表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<完結済み> 神戸、八社のあいだで  作者: 第三ひよこ丸


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/15

第08話 六宮(八宮)へ向かう途中で

 その日は、外に出る前に一度だけ画面を開いた。『西元町駅、地上入口前で』という短い文面が残っている。

 時間は決めていないが、昼の間に向かうという程度の共有だけがある。余計な言葉を足せば意味が広がりすぎる気がして、返信はせずにそのまま閉じた。決めたのは場所だけで、そこへどう向かうか、いつ着くかまでは固定されていない。その曖昧さが、むしろ崩れにくい形として残っている。


 歩き出すと、三宮の流れから少しずつ外れていくのが分かった。人の密度がわずかに下がり、音の重なり方も変わる。静かになるわけではないけれど、強い奔流に引きずられる感覚は薄くなる。その中にいると、自分の歩く速度がどこにも引っ張られずに維持される。


 西へ行くにつれて、通りの幅や建物の並びが少しずつ揃ってくる。どこかで見たことのある景色の繰り返しのようにも見えるが、決して同じではない。そのわずかな差が連続していることで、歩いている時間だけが着実に積み重なっていく。

 やがて、西元町駅の地上入口が視界に入った。地下へ下りる階段と、その脇にできた小さな余白のような空間。人が立ち止まることも、通り過ぎることもできる絶妙な位置だ。視線を少しだけ動かすと、その端に彼女の姿があった。


 壁に寄るでもなく、通路の中央に出るでもない位置で、人の流れを邪魔しないまま立っている。その佇まいは待っているようにも見えるし、ただそこにいるだけにも見える。こちらに気づくと、わずかに彼女の視線が上がった。

 声をかけるほどの距離ではないが、無視するほど遠くもない。その中間で、互いの位置が揃う。立ち止まることなく、そのまま歩き出すことで自然な合流が成立した。どちらが先に来ていたかや、どのくらい待っていたかは確認されないまま、歩みのリズムだけが続いていく。


「このまま西に寄ってから、北へ上がります」


 彼女が前を向いたまま言った。歩く方向をわずかに変えながら、その言葉が重なる。


「分かりました」

「距離としては、ここからなら、それほどありません。途中で止まる必要もないと思います」

「坂はありますか?」

「ふふっ、神戸で坂のないところなんて、ほとんどありませんよ。でも、五宮神社のときほどではありません」


 そのやり取りで、今回の移動の輪郭が整う。細かいことを決める必要はなく、必要な情報だけが短く共有される。


 通りをひとつ越えると、車の音が少し遠のき、人の足音の比率が上がった。完全に静かになるわけではないが、音の層がひとつ剥がれたような感覚がある。その中で歩いていると、自分の足の運び方だけが微かに意識に残る。


 彼女が少し前を歩き、その絶妙な距離が保たれる。並ぶほど近くはなく、離れるほど遠くもない。その位置のまま、言葉が必要なときにだけ交わされ、それ以外は歩くことそのものが続く。以前よりも、その無言の時間が長くなっていることに気づくけれど、不自然さはない。


「さっきの場所、ちょうどよかったですね」


 こちらから言うと、彼女は少しだけ歩調を緩めた。


「西元町ですか?」

「はい。待っている感じがあまり出ないというか、自然に合流できる位置でした」

「それを考えて選びました」


 振り返ることなく、淡く返される。


「待ち合わせにすると、どうしてもどちらかが先に着きますから。その差が明確になると、待つ側と待たせる側に分かれてしまうので」

「今回は、それがありませんでしたね」

「はい。ほとんど同じタイミングでしたし、確認する必要もありませんでした」


 その言い方には、わずかに満足しているような響きがある。ただ、それを強調することはなく、あくまで事実として処理されている。


 数歩分の沈黙が続く。その間も歩く速度は変わらず、距離も保たれる。


「ズレが出ないほうが、動きやすいですか?」


 こちらが問いかけると、彼女は少し考えるような間を置いた。


「ズレがあってもいいと思います。ただ、それが表に出すぎると、そこを埋めるための動きが必要になりますから」

「『埋める』というのは?」

「待つとか、急ぐとかです。そういう調整が入ると、元の流れが変わってしまうので」

「今回は、それがなかったと言うことですね」

「はい。そのまま進めました」


 会話は短いが、含まれている内容は前よりも分かりやすくなっている。同じ場所を共有しているだけでなく、その扱い方についても、少しずつ重なってきているようだ。

 通りをさらに進むと、建物の高さが揃い、視界が少しだけ開けた。圧迫されていた感覚がわずかに緩み、歩く速度が自然に落ちる。


「六宮神社と八宮神社は、同じ場所にあります」


 彼女が言った。


合祀(ごうし)されているということですよね」

「はい。本来は別の場所にあったものが、今は一緒になっています」

「順番は、そのまま扱うんですか」

「順番としては六宮神社のあとに八宮神社です。ただ、移動は挟まらないので、そこは少し感覚が変わると思います」

「一つ進んだ感じと、二つ進んだ感じが、重なるような形になりますね」

「そうですね。進んでいること自体は同じなんですけれど、区切りが一つ減るので、進み方の実感が少し短くなるかもしれません」


 彼女はそこで一度言葉を切る。その後に続ける言葉を選んでいるような間がある。


「こういう場合、順番を優先するか、区切りを優先するかで受け取り方が変わるんですけれど……。私は、順番のほうを優先しています」

「区切りが曖昧になってもですか」

「はい。順番自体は崩れていませんから」


 短く言い切る。その基準は揺るがない。


「でも、少しだけ引っかかりますね」


 こちらが言うと、彼女はすぐには返さない。数歩分の間があり、その後で静かに続けた。


「どのあたりがですか?」

「進んでいるはずなのに、移動していない感じが残るところです。順番は守られているのに、区切りが重なってしまうので、どこで一区切りついたのかが捉えにくいというか」

「……あぁ、そういうことですか」


 小さく息を含むような声が返る。


「確かに、区切りとして見ると曖昧になりますね。場所が変わらないので、そのまま続いているように感じるかもしれません」

「はい。だから、進んだ感じが少し弱くなる気がします」

「それはあると思います」


 彼女は少しだけ歩幅を変え、言葉を続ける。


「ただ、それでも順番は変わっていないので、進んでいること自体は同じなんです。区切りの取り方が変わるだけで」

「その違いを、どう扱うかですね」

「はい。慣れてくると、あまり気にならなくなると思います」

「慣れですか?」

「同じ場所で二つ進むことを前提にしてしまえば、そこを一つの区間として扱えますから」


 その説明は理屈としては整っている。しかし、完全に納得しているわけではないことも、声のわずかな揺れで伝わってきた。


 前方に入口が見えてくる。目立つ構造ではないが、近づけばそれと分かる位置にある。


「この先が六宮神社です」

「八宮神社も、ここですね」

「はい。同じ場所です」

「順番としては、ここで二つ進むことになりますね」

「その通りです」


 歩く速度が自然に落ちる。ここで区切りが入ることは分かっているが、その区切りがどこにあるのかは、まだ混沌としたまま残っている。

 入口の手前で、足並みがわずかに揃った。どちらが先に入るかを決める必要はなく、結果として同じタイミングになる。その一致は意図したものではないけれど、崩れる理由もないまま保たれている。


 言葉を交わさなくても問題はない。その状態が前よりも自然に続くようになっていることを、歩きながら少しだけ意識した。

ブックマーク、評価をお願い致します。

レビュー、感想等もお待ちしております。

誤字、脱字等がありましたらご報告をお願い致します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ