝台の脇へ小さな旅袋を置いた。
干し肉、水筒、子ども用の外套、薬草。どれも一人で旅をするには十分な品だ。
袋の底には、村の子どもたちからもらった木の実と、ノアが描いた二人の絵が入っている。
銀色の髪の少女と、黒い外套の男。男の方にはなぜか大きな牙が描かれていた。
「これは俺じゃない」
「似てる」
「どこがだ」
「こわい顔」
「北の宿場まで送る。そこから先は安全な隊商を探す」
フィルが一人でも困らないよう、ローグは昨夜のうちに買い揃えた。宿場で使える硬貨も、袋の内側へ縫い込んである。
夜明けに燃やした別れの計画を、形を変えてまだ手放し切れていない。
ただ今度は、何も隠さずフィルの前に置いた。
ローグは自分の荷物だけを背負った。
フィルは小さな袋を持ち上げ、当然のように背負う。そして扉の前でローグの隣へ立った。
その前に、袋を一度床へ戻した。
「これはフィルの?」
「そうだ」
「ローグ、開けない?」
「非常時以外はな」
フィルは中身を一つずつ確かめた。食料、水、薬、硬貨。自分で持つ物を、自分で知る。
最後にノアの絵を袋の一番上へ移した。
ローグが用意した荷物を受け取るだけではない。何をどこへ入れるかを決め、ようやく自分の旅袋になった。
「どこ行く?」
「俺は西だ」
「うん。西」
「お前は来るな。シャドウは生きている。ほかの魔王軍に狙われる可能性もある。人間は信用できない」
「それに俺は、一人で決める癖がある。昨日、直すと言ったばかりだ」
「直す?」
「努力はする」
「遅い」
「帰るなら今だぞ」
「ローグも人間」
「例外だ」
「うそ。面倒な人間」
ローグは額を押さえた。言葉まで自分に似てきている。
「俺といれば、また怖い目に遭う」
フィルは旅袋の紐を握った。
「こわい。でも、ローグと一緒に行く。どこでも」
「群れを探さなくていいのか」
「探す。ローグと」
「見つからなかったら」
フィルは少し黙った。
「探す。ずっとじゃない。見つからなくても、歩く」
群れを見つけなければ自分の居場所はないと、以前のフィルなら思っていた。
今は、探している途中にも隣を歩ける相手がいる。
置いていけば守れる、という考えはもう使えなかった。フィルは守られる場所ではなく、歩く相手を選んでいる。
ローグはフィルの旅袋の紐を短く結び直した。そのままでは歩くたび背中で揺れる。
「勘違いするな。拾ったんじゃない」
「うん」
「ついてくるのを許しただけだ」
「うそ」
「何が嘘だ」
「ローグも、一緒に行く」
ついてくるのはフィルだけではない。
ローグもまた、フィルが選んだ道へ同行するのだ。
「……そういうことにしておけ」
村の門では、北へ向かう隊商と、西へ向かう旅人の列が分かれていた。
以前ならローグが行き先を決め、フィルには告げるだけだった。
「群れの鉄輪は、北東から運ばれてきた。シャドウの影は西へ逃げた。どちらを先に追う」
フィルは二つの道を見た。
群れを探したい。だがシャドウを放置すれば、また誰かの恐怖へ入り込む。
「西。シャドウ、止める。そのあと群れ」
「分かった」
「ローグは?」
聞き返され、ローグは少し黙った。
任せることを、何も意見を言わないことと取り違えかけていた。
「俺も西がいい。シャドウは負傷している。今なら追跡しやすい。ただし三日で手がかりが消えたら、北東へ切り替える」
「三日。分かった」
互いの希望と理由を出し、期限を決める。
片方が従うだけではなく、二人で決めた最初の旅程だった。
ローグは反対意見を言わず、西の道へ足を向けた。
フィルが選び、ローグが従う。
それだけのことが、二人の関係を以前とは違うものにしていた。
二人は街道へ出た。
最初の坂で、フィルの旅袋の紐がまた緩んだ。
ローグが手を伸ばすと、フィルは自分で結び直そうとする。何度やっても結び目がほどける。
「貸せ」
「自分で」
「教える。次から自分でやれ」
ローグは紐を奪わず、隣で指の動きを見せた。
フィルは三度目で結べた。
助けることと、代わりに決めることは違う。
二人は小さな失敗を繰り返しながら、その違いを覚えていく。
ローグは意識しないふりをしてフィルの歩幅へ速度を合わせる。フィルも半歩遅れていた位置から、いつの間にか横へ並んだ。
昼過ぎ、すれ違った旅人たちの噂が耳に入った。
旅人は王都の紋章入り新聞を持っていた。紙面の一面には、白い法衣の女性を黒く塗り潰した挿絵がある。
見出しは「偽りの聖女、アルフォンス王子を欺く」。
発行日は昨日。王都からここまで通常なら数日はかかる。騎馬便を使い、意図的に撒かなければ届かない速さだった。
「聞いたか。王宮の聖女が、婚約を破棄されて追放されたらしい」
ローグは足を止めた。
「その紙、どこでもらった」
「街道の役人が無料で配ってたぜ。聖女の罪を民へ知らせるんだと」
無料の新聞ほど高くつくものはない。
「悪女、何?」
「都合の悪い女へ貼る札だ」
「会った?」
「会ってない」
「なのに、みんな知ってる?」
「知ってるつもりにさせられてる」
ローグは新聞を折り、外套へしまった。
黒刃で自分へ貼られた「無能な斥候」という札と、よく似ていた。
だからこそ、噂だけで聖女を判断する気にはなれなかった。
誰かが金を払い、人々へ同じ敵を見せようとしている。
王都へ続く街道の向こうで、鐘がかすかに鳴っていた。
フィルは新聞の黒く塗られた顔へ触れた。
「この人も、悪くない?」
「分からない」
「助ける?」
「分からないまま助けると、間違うこともある」
ローグは新聞を畳み直した。
「だから会って、本人の言葉を聞く。噂を作った奴の足跡も見る。そのあとで決める」
フィルは頷いた。
追放された者だから無条件に正しいとは限らない。
それでも、追放した側の言葉だけで罪人にしない。
ローグが自分の過去から持っていける、次の誰かへの答えだった。




