第101話 仲間たちの別れ
魔王を倒した一行は、同じ宿の朝に全員別の地図を広げていた。
食堂の大机が、東西南北へ分割されている。
「西街道の旧風車」
ローグが地図へ印をつける。
魔王軍残党に狙われている子どもたちが、廃村へ隠れているという。
「迎えに行く」
フィルが言う。
名簿には、首輪を外されたあとも人里へ戻れない子どもの名が七つあった。
ローグは依頼料の欄を黒く塗り潰す。金を受け取れば仕事にできる。だが今回は、フィルと同じ場所から連れ出された者を迎えに行くのだ。
仕事ではなく、自分で選んだ約束として。
「その後は北の森の家。煙突が曲がってる」
住所というには大雑把だった。
ローグが宿の名と最寄りの町を書き足す。
「手紙はこっちへ送れ。森へ直接出すと食われる」
「誰に」
「お前以外の何かに」
フィルは納得していない顔をした。
「訪ねてもいいか」
不意の問いに、ローグは暗号表を書く手を止めた。
「鍵は掛ける。窓から入るな。ノックを覚えたら来い」
それは二人が交わした、最初の招待だった。
フィルは暗号表の端へ、小さな銀色の印を押した。
自分が無事に読んだ合図だという。
ローグは「無駄だ」と言いながら、その印を消さなかった。
手紙の返事を待つ関係。
それは、逃げるための連絡網ではなく、帰る場所を確かめるための約束だった。
セラフィーナたちは、王都と北境を結ぶ治癒網の図を広げている。
一人の聖女へ繋がる線はない。
町ごとの治癒院、移動診療隊、魔力を持たない薬師、緊急時だけ繋がる術者の輪。
「北境の第一診療所におります」
セラフィーナが皆へ住所を書く。
ガウェインは彼女の隣へ自分の執務室を書き足した。
「同じ封筒で届く」
「辺境伯宛ての書類と混ぜないでください」
「私が分ける」
セラフィーナは診療所の開所日だけでなく、休診日も書いた。
以前の彼女なら、自分が休む日を人へ約束することはできなかった。
「休診日に来たら、患者としてではなくお茶を出します」
「では遠慮なく」
アレンが答えると、ガウェインも自分の休みの日を書き足した。
オズワルドは二人の住所へ勝手に研究室も加えた。
「研究室へ来る時は、菓子を持参じゃ」
「なぜですか」
「わしが忘れるからじゃ」
セラフィーナは笑い、休診日の横へ「菓子は各自」と書いた。
かつて治療を受ける場所だった予定表に、どうでもいい約束が増えていく。
その軽さが、彼女には新しかった。
ボルドとミアの地図には、戦場跡と焼けた村を繋ぐ太い交易路が引かれている。
「復興需要だ! 屋根材、薬、種、鍋! 全部運べば儲かる!」
「最初の半年は利益率を抑えます」
「なぜだ!」
「買える人を増やした方が、十年後まで客です」
ボルドは一秒考えた。
「もっと儲かるな!」
二人は最初の荷馬車を、ソルヴェイ村跡を通る東路へ出すという。
焼けた土地へ最初に運ぶのは、墓標ではなく種と農具だった。
アレンは礼を言いかけ、やめた。二人は彼のためだけに道を作るのではない。そこへ戻る全員と、これから住む誰かのために商売を始める。
だから代わりに、荷下ろしを手伝うと約束した。
リリアとエミの地図には、舞台の予定日が並んでいた。
最初の公演は、三つの門が崩れた戦場跡。
瓦礫を片づけた広場で、眠りから戻った者と帰還を待った者へ歌う。
「雨天でもやります」
リリアが言う。
「大雨は中止」
エミが訂正する。
チビ、クロ、ハナの出演料は食事で支払われる。
演目の題名は『夜が明けるまで』。
魔王を倒す英雄譚ではなく、門の外で荷車を押した商人、倒れた兵を運んだ避難民、眠りながら手を離さなかった親子の歌だという。
「最後の歌だけ、一緒に歌ってください」
リリアがアレンへ言う。
「俺、歌えないぞ」
「知っています。だから合唱です」
エミは公演券の端へ、三匹の足跡を押した。
チビは余計に二つ押し、クロは一つだけ、ハナは紙の半分を潰した。
リリアは慌てたが、アレンはそのまま受け取った。
整った券より、誰が渡したか分かる方がいい。
仲間たちの約束は、どれも少し不格好だった。
「次はどこへ行く?」
全員がアレンを見る。
アレンの前にも地図がある。
まだ印はない。
以前なら、置いていかれるように感じたかもしれない。
皆には帰る場所があり、自分だけが残されると。
だが机に書かれた住所と日付を見る。
北の森。
第一診療所。
東路の商会宿。
三門跡の公演日。
帰る場所がないのではない。
訪ねていける場所が増えた。
「決めてない」
アレンは答える。
「まず東へ行く。そこから、朝起きて決める」
「迷ったら荷馬車へ乗れ!」
「友達料金で」
「割増です」
笑い声が食堂へ広がった。
朝食は冷めていた。
誰も席を立てず、パンを千切っては地図の余白へ時刻を書き、書いた時刻をまた延ばした。
別れを惜しむ言葉の代わりに、次に会うための細かな用事が増えていく。
アレンはその様子を見て、胸の奥が少し痛くなるのを感じた。
魔王を倒せば、皆で一つの場所へ帰るのだと、どこかで思っていた。
だが彼らには、それぞれ直す場所と待つ人がある。
同じ場所に留まることだけが仲間ではない。
別々の地図へ印をつけても、机の中央には同じパン籠があった。
アレンは最後の一切れを半分に割り、近くにいたフィルへ渡した。
何かを分けることが、別れの前にもできると知った。
昼までに、馬車が一台ずつ宿を出る。
大仰な再会の誓いはしない。
ローグは次の手紙へ必要な暗号表を置き、セラフィーナは診療所の開所日を渡す。
ボルドは商会の無料乗車券を書き、ミアが横から有料へ訂正する。
リリアとエミは公演券を机へ挟んだ。
最後の馬車が角を曲がる。
手を振っていたアレンの周りが、急に静かになった。
車輪の音が遠ざかり、馬の蹄が消え、最後にリリアたちの歌声も風へ溶ける。
宿の前には、誰かが置き忘れた紐と、踏まれて読めなくなった時刻表だけが残った。
アレンは追いかけなかった。
寂しい。
その感情を、失敗だとは思わなかった。
また会いたいと思える相手がいる証拠だった。
宿へ戻る前に、アレンは置き忘れられた紐を拾った。
どの荷物のものか分からない。
けれど捨てる気になれず、地図を束ねる紐として使うことにした。
誰かの忘れ物が、自分の旅支度になる。
それが少し可笑しかった。
アレンは左手首へ触れる。
火傷の痕はまだ残っている。
赤黒かった輪郭は薄くなり、朝の光の中では、目を凝らさなければ見えないほどになっていた。
けれど、痛まない。
そのことに、初めて気づいた。




