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<完結済み> 神戸、八社のあいだで  作者: 第三ひよこ丸


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第06話 空白のあいだ

 四宮神社まで歩みを進めた後、次は『五宮神社』になるという順番だけが、心に書き残されている。けれど、それを明確な予定として扱うほどの強さはなかった。ふとした拍子に思い出す程度の場所に置かれたまま、数日が静かに過ぎていた。

 頭の中で順番が並んでいること自体に違和感はないはずなのに、それをそのままなぞるとなると、どこかで引っかかる感覚が抜けない。進めることも、かといって列から外れることも選べないまま、触れずにいる時間だけが重なっていく。


 連絡先を交換した件も同じだった。画面を開けばすぐに呼び出せる位置にあるのに、そこに指を伸ばす正当な理由が見つからない。そのままにしておくほうが自然に思える状態が続いていた。使おうと思えば使えるというカードだけが手元に残り、それを実際に切るかどうかは決められないまま、触れないこと自体がひとつの選択として収まっていた。


 あのとき、連絡先を交換した後で、次に会う日時を具体的に決めることもできたはずだ。けれど、どちらからもその話題は出なかった。口に出せば簡単に決まるはずのことが、言われないまま宙に浮いている。それでも決めないままでいることに不思議と違和感はなく、順番については語るのに、時間については触れないまま終わったことが、その場では極めて自然に感じられていた。


 五宮神社に行くという言葉も、約束という形ではなく、ただ順番としてそこにあるものを指しただけのように聞こえた。一緒に行くとは決まっていない。それでも、同じ場所を思い浮かべていることだけは共有されている。その曖昧な均衡が崩れないまま、次に持ち越されている。

 連絡をすれば、時間を合わせることは容易だ。どちらかが一言発すれば決まる程度の距離にはいるはずなのに、その一歩だけが踏み込まれない。決めてしまうと、そこに従う義務が生じるような気がして避けているのかもしれないし、単にそこまでの必要を感じていないだけなのかもしれない。どちらにせよ、そのままでも困らない日常が続いていた。


 

 土曜日になり、朝の時間が過ぎていく中で、外に出るべきかどうかを考える場面は何度かあった。けれど、そのたびに決めきれないまま針が進み、部屋にいる理由も外に出る理由も同じくらい曖昧なまま、昼が近づいてくる。

 何もしないまま過ごすには長く、何かを始めるには短い。そんな中途半端な時間が残り、その中で、外に出るという選択だけが、他の選択肢を押し出す形で最後に残った。

 

 靴を履いて外に出ると、空気の温度と湿り気が室内とはわずかに違っていることに気づく。それだけで、さっきまで部屋の中に漂っていた感覚が薄れ、行き先を定めないまま歩き出しても構わないような気分になってくる。目的地を先に決める必要はない。歩いているうちに方向は決まるという感覚は、これまでと何も変わらなかった。


 街に出れば、人の流れは一定の速さで動いていて、その中に身を投じれば自分の歩幅も自然と揃う。特に意識しなくても身体は前へ進み、どこへ向かっているのかを考える必要がなくなる。いくつかの交差点を渡り、同じような景色を通り過ぎていくうちに、どの道を選んできたのかは曖昧になり、曲がったはずの角も、振り返ろうとすれば輪郭がぼやけていた。

 しばらく歩き続けていると、五宮神社の方向に近づいていることに気づく。そのことに対して驚きはなく、むしろ、そうなっていることのほうがしっくりきた。引き返す理由も見つからず、僕はそのまま歩みを進める。


 緩やかだった道が、ある地点から急に角度を持ち始めた。住宅が並ぶ間を縫うように続く坂道は、見上げると先が少し遠く感じられる。足を止めるほどではないが、歩き続けるには確実に負担がかかる傾斜だ。ここまで来てようやく、五宮に向かっているという実感が具体的な重みとなって現れる。

 途中で追い抜かれることもあれば、逆に追い越すこともある。けれど、そのどちらも長くは続かず、結局は自分の歩幅に戻る。坂を上がるという行為そのものが、主体的な選択の結果というより、ここに来てしまった流れの延長として処理されているように感じられた。

 歩きながら、ここに来ること自体が少しだけ自分から分離しているようにも思える。順番としては次に来る場所でありながら、そこに向かう過程は、意識して決めたものではなく、結果としてそうなっているだけに近い。その微かなズレが、坂道の負荷と一緒に胸に残る。


 ようやく境内の入り口に差し掛かると、通りの喧騒から距離ができ、音の届き方が変わった。高台にある分だけ視界も少し開けているが、それを確認するほどの余裕はなく、ただ一度立ち止まるようにして中へ入る。

 境内は静かで、人の数もまばらだった。通り沿いの大きな神社とは違い、ここに用事のある人だけが訪れるような場所。その代わり、立ち止まることに対して理由を求められないような、穏やかな空気があった。

 視界に入る範囲で、人々の位置を順に追う。けれど、その中にかの見慣れた姿が含まれていないことに気づく。

 

 (……いない)

 

 その事実は、すんなりと納得できた。時間を決めているわけでもなく、来るかどうかも分からないのだから、ここにいないこと自体は不自然ではない。それでも、そのまま何もなかったこととして片付けるには、わずかな沈黙が心に残る。その間は長くはないが、完全に無視できるほど短くもなかった。


 賽銭箱の前に立ち、小銭を取り出して入れ、手を合わせる。ここまで坂を上がってきたことと、この所作は直接つながっているわけではないはずなのに、終わった後に残る達成感は、わずかに重なっているようにも感じられた。

 

 手を下ろした後、境内の端に寄ると、外とは違う静けさがそのまま残っている。通り過ぎる人々の動きも緩やかで、その中に自分が含まれていないような感覚が、少しずつ輪郭を持ち始める。


 連絡をすれば状況を確認することはできる。けれど、それをするほどの必要性は感じられなかった。

 来ていないことを確かめるために連絡を取るという行為自体が、あのとき決めなかったものをここで無理に決め直すような気がして。そのまま何もせずにいるほうが自分には自然に思えた。約束をしなかったことと、ここで連絡をしないことが、同じ場所でつながっているように感じられたのだ。

 ここまで上がってくる過程を考えれば、彼女が来ている可能性もあったはずだ。けれど、それを前提にするほどの確かさはない。来るかどうかは、それぞれの都合に任されている状態のままなのだから。


 しばらくしてから、境内を後にする。下り道は上りよりも軽く感じられたが、それでも一度上がった分だけ、日常へ戻っていく感覚が鮮明になる。来たときと同じ道を辿りながら、その過程をなぞっているというより、ただ元の場所へ還っているだけのように感じられた。

 

 何かが起きたわけではない。

 特別に記憶に残す理由もない。

 

 それでも、『来た』という事実と『会わなかった』という結果が同じ場所に置かれ、その二つがうまく重ならないまま、小さなしこりのように残る。

 会えなかったことに対して、これといった感情はない。ただ、「来れば会うかもしれない」という考えが、どこかにあったことだけがわずかに残る。その考えがどこから生まれたのかは分からないまま、触れずにいるしかなかった。


 順番は、まだ続いている。


 そのことは分かるが、それに自分が従っているのかどうかは、まだ確信が持てない。守るつもりはないのに、外れる理由も見つからない。その曖昧な位置のまま、次に進む可能性だけが残り続ける。

 

 それを選ぶかどうかは決めないまま、僕は歩き始める。坂を下りきり、街の流れに戻ると、さっきまでの静けさはすぐに喧騒に埋もれた。それでも、上がってきたときの足の重さだけは完全には消えず、別の形で残り続けているように感じられた。

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